第15話 絶望のあとの希望

 山岡は如月の気持を半分は理解したが、どうすれば勇士の子と玲奈君が幸せになれるかと、模索すればするほど正解はなかった。如月は信用できる男だが、今はそんな気持でもそれが未来永劫に続くとは限らない。ここまで考えて思考は止まった。人間の心なんてそんなものだ。そして勇士が突然死んだように何が起こるかわからない。ずっと先を疑ってもそれは見えない。

 勇士の父に健斗の気持を伝えた。電話はしばらく沈黙が続いたが、

「義兄さん、少し考えさせてくれ。急にそんなことを聞いて混乱している。勇士と一緒に考えたい」


 涼やかに秋風が吹き抜ける季節になった。健斗はお話したいことがあると告げ、玲奈の叔父に訪問の約束を取りつけた。その日、愛想よく出迎えたのは大輔だった。

「如月さんの弟になりたい、ガンバレ!」

 エールを送る大輔に健斗はにやりと笑って襟元を締め直した。とにかく自分の気持を正直に話そう。座敷に入ると座布団を勧められたが辞退して、

「寺田さんご夫妻、玲奈さん、どうか話を聞いてください。僕は玲奈さんに結婚の申し込みに来ました。実は玲奈さんへの気持をずっと封印していました。レギュラーのスタメンになれるまで、そして新社会人になった玲奈さんが落ち着いた頃に気持を伝えよう、恋人になって欲しいと言うつもりでしたが、いろんなことがありました。しかし、この前会ったときに玲奈さんをさらに好きになりました」

 突然の告白に驚いた玲奈は目を見開いて聴き入った。


「如月健斗は玲奈さんと結婚して、谷本さんの子を育てたいと思います。結婚を許してください」

 健斗は長身を垂れるように頭を下げた。健斗の言葉に呆れた叔父は、

「如月君の気持は薄々感じていたが、誰にも頼らずに息子を育てようとする玲奈への同情か? いいか、よく聞いてくれ。人間の心というものはあっちがダメならこっちに転ぶほど単純なものではない。わかるか? それにな、玲奈は自分ひとりで育てる覚悟をした。その覚悟を揺らすような君の話は迷惑なだけだ!」

「わかっています。だから僕は玲奈さんと結婚したいと言いました。ずっと昔から好きでしたが言い出せないまま、谷本さんに拐われました。2度と同じ間違いをしたくありません。僕は同情や気まぐれでこんなことは言いません!」


 静かに聞いていた玲奈が口を挟んだ。

「如月さん、今のお話はプロポーズですか?」

「そうだ!」

「なぜ最初に私に話してくれなかったのですか?」

「キミの心は谷本さんしかいないと知っているからだ。ぶっ飛ばされるのがオチで、2度と会ってくれないだろう。谷本さんしかいないとわかっていても、僕はキミと結婚したい、それだけだ!」

 はぁ…… 玲奈は大きくため息をついた。大輔は心配になって玲奈を支えた。

「姉ちゃん、マジに考えてくれよ!」

「大輔はいつから如月さんのパシリになったの?」

「パシリじゃないよ! 僕は姉ちゃんの子供には父親が必要だと思ったんだ。姉ちゃんはシングルマザーで育てると言ってるけど、それで子供は幸せか? 幸せになれるか? 可哀想だよ! 生まれた時から母親しかいない家庭で育った子が苛められたり、バカにされているのを知っている。僕は大人じゃないけど、姉ちゃんより世間を知ってるよ! 如月さんは悪い人じゃない、少しは考えてくれ、お願いだ! 姉ちゃんと子供が心配なんだよ!」

 大輔は目にいっぱい涙を溜めて大きな声で言った。

「大輔、ありがとう。心配かけてごめんね。大輔から説教されたわ」

 大輔の涙を拭いて、

「いきなりこんなすごいお話をいただいて驚いてます。でも私は子供ではありません、もうすぐママになります。それでも少し考えさせてください。如月さん、心配していただいてありがとうございます。申し訳ありませんが下がらせてもらいます」

 玲奈は座敷を後にした。叔父は目配せして桃子を玲奈の部屋に行かせた。


 静寂だけが座敷を取り囲んだ。

「如月君、飲むか?」

「はい、いただきます」

「玲奈は驚いたが怒ってなかったようだ、あれもいろんなことがあって変わったなあ。昔の玲奈だったらビンタだ。この前は大輔が世話になったな、何しに行ったかと訊いたが遊びに行っただけだと何も喋らなかった。あれはあれで玲奈を心配している。玲奈は中学生からアスリートの道を進んで、まったく世間を知らない。君を好きになったのは初恋みたいなものだ。そして谷本君のラブコールに負けた。俺は玲奈に何も言わない。玲奈の気持に任せようと思う。

