第二章 十月三十一日、サウィンズ・イヴ
第13話 五重の〈敷居〉を越えた火の魔神
「アイム・アイム」
東京大神宮の境内の石畳に描き出された、〈魔法陣〉の如き円陣の中に立つ炎髪の男は、自分の顔に左手の親指を向けながら、そう言った。
その表情が、いわゆる〈ドヤ顔〉に思えてしまい、灯は反応に窮してしまっていた。
「アイム・アイム」
「………………………………」
未だ何の反応も示さないままの灯に向かって、炎髪の男はもう一度同じ文言を繰り返した。
「じゃ・か・ら、アイム・アイムだってばよっ!」
「???」
「ったく、シャレの分からぬ、召喚主じゃな。
ほら、汝が既に習得しておる、〈エイ語〉とかゆう言語じゃと、一人称の主語代名詞と、〈存在〉を意味する〈繋合(けいごう)動詞〉の連続は、ワレの名と〈音〉が同じなのじゃ、だから……」
「〈Ⅰ’m アイム〉! なんだ、ダジャレかよっ!」
「何を言う。同音異義語を駆使した高度な言語遊戯じゃっ!」
この遣り取りによって、蛇に乗った炎髪有角の、非現実的な恐ろし気な存在者に対する灯のイメージが一気に瓦解した。
あれっ!? それにしても、だ。
「ちょっといいですか、アイムさま」
灯は、おずおずと手を小さく上げた。
「よかろう。何か質問かぇ?」
「自分、ここまで何の違和感も覚えずに、アイムさまと普通に言葉を交わしてきたのですが、アイムさまは古のイスラエルの存在なのに、どうして、現代の日本語がペラペラなんですか?」
「その汝の質問に応じ、隠された真実を明らかにしよう。
それは、召喚の際に、召喚主たる汝と被召喚者たるワレとの間に、いわゆる〈パス〉が通ったからなのじゃ」
「アイムさま、そもそもな話なのですが、〈I’m(アイム)〉とか〈パス〉とか、どうして、現代の言葉である英語がポンポン出て来るのですか? もしかして、召喚時に現代の知識が全て脳にインストールされたとか、そもそも、過去や未来も含めた、古今東西のありとあらゆる言語が理解できるとか、そういった類の言語運用能力に関する〈チート持ち〉なのですか?」
「ノンノン。そこまで都合のよい万能な〈スキル〉など、ワレは持ってはおらん。
召喚主たる汝が扱う事ができる言語だから、ワレも扱える分けなのじゃ。
つまりな、汝に呼び出され、〈シキイ〉を越えた際に、紅き光を通して、召喚者たる汝と目と目で通じ合い、意識が混じり合ったのじゃ。そして、その際に、汝の母国語や、英語や仏語といった、そなたの獲得言語がワレにも理解できるようになり、かくして、汝との意思疎通ができる次第なのじゃよ」
「ということは、自分が未習得の、例えば、中国語や韓国語は分からないって理解でOKですか?」
「そのとぉぉぉ~りっ!」
目の前の炎髪の悪魔は、質問に対して真摯に答え、その話ぶりは、対話によって弟子の思考を活性化させるような、そう、プラトンに対するソクラテスのような印象を灯は受けた。
「アイムさま、ところで、今さっきの話の流れで気になった単語があって、〈シキイ〉とは一体どういった意味なのですか?」
「ふむ、〈シキイ〉とは、汝にも理解できる分かり易い言葉に言い換えると、そうじゃな……、〈キョーカイ〉じゃな」
「『教会』? 宗教施設の?」
「ちがぁぁぁう。さらに言い換えるか。
とある事態と別の事態との〈境〉、例えば、ある場所と別の場所との境、つまりは、川や山といった空間面の区切りの事じゃ」
「〈境界〉かっ! つまり、〈敷居〉って事なんだな」
「理解できたようじゃな」
「そうか、ここ、東京大神宮が在るのは飯田橋の富士見、つまり、坂の上で、さらに神田川の側だから、空間的には〈敷居〉が二重になっている事になるんだな」
「さらに言うと、旧年から新年に渡る〈年越し〉、月が切り替わり、夜空から月が消える〈朔(さく)〉、昼と夜との境たる〈日の入〉、こういった〈時〉もまた〈敷居〉じゃ」
