第19話 おかえり、冬空
今回外出したのは、『空森』が二年前までいた養護施設に行くためだった。
あのとき、『空森』のことを調べようと思ったはいいけど、コイツ学校でほとんどぼっちみたいなもんだから、これ以上はなかなか出てこないんじゃないかと考えた。直後に目の前の八重石から「親」って選択肢が出てきて、施設にそこから繋がった。
「記憶を戻すために出来るだけ自分の話を聞きたいんです」と言うと、金剛はあっさり許してくれた。養護施設へ事前に連絡を入れて、地図と道順を書いた紙まで渡してくれた。
学校からは片道二時間くらい。電車的なものを三回乗り継いで、駅から二十分ちょっと歩いて、長い坂を登ったところに、その「はづき園」はあった。
建物は、古い学校みたいな雰囲気だった。
学校ほど大きくはないけど、手前には整備されたグラウンドがあって、奥には森があった。入り口にはスライドさせて開く大きな門があって、その横の掲示板には子供が描いた絵が何枚も飾られていた。
着いたら、門の横のインターホンで呼んでくれと言われていた。それがさっきからなかなか見つからない。門の横を、さっきから両方何回か見てみてるけど、「進然教 社会福祉法人 はづき園」って書かれた古そうな木の板しかない。
そしてふっと顔を上げると、グラウンドでドッジボールをしていた子供が、いつの間にか全員黙ってこっちを見ていた。
……そりゃそうか。門の前うろうろして、今の俺たぶんめちゃめちゃ怪しいよな。
つっても話しかけたって怪しいのは変わらないし、どうしようか……と考えながら、さっきから微妙に子供と目が合わないなと気付いた。
「――そらにい、か?」
話しかけられたのは、全員八重石を見てるんだと気付いた瞬間だった。
外野でボールを持っていた中学生くらいの男子が、俺を見ていた。「そらにい」って呼ばれたことは今までなかったけど、『空森冬空』だったらそう呼ばれてもおかしくないと思った。
それでなんとなく手を上げると、ボールを持った奴は突然興奮した顔になって、ボールを高く持ち上げて、
「カノジョぉぉぉ‼︎」
は。
「園長ぉ〜! そらにい、カノジョ連れてきたぁぁぁ‼︎」
何か言う暇もなく、ソイツは建物の中に走って行った。他のドッジボールをしていた子供もソイツを追いかけて行ってしまった。
「……なんか、ごめん」
「いえ、問題ありません」
ちょっとは気にしろよとはさすがに言えなかったけど、コイツが無反応だから、俺もそうするしかなかった。
そのまま一分くらい黙って待っていると、建物の中から一人の女が、さっきの男子を引き連れて出てきた。
「ごめんなさい! レントが失礼なことを言ってしまったようで。暑い中、ようこそいらっしゃいました。八重石さん」
「いえ、問題ありません。お出迎え頂きありがとうございます」
「いえいえそんな。どうぞ、建物の中はクーラーが効いていますから。何か冷たいものでもお出ししますね」
「はい。では、お邪魔します」
顔を見た感じは三十代くらいか。髪の毛を後ろでまとめて、化粧もほとんどしてなさそうだから、まさに忙しい女の人って感じ。でも声がすごくはっきりしてて、丁寧なのに元気良く話すから、あんまり疲れてるみたいな雰囲気は感じなかった。
「おかえり、冬空」
ぐっと体重を乗せて門を引きながら、その人は笑顔を見せてそう言った。
違和感がすごかった。
全く知らない人に「おかえり」と言われたのもあると思う。けど一番は、この人の言い方がすごく自然だったからだ。
この人にとって『空森冬空』は、当たり前に「おかえり」を言う存在だった。
「……本当に忘れちゃったんだね」
反応に困っているうちに、ふっと目の前の笑顔が硬くなった。
その瞬間、俺の中で『空森』の存在感が大きくなった実感があった。と同時に、別に隠そうとしてたわけでもないのに、「失敗した」と思ってしまった。
「すみま――」
「でも関係ない。あんたが覚えてなくても、私は覚えてる。あんたはここの子だよ。今は思い出せなくても、緊張してもいいから、とりあえずそれだけは信じて欲しい。私は絶対、あんたの味方だから」
……俺はあなたが覚えてる冬空じゃないんですよ。とか言ったらどうなるんだろう。何回考えたって結果は同じだ。まず意味はわかってもらえなくて、その後詳しく説明しても、なに言ってんだコイツってなる。
でも、だから罪悪感がすごい。
俺は『空森』じゃない。あなたが味方になりたいのは俺じゃないのに。
「ありがとう、ございます」
「うん。……あ、忘れてた。私、桐原友恵ね。ここの園長やってます」
と、その人は首からかけていた名札を指差す。名札は折り紙やシールでぎゅうぎゅうに飾られていて、平仮名の「きりはらともえ」の下に小さく漢字で「桐原友恵」と書かれていた。
「はい。えっと、今日はよろしくお願いします。桐原さん」
紹介されてから、そういうことを言った方がいいのかと思った。でもそこで、なんでか桐原さんは驚いた顔になった。俺が何か言ったのかと考えて、こんな反応そういえば前にもあったなと思い付いた。
「……そらにい、俺のことも忘れたんだよな?」
驚いた桐原さんが戻るより早く声を上げたのは、ずっとその隣で俺を見ていた男子――レントだった。レントはまだボールを両手で持ったまま、不安そうな目で俺の顔を覗き込んできていた。
「ごめん。レント君」
「っ。……違う」
なにが違うのかは、なんとなくわかっていた。
でも、仕方ないだろうが。俺は『空森』じゃない。お前らのことなんか知らないんだ。
「レントじゃないレンだ。桐原さんじゃない園長だ。そんなん、忘れんなよ!」
「レント!」
どんだけ優しくされたって、どんだけ期待されたって、俺がお前らのことを思い出すことなんか、絶対ないんだ。
……俺は『空森冬空』じゃなくて、中村冬空なんだよ。
走りだしたレントは、桐原さんの声も無視して行ってしまった。
追いかけて行った方がいいのはわかったけど、追いかけようとは思えなかった。追いかけて行って、その後になんで言えばいいのか、俺にはわからなかった。
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