 しかし君は思い切ったなあ、呆れたがそこが君のいいところかも知れんな。もし結婚できたとしてもすぐ一緒に暮らせるとは限らんぞ、それでもいいか?」

「覚悟しています。5年でも10年でも僕に気づいてくれるまで待ちます」

「それじゃあ、玲奈はオバさんになるだろうが、もっと早く決めろ! だから君は玲奈に逃げられたんだ、少しは反省しろ!!」


 玲奈はずっと考えた。大輔が「姉ちゃんは世間を知らない、生まれてくる子が可哀想だ」と言ったことがいつも胸にあった。私が頑張って息子を育て上げれば勇士さんは喜んでくれる、そう思っていたが息子の将来を考えたことがあっただろうか、勇士さん、教えて……

 10日ほど経って健斗に連絡した。

「東京のゲームで時間が取れたら会ってくれませんか」

 ホテルのティールームで待っていた玲奈は、あたりをキョロキョロと探す健斗に手を振ってここよと笑った。

「君が怒っているかとドキドキしていた。怒ってないだろうな?」

「驚きましたが怒ってはいません。あれからずっと考えました。どんなに考えても頭と気持の整理ができなくて、谷本さんのお父さまと山岡先生にご相談しましたが、おふたりとも如月さんの気持はご存知でした。山岡先生は3つのシミュレーションを提示なさって、世間知らずの私が理解できるように説明してくれました」

「そのシミュレーションとは?」

「私がシングルマザーを貫くと決心しても、1つは子供が成人する前に私が死亡することがある。次は私生児を抱えて再婚する可能性がある。3つめは子供が生まれる前に如月さんと結婚する場合です。選ぶのは君だが、僕は子供と君が確かな幸せを掴むことを願っているとおっしゃいました。

 勇士さんのお父さまは、私がどの道を選んでも援助するが願いはただひとつ、勇士さんの忘れ形見にいつでも会いたいとお願いされました。私は自分しか見えてなかった、子供のことを考えてなかったと知りました。でも心配があります、如月さんのご両親が反対なさることです。父がない子を産もうとする私との結婚を認めてくださるはずがありません」


「ああ、そのことか、それなら心配ない! 僕は近々結婚すると両親に報告した。そして彼女は身重でまもなく子供が生まれると言ったら、飛び上がりそうに驚いた。そして、まさかその子はオマエの子かと訊くから、当たり前だ、僕の子だ! こう言ったら本当に飛び上がった。

 内緒だが親を騙した。真っ先に身近な人間を騙すと後々スムーズに行くんだ。キミにぜひ会いたいとうるさかったが、緊張して早産したら大変だ、生まれたら会わせると無視した」


 思わぬ説明に玲奈は笑い出した。

「ずいぶん大胆ですねぇ、呆れました。それでお願いがあります」

「お願い? 僕ができることか?」

「プロポーズって本人だけに告白するものでしょ、もう一度言えますか?」

「玲奈さん、僕と結婚してください! もっと言えるぞ、言おうか」

「1回でけっこうです。でも、後悔しませんか?、いきなり子持ちの妻帯者になるんですよ」

「後悔なんて絶対しない! 正直言うとキミは僕の初恋の人なんだ。それでキミの返事は? まだ聞いてないぞ!」

「私も正直に言います。まだ心の中には谷本さんがいて、夢も見ます。それでもいいですか? そしてしばらくは東京にいます」

「キミが僕を気にかけてくれるまで、5年でも10年でも待つと叔父さんに言ったら、だから谷本君に取られたんだ、少しは反省しろと怒られた」

 玲奈は面白そうに笑い出した。


「聞いてくれますか、話したいことがあります。私はナショナルチームのスキー選手でした。でも3年間も指導してくれたコーチにレイプされた…… そして何もかもイヤになってスキーをやめたけど、両親はとっても怒った。それで両親と別れたの。その頃の私は怖くて悲しくていつも死にたいと泣いていた。そんなときに大輔が姉ちゃんになってくれと言ったの。それから少しづつ元気になって大学生になれた。如月さんを素敵だと思って胸がキュンとしても、それが好きだってことかわからなかった。小学生からスキーばっかりで、恋なんて知らなかった」

