第22話 花巻千代女と『冬空』の過去


 墓石は俺が知っているのより少し小さく見えて、その周りには、アサガオの鉢植えが三つ並べられていた。


「あんたには、もう一人気を許してた子がいたの。花巻はなまき千代女ちよめっていう、一つ下の女の子が」


 それからしばらく、桐原さんはその「花巻千代女」についてを聞かせてくれた。


『俺』は八歳のときに両親を亡くしてここに来て、七歳の花巻はその直後くらいに親がどこかへ行ってしまってここに来た。

 当時、ここには他に三人の子供がいたけど、『俺』たちが来た一ヶ月後に一人が、二ヶ月後に二人が引き取られてしまい、そこから三ヶ月間は『俺』と花巻の二人だけになった。


 最初は『俺』を警戒していた花巻だけど、『俺』が一度迷子になった花巻を見つけてからは、兄妹みたいな距離感になったらしい。

 それまで笑わなかった花巻が、だんだんと元の明るさを取り戻していった。最初は俯いて話すだけだったのが、『俺』を正面から揶揄ったりするまでになった。

 でも、後から入ってきたレントや他の子供達には優しくて、『俺』と一緒に頼れるお兄ちゃんお姉ちゃんポジションになっていった。


「補力器の充填を私とフユ君でやる」と言い出したのは、花巻が十一、『俺』が十二の頃だったらしい。


 花巻にも利力はあった。花巻はただ単純に、親に責任を放棄されただけだった。

 最初はさっき聞いたのと同じように断ったらしいけど、花巻の勢いに負けたのと、だんだん子供の数が増えていたのもあって、桐原さんは『俺』達にそれを頼むことにした。花巻はそれをとても喜んだらしい。

 詳しい理由はわからないけど、そういう利力が無い人もいるって話は小五の道徳の授業で習うことだから、単に影響を受けただけなのかもしれない。


 でも、結局花巻がその仕事をすることはなかった。

 学校から帰ってきて、補力器のことを桐原さんと交渉して、その半時間後に花巻は行方不明になった。


 気付いたら、誰にも行き先を伝えずに園からいなくなっていた。

 だけど『空森』だけは、行き先に心当たりがあると言った。言った直後に『空森』も飛び出して行って、追いつくことができなくて、日が暮れても帰らなかったから、桐原さんは警察に二人の捜索願を出した。


 防備隊まで出動する捜索が行われて、『空森』と花巻はその二日後の明け方に見つかった。

 ここから一駅くらいのところの山の中で、花巻は転落死していた。

 防備官の人の話では、『空森』は花巻の遺体のそばで、ずっと泣き続けていたらしい。


 結局、花巻が出て行った理由も、そんな山の中にいた理由も、わからないままだった。

『空森』は検査入院と事情聴取のあと、見つかってからは四日経ってから帰ってきて、花巻はその二日後に、遺灰になって園に帰ってきた。


「防備隊の人に救助されて、ここに戻ってきた次の日だったんだ。冬空が、みんなの補力器を任せて欲しいって言ったのは」


 山の方から弱い風が吹いて、鉢のアサガオがゆっくり揺れる。

 その中心にある墓石には、はっきりした文字で「花巻千代女」と書かれていた。


 ……『空森』は、どういう気持ちでそんなことを言ったんだろう。

 話を聞いている間、俺は自分が何度か『空森』と俺自身を重ねてしまっているのに気が付いた。たぶん桐原さんが『空森』のことを「冬空」って呼ぶからだと思った。

 だから何回もこの冬空は俺じゃないって思い出してたのに、どうしても、気付くと「もし俺だったら」って考えてしまっていた。

 なんでかはわからない。俺と『空森』が似てるけど違うことなんかわかってるのに、同じわけないって思ってるくらいなのに。


 そうなんだ。わからなかった。

 気付いたら考えてた。自分がもし『空森』の立場にいたらどうしてたんだろうって、なんで『空森』はそんな行動をしたんだろうって、俺と『空森』とでは何が違うんだろうって。


 考えたけど、わからなかったんだ。

『空森』がやったことを、俺だったらたぶんやらないってのはわかった。『空森』が考えてる内容とか、動いた理由とかは、なんとなくならわかるんだ。わかるんだけど、本当になんとなくで、どうしてもはっきりしなくて。


 あれ。

 俺っていつも、どうやってはっきりさせてたっけ?

