第20話 自分のこと疑ってる?


「本当に、さっきはごめんね冬空。……ただ、ショックだっただけなんだよ。あの子、一番あんたと付き合い長かったから」


 案内された園長室は、たしかにクーラーが効いていて涼しかった。それで濡れている頭が冷えてはいけないからと、桐原さんは大きめのタオルを貸してくれた。


「全然、大丈夫です。元々、俺が忘れたのが悪いんですし」


 少し硬めのタオルでがしがし拭いてから、机の上のコップを取る。中身は氷でキンキンに冷えたカルピスで、少し濃いのもあって、一気に飲むことはできなかった。ちらっと隣を見ると、八重石も両手でコップを持って、ちびちび飲んでいた。


「その、なんで記憶がなくなったのかは、やっぱりまだわかってないの?」


 自分の分のアイスコーヒーを持ってきた桐原さんが、正面のソファに腰を落とす。


「はい。気付いたら記憶がなくて。……頭ぶつけて、怪我はしなかったけど打ち所が悪かったのか、何かストレスが溜まりすぎたのか、とかは、言われたんですけど」

「ストレス、か。たしかに、冬空って結構テキトーなくせに、意外と繊細だったりしたから」


 手の中で、コップがからんと音を立てた。


 ……俺が今日ここに来たのは、別に自分の記憶を戻したいからじゃない。俺はこっちの『俺』の、『空森』の怪しさをはっきりさせたくて、ソイツが育ったこの「はづき園」まで来たんだ。

 いきなり、繊細だとか引っかかる単語が出てきたから、少し驚いてしまった。


「テキトーなのは、今でもわかるんですけど、俺、繊細でしたか?」

「繊細だったよ! もーなんか部屋とかは片付けないくせに、洗濯物の畳み方だとか食器の乾かし方だとか、そういう細かいことはいちいちうるさかったり。あんた絶対AB型だねって言ってたら、案の定そうだったからね」


 で、いきなり遠くなっていく気配がした。いやたしかに俺もAB型なんだけど、そういう話じゃなくて。


「他にそういう、繊細だったなって話は……?」

「うーん、あとは……あ、結構根に持つタイプだったり。下の子とかの失敗は笑って許せるんだけど、私とかレントには、しばらくしてからもぐちぐち言ってきたりしたねぇ。ま、その分、気は許してくれてたんだろうけどさ」


 気を許す、か。


「あの、そういえば俺、学校だとあんまり友達いなかったんですけど、そういう、人間関係作るのが下手だったりしたんですか?」

「……そうだね。コミュニケーションができないってわけじゃなくて、むしろ人の気持ちは考えられる方なんだと思うけど、とにかく気を許すのが苦手な子だった。ここでも私とレントと……、くらいかな。他の保育士さん達とも、仲良くはやってたけど、距離感はあったかな」


 でも、だいたいはモトナリから聞いてた雰囲気と同じだった。

 誰にでもいい面はできるけど、深く関わろうとはしない。……それが、本心を悟られたくなかったからだと思うのは、ちょっと偏った見方なのか。

 ダメだ。もっと、決定的な何かを。


「じゃあ何か、それ以外で俺のことで気になってたこととかってありますか? 不思議だったとか、心配したとか」


 ここは『空森』が学校よりももっと長い時間を過ごしていた場所で、この桐原さんは八重石ほどじゃないけど美人だし、八重石よりももっと勘が鋭そうだった。

 だから絶対、少しくらい、『空森』の良くない部分に気付いてるはずだと思った。


「……あんた、もしかして何か、自分のこと疑ってる?」


 息が詰まる。

 顔には出さなかったつもりだったけど、間を空けてしまった時点でほとんど認めてるみたいなものだった。

 クソ。焦った。焦って、ストレートに聞きすぎた。


「……たしかに、それは不安になるか。もし、全然知らない場所の全然知らない人の体に乗り移ったとしたら、その体が悪い人のだったらどうしようってなるのは普通のことだと思うし……ううん、その体が自分のものだったら、記憶が戻ったら悪人になる分、もっと怖いものなんだと思う」


 コーヒーを一口含んでから、桐原さんはゆっくり言った。ぽつぽつと、考えをまとめながらみたいな話し方だった。

 俺はそもそも記憶喪失じゃないから、そのどっちにも当てはまらない。でもそれを聞いていると、だんだんどっちにも近いような気がしてきた。だから、一瞬心を読まれたみたいな感覚になった。


「でも大丈夫。私は知ってる。あんたはいい奴だ。ここの子供はみんなあんたのことをお兄ちゃんだって思ってるし、私だって感謝してる。あんたくらい人のために動ける奴なんか、そういないって断言できるくらいに」


 でも、そんなわけがなかった。

 俺は知ってる。『空森』がただのいい奴なんかじゃないのを。

 ……いっそ本当にこの人が心を読めたら、それを信じさせる必要もなかったのに。


「実際見た方が速いか。……八重石さん。悪いんだけど、ちょっとこの部屋で待っててもらってもいいかな?」

「はい。問題ありません」


 その、心を読むとか馬鹿なこと考えてる間を、桐原さんは「納得してない」と受け取ったんだと思う。


 気付いたら俺は桐原さんに腕を掴まれていて、そのまま廊下に引っ張り出されていた。

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