 健斗は何も知らないふりして、玲奈が初めて話す過去のアクシデントを聞いたが辛かった。この子は無菌室で育っていきなりレイプに遭ったのか……

「玲奈、もう止そう。僕は大輔君のお姉さんの玲奈がいちばん好きだ。彼は僕の弟になりたいと言ったんだ。これからは玲奈と呼ぶぞ。結婚なんて未知の世界だがはっきり言う、今の玲奈を愛している! これは本当だ!」

 叫びにも似た健斗の大声に、ティールームは一瞬静まったが拍手と笑い声に包まれた。玲奈は頰を染めて健斗を見つめた。

 玲奈は男を愛したことがないかも知れない。谷本さんと関係したのは愛されて安心したかった、そうだろう。それほどこの子は絶望の淵に沈んだままだった。キミは僕の子のママになるんだよ、僕と幸せになろう……


 夫になった健斗はメールやケイタイは毎日だが、東京の試合日は玲奈に会いに来た。1時間ほど話をして、時々玲奈の腹を触って坊やは元気そうだと安心した。

「坊や、パパよ、わかるかな?」と呼びかける玲奈が愛おしくてたまらなかったが、体のケアがあるから宿舎に戻りますと帰って行った。あのバカ! 何年待つ気だ、しっかりしろ! 叔父は人知れずぼやいた。

 12月25日の早暁、大きな子で難産だったが玲奈は元気な男児を産んだ。「お腹が空っぽになったから腹ペコです」、付き添っていた叔母を笑わせた。夕方になり勇士の父が病室に駆け込んで、よく産んでくれたと大喜びした。新生児室で赤児を抱くと涙が止まらなかった。よく似ている、勇士が生まれたときとそっくりだ。勇士が残したタカラだ! 

 そこへ健斗がジャージのまま走り込んで、勇士の父にバツが悪い表情で頭を下げた。

「君の長男だ、よく見てくれ。僕は勇士と如月君とふたりの立派な息子を持って幸せだよ」

 涙が乾かない目で健斗を見上げた。

「僕が玲奈の夫になって申し訳ありません。玲奈と谷本さんの子を一生かけて守ります、幸せにします」

「そんな話は止めよう、君は僕の息子なんだよ。人生は長い、そして何が起きるかわからない。玲奈さんと孫の将来を不安に思ったときに、君の気持を聞いた。勇士に君の話をした。勇士はわかってくれたと思う。ところで君はいつから玲奈さんと一緒に暮らせるんだ?」

「いや~ まだわかりませんが、息子が僕の顔をわかるようになる前に何とか同居したいですが、まだ言い出せません。玲奈の心に任せます。ひとつお願いがあります。息子に名前をつけてくれませんか。玲奈もそう願ってます」

「僕でいいのか? 本当にいいか? 実はずっと考えていた名前がある」

 勇士の父は空中に文字を書いた。それは勇斗と健士だった。

「ありがとうございます。どちらにするかママに決めてもらいましょう」

 健斗はウィンクして笑った。


 それから3年の月日が流れた。玲奈が山の向こうに隠れる夕陽を見つめていると、バタンとドアが開いて、

「ママぁー ジィジ! ジィジが来たよ! あのね、いっぱい遊んだんだ!」

 泥だらけの手足で勇士の父に抱かれた勇斗が叫んだ。健斗はジィジのプレゼントの大きなおもちゃの箱を抱えて笑っていた。勇斗は幼い瞳をキラキラさせて、玲奈の膨らんだ腹をなでまわした。

「ジィジ、ボクはおにいちゃになるんだよ!」

<完>



最後までお読みいただきまして、本当にありがとうございます。

私はアスリートが大好きでさまざまなスポーツを応援させていただいております。アスリートは活躍できる時間が限られて、その時間枠で最高のパフォーマンスを成し遂げて輝きます。自分に妥協して、居心地の良い空間に逃げ出すことは許されません。

自己を見つめて、自分が可能な最高のパフォーマンスを見せてくれるアスリートを尊敬します。それで私の小説はスイマーやエースストライカー、セリエAやV1のアスリートが登場しますが、お許しください。

 読者の方々でアスリートではなかった方も、ややこしいことなんて何も知らなかった、考えなかった、それでいいと思っていた熱い青春の日々を重ねて、お読みいただければ嬉しいです。

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絶望と希望のルフラン 山口都代子 @kamisori-requiem

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