第12話 『空森』が隠していたもの


 ……なんにもできないまま、初日は終わった。


 俺は今、風呂と飯、アイロンがけ、ベッドメイクを終わらせて、思い切りベッドの上に寝転がっている。


 全身が痛かった。筋肉痛と、酷使した直後の痛重さと、ぶっ倒されたときに打った場所。

 だからだ。とにかく疲れていて、ダルくて仕方がないのに、眠れない。痛くて、身体中が熱くなってる感覚があって、変に目が冴えていた。


「……クソ」


 なんとなく寝転んでるのが嫌になって、痛さを我慢しながら体を起こす。そのまま枕元のランプをつけて、冷蔵庫から一本缶コーヒーを出してくる。

 やっぱり味は微妙だけど、今は冷たければなんでもよかった。

 そう思ってたけど、半分くらい飲んだところで、コーヒーだけはやめといた方がよかったと思った。俺はカフェインに弱かったから、眠たさは余計離れていった。


 もう一度「クソ……」とか言っても眠くはならないし、勉強するほどの気力も湧いてこない。

 でもやっぱり、この部屋には何もない。持ってきたスマホはあるけどとっくに電池切れてるし、そもそもこっちじゃ使えない。一冊くらい漫画でも置いてないかと本棚を見てみたけど、教科書と小説が何冊かと、モトナリに勧められたのかラノベが一冊あっただけだった。そのラノベを手に取ってはみたけど、読む気にはなれなかった。


『早く、戻ってきてください』


 ――それを本棚に戻した瞬間、そう言われたのを思い出した。

 むしゃくしゃしてベッドに飛び込もうとしたけど、体が痛くてそれはできなかった。だからゆっくり、慎重に寝転がると、急に自分がすごく惨めな気がしてきた。


 ……仰向けになって、こっちにきてから俺は割とずっと惨めだったのを思い出す。

 今日は特に酷かったけど、ずっとなんにもできてなかった。

 そうだ。こっちにきてからの俺、たぶんずっとダサかったんじゃないのか。なんにもわからないからボーッとして、そのままこんなところまで来て、気付いたらぶっ倒されていて。


 ……あっちだったらそこそこ出来てたんだ。それなりの立ち位置にいて、クラスでも普通に上の方で。

 そういうのが、ここじゃ全部通用しなかった。


 だから、今日八重石にぶっ倒されたときからずっと、俺が全部間違ってるみたいな気がしていた。

 そりゃあ間違ってるとは思う。俺がここにいるのは。でも違う。俺からしたら間違ってんのは俺じゃない。ここで、こっちで、俺以外だ。

 ……でも、だからなんだって話だ。


 一昨日の車の中で金剛にも言われていた。順応しないと俺は生きていけない。わかってる。……わかってるつもりだったけど、やっぱりちゃんとはわかってなかったってことなんだろう。


「あーあ」


 コーヒーを一口飲み込む。

 結局間違ってんのは俺で、俺がここでの普通に合わせなきゃいけない。つっても何が間違ってんのかはわからない。とりあえず筋肉が足りないのはわかってる。あとは、


「向上心とか、絶対そうだよな」


 それも根本的な話ではない気もする。でも、絶対に足りないもので必要なものなのは確かだった。

 あとはもうわからない。今、夜中の回ってない頭で考えたってわかる気がしない。これ以外は明日から、また気付けるように探し続ければいい。


 もう寝よう。と、缶の中身を一気に飲み干したとき、一瞬手から力が抜けて、缶が床に転がってしまった。


 俺もモトナリのこと言えなかった。たぶん今日最後にやった懸垂と、昨日の素振りのせいだ。指と手のひらまで筋肉痛だった。ちょうど中身がなくなったところでよかったけど、運悪く缶はベッドの下に転がっていった。

 思わずため息を吐いてから、俺は全身の痛みを堪えてベッドの横の床に寝そべり、手を突っ込む。


 すると何か缶以外のものに触った。なんだと思って覗き込んでみると、同じ形の収納ボックスが二つ並んでいた。缶はその手前に転がっていたので、とりあえず回収する。

 ……それをゴミ箱に捨てる間少し考えたけど、やっぱり気になったので開けてみることにした。


 両方真っ白いケースだったから、見ただけじゃ中身はわからない。引っ張り出してみると、片方は軽くて片方はびっくりするくらい重かった。

 軽い方には、地味な色の服が入っていた。そういえばこの学校、基本的に制服か体操服か軍服しか着れないらしいから、こういう私服って使うタイミングがあんまりないんだと思う。にしても、『空森』と俺では服の趣味もかなり違った。

