第14話 五叉路の飯田橋交差点、戻れない、帰りたい

 火の魔神が右手に握っていた、松明に似た炎の剣から吹き出ていた火炎の勢いが徐々に弱まってゆくのが、灯にもはっきりと見て取れた。

 そして、剣を覆う焔の力が弱まってゆくにつれ、それと反比例するように、東京大神宮の境内に人が近付いて来る気配が強くなり出した。


「ま、魔力が、わ、ワレの魔力が急激に減じ、け、結界が決壊してゆく……。完全に〈魔火(マビ)〉が消え去るその前に……」

 そう言うや、火の魔神は、手にしていた火剣を背中の鞘に収めたのであった。


「アイムさまにとって剣に灯っていた〈火〉とは?」

 灯が火神に問うた。

「火とは、ワレの魔力の具現化じゃ。強ければ燃え盛り、弱まればか細くなってゆく。じゃから、完全に消え去るその前に、鞘に入れ、これ以上の消費を抑えた分けじゃ」

 

 あの剣、まるで〈MP(マジック・ポイント)〉のゲージみたいだな、と灯は率直にそう思った。

 ところで、この炎髪の魔神の言から察するに、召喚の際に、魔法陣を中心に東京大神宮を取り囲んでいた人払いの結界の効力が弱まり、その結果として、大神宮の境内に参拝客が戻りつつある、という事なのだろう。


 ちょ、ちょっと待てよ。こ、このままじゃ、さすがにヤバイだろ。

 頭に角を付けた、蛇に乗ったハンサムな赤髪の大男なんて、人目を惹き付ける要素が満載だ。

「アイムさま、ここじゃ、ちょっと目立ち過ぎます。とりま、ウチに行きましょう。ここから歩いて二十分くらいで着けるので」

 灯の下宿は、区を跨ぐ事になるのだが、飯田橋に隣接した新宿区の神楽坂に在る。

「ふむ。餅は餅屋、郷に入っては郷に従えじゃな。ここは、この世の者である汝の言に従う事としよう」


 かくして、アイムの手を引いて、灯は、休憩所の方の出口から東京大神宮を出ると、「大神宮通り」から「目白通り」の方に向かう坂道を下った。


 東京大神宮前から飯田橋駅前までの短い道行きの間、蛇と角という魔神があまりにも〈悪〉目立ちし過ぎているので、酔っ払いに絡まれたり、あるいは、警察に職質されたりしたらどうしよう、と灯は内心冷や冷やしていたのだが、これらの懸念は全くもって杞憂であった。


 アイムの〈傾いた〉外見を気に留めるものなど、誰一人としていなかったのだ。


 そういえば、グリモワールの写本や魔神召喚の事で、意識からほとんど外れていたけれど、今宵は〈ハロウィン〉なのだ。


 午前中の大学のキャンパス内では早くも、牛や馬の被り物で、たしか……、〈牛頭鬼(ごずき)〉や〈馬頭鬼(めずき)〉だったかに扮した、お調子者の大学生を何人か見かけていた。また、神保町や九段下周辺では、東京ドームや武道館で催されるライヴに、ハロウィン・コスで参加するのかもしれない、例えば、頭に猫耳や角のカチューシャを付けたり、ミイラやゾンビのメイクをした、何人ものライヴ参加者とすれ違った。

 その時、灯だって、ハロウィンだからという理由で、そうした非現実存在の模倣者に対して逐一反応はしなかったではないか。

 つまり、今日この日が十月三十一日に当たっていたおかげで、アイムの奇怪な外見もハロウィンの仮装だと見なされ、飯田橋界隈の人々の関心を引かなかったのであろう。

 時々、こちらをチラチラ見る人が多々いるのは、別の理由、アイムの顔立ちの良さのせいであるにちがいない。


 やがて、目白通りまで出た人一人と神一柱は、そのままこの大通りを左折し、飯田橋駅前を通り過ぎると、「都道四〇五号」、皇居の周りを取り囲むように走っている、いわゆる「外堀通り」にまで至った。


 厳密にはもっと詳細な不可視の境界線が存在するので、大雑把な把握になるのだが、「外堀通り」の内側が千代田区で、つまるところ、この大きな環状道路こそが区と区を区切る可視的な境界という事になる。


