第15話 神な無き神社に据えられし魔の神の権能

 外堀通りと目白通りが交差し、さらに、大久保通りの起点にもなっている、すなわち、道が五股に分かれた「飯田橋交差点」は、東京都内の中でも屈指の複雑な多叉路(たさろ)の一つである。

 実を言うと、この五叉路(ござろ)の一本、九段下側の目白通りは、外堀通りに接する直前に枝分かれし、〈V〉字状態になっている。この右側が、神田川に架かっているコンクリート製の「船河原橋(ふなかわらはし)」で、これも含めると、飯田橋交差点は、複雑で変則の〈六叉路(ろくさろ)〉になっている。

 さらに、この船河原橋の付近は、二つの水の流れ、外堀と神田川が合流している地で、これらの水流は、可視的な区の境界になっており、したがって、船河原橋では、戦前までの区分けで言うと、牛込区と小石川区と麹町区、現在の東京・二十三区制では、新宿区、文京区、そして千代田区という三つの区の境界が交わっており、こう言ってよければ、船河原橋こそが、飯田橋交差点の真の中心になっているのだ。


 この、空間的〈敷居〉たる船河原橋を渡らんとしていた灯とアイムは、橋の真ん中辺りまできた時に、透明な壁のような何かにぶち当たり、それに弾き飛ばされるようになって、一人と一柱は、最初の出会いの場であった、富士見の坂上の「東京大神宮」にまで、まるで、ゲームにおいて強制的にスタート地点にまで戻されてしまったかのようになったのであった。


「なあ、なあ、汝よ。なあったら、なあ」

 東京大神宮の境内の丸椅子に座った灯は俯き、しばしの間、、ぶつぶつ呟きながら思考の深い海に沈んでしまったかのようになっていた。だが、繰り返され続けていた、アイムの呼び掛けにようやく気付いて、ゆっくりとその顔を上げた。

「ふむ。やっと、ワレの声が耳に入ったようじゃの」

「あ、アイムさま、どんなに考えてみても、自分達が千代田区から出られず、果ては、ヌリカベに弾き飛ばされたようになって、〈お伊勢さま〉にまで戻された理由にまるで検討が付きません。い、一体、な、何が起こったのです?」


「汝よ、あの交差点、特に、ワレらを飛ばしたあの橋、あれは、本当にすごいぞ。まったくもって人の子も侮れんな。この領域は、内に在る何かを守護する〈結界〉になっており、それを解かさぬ為に、幾重もの〈敷居〉を交わらせ、その強固な〈結節点〉こそが、あの橋なのじゃ。どんな術者が構築したのやら、会ってみたかったものじゃ」

 アイムは早口で、こう捲くし立てた。

(守護……、結界って? そうか、江戸城、あるいは皇居を守る為の……)


「しかし、どうやら、人の世の数え方で七十年ほど、その結界は機能していなかったらしい」

「でも、通過不可能な壁が」

「既にあったその術陣を下敷きにし、その上をなぞるようにして、ワレを守護する円陣が描かれ、その内側がワレの神域になった、という事じゃろう」

「アイムさま、御自分の結界なら、自由に出入りしたり、解除を自分で出来たりしないのですか?」


「出来ぬこともないが、術の解除の手続きがちと面倒での。実は、この世に召喚された際に、ワレは、神不在の社の留守神として、この地に結び付けられてしまい、この神社が統べる区域以外には、よう出られんようになってしまっておるのじゃ」

「か、神不在って? い、一体、ど、どうして? あっ! そ、そうか……、〈神無月(かんなづき)〉だっ!」


 神無月とは、月の満ち欠けに基づく太陰暦における第十番目の〈月〉の呼び名である。

 ちなみに、現代の太陽暦の十月が必ずしも神無月に相当する分けではない。旧暦に置きなおした場合、令和六年の神無月の朔日は、西暦二〇二四年の十一月の一日に当たっており、そして今年は、旧暦たる太陰暦と、新暦たる太陽暦の月の切り替わりが合致している、という稀有な年となっている。


 旧暦十番目の月が、神の無しになる月と名付けられているのは、例外を除いて、日本全国の神社に鎮座している八百万の神々が、それぞれの鎮座地を離れて、出雲大社に赴き、ここで会議をするからである。だから、旧暦第十番目の月は、全国の大部分の神社では神が不在になるので〈神無月〉、反対に、神が集まる出雲では〈神有月〉と呼ばれている分けなのだ。


 ちなみに、国津神の長たる大国主大神を主祭神としている出雲大社には、〈国津神〉だけが集い、天照皇大神ら〈天津神〉は出雲にはいかない、という説もあるらしい。また、天津神もまた出雲に赴く、という説もあるそうだ。

 かつて、『神道概論』という講義で、こうした幾つもの説がある事を知った灯は、伊勢神宮の内宮の主祭神たる天照皇大神を除き、天津神もまた鎮座地を不在にするとしたらそれは、出雲に行くためではなく、天照皇大神などの分霊が本体がおわす伊勢の神宮に里帰りするからではないか、という自説をレポートで展開した事があった。


 灯のレポートは、根拠となる信頼性の高い文献が無かったため、評価は芳しくはなかったのだが、まさか、今日この場で、偶然にも、天照皇大神や造化の三神ら〈天津神〉の分霊を祀っている東京の「大神宮」において、神々が不在になっている事実を知る事になるとは思ってもみなかった。

 

 各々の鎮座地から神々が旅立つ〈神立(かんだつ)〉は、原則として、長月の末日に為される。ここ東京大神宮においても、太陽暦の十月三十一日にして太陰暦の長月晦日の〈日の入〉になった瞬間、神々は神社から〈お飛び〉あそばせた。

 そして、東京の神宮から神が旅立ったのとまさに同時に、東京大神宮にて、魔界から火の魔神たるアイムが召喚され、まさに偶然にも、アイムは、旅立った日本の神々の代わりの留守神として、この社に据えられてしまったのだ。

 その結果として、魔神アイムは、東京の大神宮が統べる範囲外には出られなくなってしまったのだった。


「何かを燃やさせ、ワレがエクスタシーを覚え、汝との契約が完遂するまでは、この結界の外には出られんよ」

「アイムさまが結界外に出られない理由は理解できたのですが、どうして、ボクまで千代田区から出られないのです?」

「それは、汝がワレと結ばれたからじゃ?」

「えっ!?」

「だって、ここは〈縁結び〉の神の社なんじゃろ」


 留守神となった魔界の神は、元々、東京大神宮に祀られていた、縁結びの神たる〈造化の三神〉が有していた〈権能〉を引き継いでしまっているらしかった。

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