 俺ってそういうの、どうやって考えてたっけ?


 ……あれ、もしかして俺、今までこういうふうに真剣に考えたことなかった?



 ――『俺だったら』って、俺ってどういう奴なんだろう?



 そんなこと、今まで考えたことなかった。

 だって普通に生きてたらそんなこと考えないし、そんなこと考えてる奴なんか、普通じゃないと思ってた。


 けど、考えたことなかったから、今考えてもわからないんだ。


「アサガオはね、あの子が一番好きな花だったの。元々お花が好きな子だったんだけど、アサガオは特に」


 わからないから、『空森』のことだってわかるはずがなかった。

 わからない。調べれば調べただけ、『空森』のことがわからなくなる。どんどんわかってくる『空森』と、部屋で見つけたアレが遠すぎる。

 なんなんだよ『空森』。お前何がしたいんだ。こんなに評価されてんのに、なんであんなの隠してるんだ。なんでだ。なんでだ。なんでなんだ。


 なんでお前、


「……冬空?」


 ――なんでお前、俺と同じ名前なんだ。なんで同じ見た目で、身体なんだ。


 同じなのにどこが違うんだ。どう違うんだ。どうして違うんだ。

 俺とお前は、なんなんだ。


「ごめん、疲れたね。戻ろっか」

「……すみません。でも、そろそろ暑いですね」


 顔を上げると、桐原さんは不自然に笑っていた。

 学校支給の腕時計を見ると、思っていたより時間が経っていた。門限一時間前に戻れるように考えていた時間を、少し過ぎているくらいだった。桐原さんも腕の内側を見ると、「おっと」と言ってすぐに朝顔の柵のドアを開けた。


 そのまま、まっすぐ帰ってもよかったんだけど。

 ふっと思いついたから、俺は花巻の墓の前にしゃがんで手を合わせた。ものは無かったけど、その場所自体から線香の匂いがした。


 俺はお前の知ってる『冬空』じゃない。

 見た目が同じだけの他人に手合わせられたって困るだけかもしれないけど、俺だって好きでこんなことになってるわけじゃないから、許して欲しい。

 あと、一応同じ「冬空」ってことで。


「桐原さん、その、あんまり意味ないのかもですけど、もしよかったら、さっき言ってた補力器、の充填、やらせてもらえませんか?」


 本当に何の意味もないのかもしれないけど、なんとなくやっとかないといけない気がした。桐原さんは眉毛を上げて驚いた後に、


「……たしかに、今日の分まだだったし、やること自体は簡単なんだけど、大丈夫? 結構キツいよ?」


 と、感情がわかりづらい静かな声で言った。

 だから思い切って「大丈夫です」と少し声を出し過ぎてしまったけど。

 それを何のためにやるのか、どんな意味があるのかは、やっぱりわからないままだった。


 しかもやってみたはいいものの、全員分とか普通に全然無理だった。

『空森』がやってたときから一人減って十四人分だったけど、五人分終わったところでもう足元が危なくて、六人目いこうとして桐原さんに止められた。

 残り九人分は八重石がやってくれた。俺はキツすぎて膝に手をついてたのに、コイツは完全に無反応だった。桐原さんの話だと『空森』でももう少し疲れてたらしいから、やっぱり八重石は桁が違った。


 ついでにそのあと、結局門限が危なくなって走らないといけなかった。

 園から駅までの間、必死で八重石の後ろに食らいついた。下り坂だからよかったけど、あれ多分上りだったら諦めてたと思う。


 ……でも、帰り際にレントが話しかけてきたとき、もう一回謝ってから「レン」って呼んでやったら、ちょっと笑ってくれた。その前に俺が無様すぎてげらげら笑ってたけど、まあ、後味は悪くならずに済んだ。


 最後に桐原さんも「園長」って呼んだら、「いつでも帰ってきなさいね」と笑ってくれた。


 それで、そういえば俺って今帰る場所ないんだなと気付いた。

 気付いてすぐに、もし自分がこんなことになってなかったらと考えていた。だったら、俺が行ってた高校はまだ普通に夏休みで、家でだらだら漫画でも読んでて、この人達に会うことも、この場所にくることも、利力切れで息が苦しくなることもなかったんだと考えると、すごく不思議な気持ちになった。


 帰り道はそんなのも全部振り切れるくらい走ったから、結局寮に戻ったのは、門限の十五分前だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る