第5話 よろしくモトナリ



「あ、ここだね、冬空君の部屋」


 五秒くらい無言で歩いてから、ふっとモトナリが立ち止まる。

 ここに来るまでに何枚も見てきた水色のドアの、一枚の前。他のドアと違うのは、覗き穴の下に書かれた316という番号と、差し込まれた名札の『空森冬空』という文字だけだった。


「てか、そういやここ、一人部屋なんだな」


 つい言ってしまってから、なんとなく、学生の寮といえば二人か四人部屋、みたいなイメージがあったことに気付いた。


「ここは、そうだね。他の宿舎は、全部相部屋なんだけど、この三番だけ特別なんだ。どの宿舎に入れるかは抽選で決まるから、俺たちは、運が良かったんだよ」


 運か。俺も実は、割と自分は運良い方だと思っていたけど。ま、今回のことで、全部チャラになったと言えるのかもしれない。

 あと「俺たち」ってことは、やっぱりモトナリもここに住んでんのな。


「モトナリは部屋どこにあんの?」

「お、俺は320だから、もうちょっとあっちの方」


 受け取った鍵をドアノブに挿して回してみると、ドアは重たいながらもちゃんと開いた。

 部屋は安いホテルみたいな造りで、トイレと水道、小型の冷蔵庫、ベッド、勉強机、本棚、それと狭いベランダで終わりだった。食堂と大浴場があるらしいからシャワーも台所もなくて、ほとんど俺の家の部屋と変わらなかった。


「結構片付いてんな」

「一応ここ、あんまり物を持ち込めないんだけど、それにしても空森君は、物を持たない方だったね」


 そこんところも俺と同じだ。俺の部屋も、もうちょっと服とかで散らかってたとは思うけど、物は少ない方だった。なんとなく、要らないものを置いとく意味がわからなかった。

 ……だから違うのは、本棚によく分からない教科書とか参考書と混ざって、小説が置いてあることだけだった。


「モトナリんとこは、もうちょい散らかってんの?」

「う、うん。俺のとこは、漫画とかラノベがすごいから……」


 ラノベって、アニメみたいな内容の小説だったか。とか考えながら冷蔵庫を開けてみると、ブラックとミルク砂糖入りの缶コーヒーが、十本ずつくらい入っていた。てかそれしか入ってなかった。


「どっちが良い?」

「え、あ、じゃ、じゃあブラックで」


 右手に持っていたブラックを投げて、冷蔵庫を閉める。モトナリはキャッチをミスっていて、缶は派手な音を立てて転がっていた。


「どんくさい」

「ご、ごめん」


 言いながら、モトナリがまだ靴を履いたままだったのに気付いたので、「上がれよ」と言ってから冷蔵庫を閉める。一足先に、俺はベッドに座ってミルク入りの方を開けて飲む。

 思ってたより甘いなと缶の中身を見ながら、なんとなく考える。


 ……このコーヒーは俺のものじゃないし、このベッドも、この部屋も、俺のものじゃない。

 でも、同じ『俺』のものらしい。俺はこっちの世界に来てしまった以上、『空森』として生きるしかない。

 そういえば俺がこっちに来たってことは、『空森』もあっちに行ったってことなんだろうか。松島と宮野は落ち着いて理解してくれるかもしれないけど、篠田と井上は絶対テンパるはず。けどあいつらなら、それなりに協力はしてくれんだろ。

 だから――


「モトナリ」

「は、はい」


 俺の足元に座って、缶コーヒーをちびちび飲んでいたモトナリの、やっぱり驚いた表情に向かって。


「俺、これからこっちで、空森冬空としてやっていくつもり。……だから、モトナリには手伝ってほしい」


 ――こっちで、俺は今の俺にできることをする。『空森』として生きて、こっちの世界に合わせてやる。色々分かってきた後で、俺はそれをもう一回、決心しようと思った。


「今みたいに色々教えてほしいし、俺が『空森』じゃないこと知ってんのお前だけだから、そういう相談にも乗ってほしい」


 それを言って、俺はコーヒーを持ってない右手を開いて、モトナリの方に差し出す。……五秒くらいそうしてるのに、モトナリはまだ軽く見開いたままの目を、俺の手のひらに向けている。


「ってことで、オッケーだったら、この辺で一回握手しとこうぜって思ったんだけど」

「あ! う、うん! 全然大丈夫! 協力する!」


 と、今度はこっちがビックリする勢いで手に掴みかかってきた。

 ……やっぱりコイツは、第一印象通りに、言ってしまえばコミュ力の低いヤツだ。まず挙動が怪しいし、表情も声も、なんていうか安定感がない。

 本当に、なんで『空森』がこんなやつとツルんでたのかは分からない。

 でもまあ、悪いやつでもなさそうだし、せっかく手伝うって言ってくれてんだから。


「よろしくモトナリ」

「う、うん。よろしく、冬空君」


 とりあえずはコイツと友達になるところから、このよく分からない、俺が知ってるところから全部がズレてしまった世界での生活を始めようと、そう思った。

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