 そして、この環状道路の飯田橋駅東付近の交差点は、道が五つに分かれている〈五叉路(ござろ)〉になっていて、その一路である、九段下方面から飯田橋に向かって走っている「目白通り」から、「外堀通り」を渡って、別の道に移る場合、平面的な歩道は、飯田橋駅側にしかないのだ。だからこそ、この辺りを頻繁に通っている灯は、目白通りの飯田橋駅側の歩道を取ったのである。


 かくして、アイムの手を引きながら歩き進んでいた灯は、「飯田橋交差点」の横断歩道を取って、外堀通りを渡らんとした。


 信号が緑に変わるや、JRやメトロの飯田橋駅から出てきた多くの通行人が、一斉に横断歩道を渡り出した。そして、灯とアイムもそんな一組であった。


 だがしかし、である。

 灯とアイムは横断歩道の真ん中付近まで至ったものの、 まるで、道の真ん中に透明な壁が築かれているかのように、そこから先に進めないのだ。しかも、立ち往生しているのは灯たちだけで、他の通行人は、こんな人通りの多い場所で、配信動画の撮影かフラッシュ・モブかよ、といった迷惑そうな顔をさせたり、舌打ちをさせながら、難なく道を渡ってゆく。

 そのうち、青信号が点滅し始めたので、二者は横断歩道を引き返して飯田橋駅前に戻ったのであった。


「な、なんで、ぼ、ボクたちだけ、道が渡れないんだよぉぉぉ~~~。だ、誰か説明してくれよぉぉぉ~~~」  

 この辺の地理に詳しい灯自身、横断歩道を渡れないなんて初めての体験なのだ。

「なぁ、なぁ、汝よ」

 だが、灯は思考の迷路に入ってしまったかのように、アイムの呼び掛けが聞こえぬようだ。


「そうだ! 横断歩道がダメなら、ワンチャン……」

 灯は何か閃いたのか、駅前の歩道橋の階段に向かい出した。


 五股に分かれている飯田橋交差点には、飯田橋駅側の外堀通りを縦に渡るための横断歩道が一つしかないため、四角形の陸橋が架かっており、つまり、灯は、その「飯田橋歩道橋」を使って外堀通りを越えんとしたのである。


 しかし、「大久保通り」に向かう、陸橋の〈左辺〉の三分の一辺りで、またしても透明な壁に阻まれ、またもや先に進めない。

 それから、いったん階段の方に戻って、歩道橋の〈下辺〉を取ってみたのだが、今度は、その四分の一程度しか進まぬうちに、再び何物かに通行を阻まれた。


「なあ、なあ、汝よ」

 灯には、未だアイムの声が届かない。


「そうだ。たしか、あと一つだけルートが……」

 灯は、目白通りを九段下方面に向かって逆走すると、メトロの出口前の横断歩道を渡った。

 実は、もしや、ここも渡れぬのでは、という疑念が頭を過ったものの、この目白通りの横断は問題なくできた。

 かくして、JRの駅とは反対側の歩道を取ると、もう一度、外堀通りの方に向かって進んだ。

 そして、高架下を潜り抜けると、そこでは、道が三つに分かれていて、左が、「飯田橋」に続く大きな目白通り、右が「水道橋」の方面に向かう細道、そして、真ん中が「船河原橋」に続く道である。


 船河原橋は、江戸時代の古地図にも出てくる、歴史ある橋名らしいのだが、令和のこの時代に見止められるコンクリートの橋は、昭和四十五年に架けられたものであるらしい。

 そして、そのコンクリ以前の、元々の「船河原橋」は、鍵型、いわゆる〈¬〉型で、その橋は、新宿区と文京区を結ぶ外堀通りの橋であった、との事である。

 つまり、この船河原橋の付近が、新宿区と文京区、さらには千代田区という、三つの区の〈境界〉となっており、このコンクリの橋が外堀通りに接している辺りに、飯田橋歩道橋のもう一つの階段があるのだ。

 

 だが、しかしであった。

 このコンクリートの船河原橋の真ん中付近で、灯とアイムは透明な壁に弾き飛ばされるようになって、気付くと、その身は東京大神宮の境内に、語の全き意味において舞い戻っていたのである。

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