第21話 『冬空』は自慢の子
クーラーも廊下にまでは届いていなくて、どっと暑さが戻ってくる。
窓ごしに見える外は雲一つない快晴で、グラウンドはこれ以上ないくらい暑そうだっていうのに、レントを含めた子供達は、楽しそうにドッジボールを再開していた。
「冬空はさ、ここの子達がなんでここに置いていかれたのか、知ってる?」
俺はそれを、こんな中よくやるなって思いながら見ていた。だから今言われるまで、アイツらが捨て子なんだってことも忘れてたくらいだった。
……なんで置いていかれたのかって、そんなの、それぞれで理由なんか違うもんじゃないのか。
「育てられなくなったから、とかですかね」
「それもあるけど、基本的には、あの子達が利術を使えないからなんだよ」
利術が使えないから。と言われても、いまいちピンとこなかった。なんでそれが、子供を捨てることに繋がるんだ。
「利術が使えないっていうのは、防備隊の人みたいな術が発動できないってことじゃなくて、もっと基礎的な、日常生活で使う利術的な仕組みが全部使えないってことなの」
表情を読まれたみたいに補足されて、やっとなんとなく意味はわかった。
普通の人は当たり前にできることができない。そこから捨てるって選択肢を選べる気持ちは全く理解できないけど、それが理由の一つになるっていうのは、わからなくもなかった。
「でも、利術ってそんなに普段から使うもんなんですか?」
「……うん。例えば、あそこに調理室があるでしょう?」
桐原さんが指を差した先には、学校みたいに部屋の名前を書いた札が突き出ていた。「はい」と答えると、桐原さんは俺の腕をぐっと握り直して、その調理室の中まで引っ張っていった。
「コンロ、グリル、電子レンジ、湯沸かし器、だいたい目に入るもの全部、動かすには利術を使う必要があるの。……冬空、導路とか利力とか、そういうのも全部忘れちゃった?」
「忘れてましたけど、それは、授業で術を使おうとしたときに、教えてもらいました」
ぶっ倒れた二日目以外、そういう訓練も一応していた。つってもまだ何がどうなってるのか教えてもらったくらいで、一回も術が使えたことはないんだけど。
「人の体には、利力っていう目に見えない力、みたいなんが血と一緒に流れてて、利術はそれの流れを動かして、形があるものに変える、とかですよね」
「そう。その『流れを動かす』っていうのを導路っていうんだけど、まあ、それは生活で使うことはない。生活用品になってるものは、その導路自体が中に組み込まれてるからね。……問題なのは、利力そのものがない場合ね」
……まただ。それが、結構大変なことだってのはわかるんだけど、どうしても理解しきれない。
だってその利力っていうのも、俺にとっては無くて当然のものだった。そんなものが人の体の中にあるのも俺は知らなかったし、最初は俺の体には無いんじゃないかとか心配したくらいだし。
でも、
「ものによって、起動力だけと、動力全部の場合があるんだけど、どんなものでも絶対、少しは利力が必要になる。それが無い子は、誰かに協力してもらえないと、普通に生活が送れない」
俺はこっちに来てから、そんな苦労はしなかった。
あちこちに見かける透明感のある黒い板みたいなのに触ったら、部屋の電気は付いたし、冷蔵庫は三日に一回一分間くらい触っておいたら動いていたし、大浴場でも熱すぎるくらいのお湯が出た。
仕組みはわかってなかったけど、俺にとってもそれは普通にタッチパネルくらいの感覚になっていた。
「冬空は、ここでそういう子達を助けてくれてたんだよ」
そして思い出してみると、誰も俺が利力を使っても不思議がっていなかった。ていうかそもそも、『空森』はあの八重石を打ち負かせるくらいに、利術を使いこなしていたんだ。
「そういう子達のために、一応利力を貯めて持っとけるものがあるんだ。あの子達がみんな手首に付けてる、あの白い腕輪、補力器って言うんだけど、そこに利力を貯めるのを、冬空も手伝ってくれてたの」
『空森』はここで生まれ育った。でも利力は普通か、それ以上に持っていたらしい。
そういえば『空森』は捨てられたんじゃなくて、亡くしたんだった。だから他の周りの子供達とは違って、そういう意味では恵まれていた。
「利力を貯めるのって、結構大変なことなんだよ? 一人の一日分貯めるのが、だいたい二百メートルを全力で走るのと同じくらい疲れるって言われてるんだけど、冬空はそれを……一人で、毎日欠かさず全員、十五人分やってくれてたの。そりゃあ私達も最初は止めてたんだけど、出来ることをさせて欲しいって言われて、体を鍛えたいって口実まで作って来られて、正直私達もその時は人手不足だったから、それから任せるようになっちゃってね。……ほんと、おかげであんたが出て行ってから、慌てて二人増やさなきゃなんなかったんだから」
……そしてそれを『空森』は人のために、他の子供達のために使っていた。
また、いまいち想像ができない。毎日二百メートルを十五回。最近体づくりで走らされてるのはだいたい五キロで、あれのちょっと短いのを、何回かに分けて、全力で。
変なカッコつけか、良い子ぶってんのか、助けてやってる優越感目的か、ここでの立場の確立か。
絶対にあんなこと考えてる奴が、そんな綺麗な理由でやってるわけがないんだ。
でもできるのか? 本当にそんな汚い理由で、そこまでキツそうなことを。毎日欠かさず、他人のために。
――じゃあ、そこにいたのがもし俺だったら、できたのか?