 重い方には、小説がぎっしり詰まっていた。本当に隙間なく、表紙が上に向くように詰められていて、蓋の裏には丁寧に乾燥剤と防虫剤まで付けてあった。

 でも全部古臭くて、作者の名前はどこかで見たことがあるかもしれないみたいなものばっかりだった。日本のも海外のもあった。一応一番下まで見てみたけど、やっぱり漫画はなかった。


 ……でもそのとき、微妙に違和感があった。


 何を変に感じたんだろうと考え出した直後には、重い方の箱の底が、少し浅いような気がしていた。

 それがどういうことなのか、すぐにはわからなかった。でも服が入ってる方の箱と比べて絶対に浅くなっているのがわかると、突然「何かが隠されてるかもしれない」と思いついた。


 ほとんど迷わずに、本の方の箱を色々触ってみる。五十冊くらいある本を抜き出してみても、そこに板が入れてあるわけじゃない。逆さにしても、振ってみても何も起こらない。……同じに見えて実は形が違うだけだったのかもしれない。と、服の方と色々見比べていると、底だけじゃなくて、微妙に側面も厚くなっているのに気付いた。


 箱の内側を思い切り引っ張ってみると、それは突然カパっと外れた。二重になってたんだ。ほとんど同じ大きさの箱が、中にぴったり入っていた。


 ……本当に何かが隠されてるとわかってしまうと、一瞬ためらいはしたけど。

 自分が結構緊張してるのを感じて、唾を飲み込んでから、内側の箱を持ち上げる。


 底には、金属でできた薄い箱が入っていた。

 隙間はスポンジみたいなもので埋められていて、揺れて動かないようになっていた。

 金属の箱は、銀色で目立った特徴がない、良いお菓子でも入ってそうな普通の箱。……そして蓋の表面には、丸で囲われた「秘」と、小さな「創作物」という字が書かれている。


 ちょっと考えてから、俺は『空森』が何を隠しているのか、なんとなく気付いてしまった。

 期待外れ過ぎて、一瞬箱を投げそうになる。


 ……どーでもよかった。『空森』が周りに隠れて小説を書いてるとか。

 そもそも俺は小説が好きじゃない。やっぱりコイツと俺は、見た目は似てるのかもしれないけど、全く違う。育ち方が違うから当たり前なんだろうけど、だとしてもこんなに違うもんなんだなと思った。

 もう、完全に中身への興味はなくなっていた。だからこのまま戻してやってもよかったけど、なんとなく、全部見てやろうと思って、その銀色の蓋を持ち上げる。


 中にはスマホみたいなものが五台入っていた。

 これがこっちでのUSBメモリみたいなものだってことは、病院で見たから知っていた。こっちにはパソコンはないけど、それに近いものはあった。これはそのパソコンみたいなものの情報が出し入れできて、ついでにこれ自体でも中身を表面に映せるやつだった。

 一つを手に持ってみると、表面がちょうどスマホみたいに光って、「指紋認証」という文字が出てくる。表面を親指で触ってみると、少し点滅してから「確認」の文字が出てきた。でも次に出てきたのが「パスワード認証」と「残り3回」。選択肢は数字だけだったけど、桁は四つ。


 とりあえず俺の誕生日。0101。「不可」。そこは同じか。俺もこれはバカっぽいから、パスワードには使わない。

 次はちょっと考えて、0316。「不可」。部屋番号じゃなかった。

 次失敗したら終わり。まあ、そんときはそんとき。思いついたのは316に、3と1と6をかけた数字。机の上のメモ帳で計算してから、5688。

「確認」「解除」


「マジか」


 完全に予想外だったから声が出る。でもここまでして解除しても、表示されたのは『短編』というファイルだった。開いてみると、小説のタイトルっぽい名前のついたデータが画面いっぱいに並んでいた。

 ここで俺の興味は、完全に止まっていた。


 ――だからそのデータに触ったのは、本当にただなんとなくだった。


「……ぇ」


 今度はほとんど声も出なかった。

 画面に表示された書類の隅に、八重石の顔写真があった。


 意味がわからなくて頭が固まる。でも目は画面の文字を追い続けていて。


 対象『八重石幸』、期間『九月二十五日迄』、決行予定『九月十五日』

 ……そして顔写真の真下に書かれた「殺処分(切断遺体)」


 でも、それ以上に俺が理解できなかったのは、処分のさらに下にあった「決行者」の欄。


 盗撮されたような写真の八重石の、どこかを睨みつけるような冷たい表情。


 そのすぐ下には、周りの文字とは違って手書きの文字で――見慣れた俺の筆跡で『空森冬空』と、そう確かに署名されていた。

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