「そっかっ! 太陽が沈んだばかりの〈黄昏時〉だから、今はまさに時間的〈敷居〉だっ! 否、魔なる存在と遭遇した分けだから、むしろ、〈逢う魔が時(おうまがとき)〉の方が合っているかもな……」
「ふむ、そして、今この時は、月や年の〈敷居〉でもあるのじゃ」
「そうかっ! サウィンだっ!」
そもそもハロウィンの起源たるケルトのサウィンにおいては、農作物の収穫後の晩秋、今の暦に置きなおすと〈十月三十一日〉の日暮れが、一年と一年の切れ目であった。
つまり、現代の暦における十月の末日の日の入とは、日の、月の、さらには年の、三重の意味における時間的〈敷居〉という事になる。
したがって、十月三十一日の東京大神宮とは、二重の空間的敷居にして、三重の時間的敷居、つまり、多重に敷居的な〈時空間〉なのだ。
「ちょっと待てよ。サウィンって、たしか……」
「ふむ、三重の時間的〈敷居〉たるこの日この時とは、現実世界と魔界との境が揺らぎ、二つの世界を繋ぐ〈門〉が開き易くなるタイミングで……」
「つまり、魔界からの召喚術の成功率もあがるのですね」
どうりで、自分程度の召喚者にも〈魔〉の呼び出しが成功できた分けだ。
でも……。
「ところで、偶然とはいえ、意図せずしてアイムさまを召喚してしまったボクは、例えば、願いと魂を引き換えにする、いわゆる〈悪魔契約〉を結ぶ事になるのですか? でも、自分、特に、誰かに叶えてもらいたい望みなんてないし、魂と引き換えなら、悪魔契約なんて願い下げなんですけど」
「クーリング・オフは不可じゃ」
「でも、自分、未だ何も叶えてもらってはいませんけど」
「ふふふ、既に契約は成立しておるよ。ワレの〈権能〉は、召喚者を賢明にする事じゃから」
あっ!
そういえば、今、妙に頭がキレているなって思っていたんだ。
「汝が質問した時点で、契約は結ばれた事になる」
「それじゃ、ボクの魂はあなたに奪わ……」
「ノンノン」
灯がみなまで言う前に、アイムは自分の顔の前で立てた人差し指を横に振った。
「ワレの望みは、汝の魂でも、ましてや、血肉でもないわ」
「でも、ロハって事はないでしょ。何と等価交換なのです?」
「それはじゃな」
「『それは』一体?」
「ワレにもやさせよ」
「えっ! 『もや』? どういう意味ですか?」
「この炎の剣で燃やさせる物を、ワレに献上せよっ!」
「えっ! 燃やすって、例えば何を?」
「これまでワレを召喚せし主、例えばソロモンは、賢明さと引き換えに、都市や城、あるいは、どでかい宮殿を燃やさせてくれたぞ。あれは気持ちよかったなぁぁぁ」
アイムは、何かを思い出して恍惚の表情を浮かべていた。
「そんな……。今、戦争をしている分けじゃないし、敵がいないこの平和な現代日本では、燃やすべき城や都市なんてありはしませんよ!」
この辺、千代田区で城や宮殿っていったら、旧江戸城跡たる宮城、皇居だけど、そんな情報をアイムに提供する分けにもいくまい。
「この炎の剣を振るえて、ワレがカタルシスを感じられる燃やせる物ならば、別に都市や城には拘らんよ」
「何でもいいのかよっ!」
灯は思わずツッコミを入れてしまった。
「アイムさまは、どうして、そんなに燃やしたいのです?」
「魔界の大公爵こと、ワレ、アイムは〈火〉を司る魔の神、物を燃やすのはワレの本性じゃ」
そう言って火の魔神アイムは、右手に持っている炎の剣を灯の前に差し出したのであった。
「ほら、ワレに疾く燃やさせろ」
「アイムさま、お願いですから、もう魔界に帰ってくださいよ。これをアイムさまへの自分からの願いって事にできませんか?」
「却下じゃ。何かを燃やし、ワレが満足を覚えんと、この契約は終わらんよ」
「マジかよ」
「あいやっ!?」
突然、火の魔神たるアイムは、驚きの声をあげた。
アイムの手が握っていた剣を覆っていた炎が小さくなり出していたのである。
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