第11話 〈復活の呪文〉の如き古ラテン語テクストの音読
大学で受けた講義や、これまで読んできたラテン語関連の書籍によると、現存する最古のラテン語のテクストは、紀元前七世紀の〈碑文〉であるらしい。
この紀元前七世紀の頃から数世紀の間使われていたラテン語は〈古ラテン語〉と呼ばれているそうだ。そして、古ラテン語は、これ以降のラテン語とは異なる特徴があるという。
大雑把な話になるのだが、〈古ラテン語〉と、後のラテン語の違いの一つは、使われている文字の数である。
そもそも、ラテン語の表記文字は、今現在、我々が用いているのと同じ、いわゆるアルファベットなのだが、現在のアルファベット〈二十六〉文字のうち〈二十一〉文字しか、古ラテン語では使われてはいなかったらしい。
その認められない五文字とは、〈G〉〈J〉〈U〉〈W〉〈Y〉の五文字である。
ちなみに、紀元前三世紀までは[g]の音を表わすのに〈Z〉が用いられていたそうなのだが、この時期頃に、〈G〉という文字が作られて〈Z〉の代わりに使われるようになる。
現存している資料によると、「キケロ」(紀元前一〇六~四三年)の時代までは、〈J〉〈U〉を除いた、〈X〉までの二十一文字しか認められないらしい。
この時代以降、例えば、ギリシア語由来の外来語を表記する為に、「Y」が追加され、さらに、〈G〉に取って代わられた「Z」が復帰し、アルファベットの最後に置かれたりして、やがて、ラテン語のアルファベットは、〈J〉〈U〉〈W〉を除く、〈二十三〉文字となったのである。
このように、文字数が〈二十三〉になった紀元前一世紀以降、数世紀の間使われてきたラテン語は、〈古典ラテン語〉と呼ばれ、今現在、現代人である我々が学んでいるラテン語とは、この後者の〈古典ラテン語〉の方で、灯が、大学で履修しているラテン語の講義でも、原則、古典ラテン語のテクストが取り扱われている。
そして、これは、大学一年の時に第二外国語として選択したフランス語の講義の際に、担当教員が語った雑談によって知った話なのだが、今現在、ソルボンヌ大学の周囲は「カルチエ・ラタン」と呼ばれているそうだ。ちなみに、〈カルチエ〉が〈地区〉の意味で、〈ラタン〉は〈ラテン〉のフランス語読みであるらしい。
とまれ、 ラテン語は、中世時代においては既に、話し言葉としては用いられなくなっており、もっぱら聖職者や学者達が読む文献に書かれている、いわゆる、〈書き言葉〉としての言語になってしまっていたそうだ。
しかし、パリの大学があった界隈には、聖職者や学者が集い、もはや書き言葉でしか用いられなくなっていたラテン語で議論が交わされていたらしい。つまり、この地区ではラテン語が飛び交っていたので、この事から、〈ラテン地区〉、〈カルチエ・ラタン〉という場所名になった、との事である。
なるほど確かに、現代において、ラテン語は日常会話においては用いられない、文語専用の言語なので、テクストを読んで意味さえ分かれば事足りるかもしれない。だがしかし、灯が履修している「ラテン語」の担当教員の、書き言葉用とはいえども語学学習の基本は〈音読〉という基本方針ゆえに、ラテン語のスペルの読み方ルールに基づく読みの徹底的な練習を灯は積み重ねてきた。
ラテン語におけるアルファベットは、完全な〈表音〉文字で、日本語のひらがなやカタカナ同様に、読み方ルールさえ分かっていれば、たとえ初見の単語で、意味が分からなかったとしても、発音〈は〉できる事になる。
実は、大学で最初に学んだ〈古典ラテン語〉と、キケロ以前の〈古ラテン語〉では、若干読み方ルールに相違点が認められるのだが、灯は、古い時代のラテン語の読み方も既に学んでおり、こっちの古ラテン語の読みの練習も繰り返してきたのだ。