「な、なんか恥ずかしいっすけど、すごかったんですね、俺って」
「……うん。すごかった。あんたはすごい奴で、私達の自慢の子だった。もちろん、今もだけどね」
俺だって、誰かを助けたいって思うことはあった。それが当たり前だとまでは思えてなくても、人より他人を助けてきたつもりだった。
……それこそ、さっきの汚い理由で、だったんじゃないのか。
違うんだったら、じゃあなんで今、俺だったら無理だって思ったんだ。
こっちの『俺』にできてたことが、なんでできない。こっちの『俺』はそれができたのに、なんであんなものを隠してたんだ。
「冬空」
目の前の桐原さんが、がらがらと大きな音を鳴らして冷蔵庫を引き出しを開けた。取り出したのは一粒の氷で、それをひょいと口の中に放り込む。冷たそうに目を細めて笑いながら、もう一粒つまみ上げて、
「はひ、ふいはえへ」
「いや、俺は」
「ひいはあ、はあう」
しかたなく口を開けると、割と大きめの氷が押し込まれる。冷たいのは気持ちいいけど、どんどん口の中が冷えてきて、むしろ痛い。自分の息まで冷たい。氷が噛める大きさに溶けるまで、必死に転がし続けるしかなかった。
「涼しくなったでしょ?」
それをようやく噛み砕けたところで、桐原さんは目を細めて笑った。正直言うと口の中以外は普通にじっとり暑かったけど、たしかに気分は良くなった気がした。
「じゃあ、もう一ヶ所ついて来てもらっていい?」
「あ、はい」
と答えて、俺は冷え切った口の内側を舐めながら、ゆっくり歩き始めた桐原さんを追いかける。
廊下の方が暑いなと思ってから、そういえばさっきまで何を考えてたんだっけと思い出しそうになったけど、その直後に桐原さんが外に繋がるドアを開けたから、熱気に全部持っていかれてしまった。
外はどんどん日差しが強くなっていて、空からも砂からも強烈な熱が飛んで来ていた。口の中の冷たさもすぐになくなってしまって、なんでか急に八重石のことを思い出した。
桐原さんは低い声で何度か「暑い」と言いながら、どんどん歩いていく。建物をぐるっと回り込むと、裏には畑みたいなものがあった。
見てすぐわかるのはキュウリとトマト、あとはハンドボールくらいの大きさのスイカと、端の方には三つ、理科の教材らしいプラスチックの鉢にミニトマトが育てられていた。
その横を通り過ぎていくと、奥には手作りしたみたいな木の柵があった。
柵は俺くらいの高さで、畑とさらに奥の森とを区切るみたいに立っていたけど、柵の向こうと、その奥の森との間には、もっと高くて頑丈そうな金網が張ってあった。
そして柵には、端から端までアサガオが巻き付いていて、全部が青や紫の花を綺麗に咲かせていた。こんなにアサガオが集まっているのを見たことがなかったから、少し驚いてしまった。柵の根元にわざわざプランターが置いてあったから、これを全部意図的に巻き付かせているらしかった。
「すごいですね、このアサガオ」
「でしょう。毎年みんなで育ててるの」
一ヶ所アサガオが巻き付いていない場所があったのは、そこがドアになっていたからだった。ドアにはかんぬきが付いていたけど、鍵はかかっていなかった。
そのかんぬきを開けながら、桐原さんは「本当は今日、言うべきかどうか迷ってたんだけど」と言った。
なんのことかは、柵の奥に入ればすぐにわかった。
ちょうど柵のところから、森の影になっていた。
お墓は、空気が少しひんやりしていて、でも蝉の声は異常にうるさくて、森のすぐそばなのにしっかり整備されていて、ほんのり線香の匂いがするその場所にあった。
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