そして、図書館で書き写している際に気付いたのだが、そのテクストの中では〈Z〉は用いられているのに、〈G〉と〈Y〉が一文字も書かれていなかった事から、この古書に書かれているラテン語は、紀元前三世紀以前の〈古ラテン語〉であるように灯には思えた。
古代ローマのラテン語のテクストは、現代の欧米言語と同じようにアルファべットを使っているのに、小文字は用いず大文字だけで書かれている。
この点はまだよい。
というのも、書き癖が強い場合、特に小文字において、〈n〉と〈r〉や、〈a〉と〈o〉の区別が付かない事例も多々あるのだが、大文字表記の場合、文字の判別の困難さは激減するからだ。
問題は、現代の欧米言語とは違って、ラテン語では、単語と単語の間にスペースを置くことなく、日本語のように単語を続けて書く点で、つまり、単語の切れ目が実に見分けにくい。ちなみに、このような書記法を〈スクリプティオー・コンティーヌア〉と呼ぶ。
灯が贖ったラテン語の古書も、単語と単語が分かたれていない、〈スクリプティオー・コンティーヌア〉が用いられていた。
それにしても、である。
古書に書かれていたテクストは文字にして千字程度だったので、書き写しそれ自体は一時間程度で終わったのだが、この過程において気付いたのは、単語の切れ目の検討が全く付かず、たしかに、古ラテン語とはいえども、分かる単語が一つとしてなく、辞書コーナーから持ってきた〈羅和辞典〉を参照してみても、結局無駄に終わってしまったのだった。
まるで、祖父母の家に行った時に、父と一緒に遊んだ、大昔のRPGゲームで、一時的にゲームを中断する時に提示される「復活の呪文」みたいだな、と灯は思った。
その呪文とは、全く意味を為さないひらがなの連続で、父曰く、一文字でも写し間違えたら、冒険が再開できないので、呪文の写しには大変気を遣ったらしい。
たとえカメラで写真を撮っても、デジカメもスマホも無い昭和なので、撮影したフィルムの現像には数日かかったらしい。
この父の実家への帰省の記憶を思い出した灯は、たしかにラテン文字は用いられているが、これは意味があるラテン語のテクストではなく、音をラテン文字に起こしたものではないか、と発想した。
欧米言語のテクストにおいて読みが怪しい場合に、アルファベットの下にカタカナでフリガナを振るみたいな感じだ。
神保町で出会ったブキニストのフランス人の老店主は、この古本は、プレラッティが所有していたヘブライ語原典のラテン語訳だと語っていたが、もしかしたら、この古書は、ヘブライ語のラテン語〈訳〉ではなく、ヘブライ語の〈音〉をラテン文字にした代物なのかもしれない、と灯は考えた。
とまれかくまれ、ラテン語学習者で、その読み方ルールをマスターし、音読のトレーニングを十分に積み重ねてきた灯には、意味が分からなくても、この千文字のテクストを読む事は可能なのだ。
そしてここで、日暮れ前の飯田橋の大神宮の境内にいる灯が、面白半分に発想したのは、この魔術書かもしれないラテン文字のテクストを、自然時刻における一日の境界である、十月三十一日、すなわち、月の境目であるこの日の日の入の時刻ちょうどにテクストを読み終わるように、速度を調整しながら音読してみよう、という企みであった。
漢字と仮名の入り混じりの日本語だと、一分間で読める文字数は大体〈四〇〇〉字、これが英語の場合だと、一分間で〈六〇〉単語が標準的な音読の速度だと言われている。ソースは不確かなのだが、英単語の平均文字数は〈四.五〉文字だと、灯はどこかで聞いた事があったので、これに基づいて計算すると、千字のアルファベットを読むのに必要な時間は四分から五分という事になる
かくして、灯は、スマホの時計機能を起ち上げると、〈十六時四十二分〉に音読を開始したのであった。
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