第04話 岩波〈内〉会場の〈深緑色〉のワゴン

 灯が見付けた『BOOKTOWNじんぼう』というWEBサイトには、〈神田神保町〉が世界一の本の街だ、と書かれている。それは、二〇二四年九月現在、この街に一二九もの書店が集い、数百万点もの書物が集められているからだ。


 そして、このWEBページでは、実店舗の位置を示す神保町古書店街の地図が参照できるようになっており、さらにそれに加え、「神田古書店連盟」に属している全ての店が、例えば、「文学」「歴史」「思想・宗教」「外国書」「社会科学」「自然科学」あるいは「サブカルチャー」といった、主として取り扱っているジャンルごとに分類されたリストのPDFファイルも掲載されていて、それを、閲覧者が自由に利用できるようにもなっている。


 灯は、〈グッディ〉でカレーを味わいながら、愛用のタブレットにダウンロードしておいたファイルを確認していたのだが、こうした書店のジャンル分けは、翻ってみると、神保町の一つ一つの古書店の、その専門性の高さを示しているようにも思われる。


 こうした実店舗に関する地図だけではなく、古本まつりの「青空掘り出し市」に関して、どの店が何処に何台のワゴンを出しているのか、その配置図が、古本まつりの開催に先んじてSNSにアップされていたので、灯は、その画像もまた、予めタブレット内に保存しておいた。


 この配置図の画像を見てみると、靖国通り沿いに店舗を構えている店は、原則、自分の店のほぼ対面にワゴンを設置しているのが分かる。

 この年二〇二四年に関しては、「靖国通り」沿いには一〇八台、靖国通り会場のほぼ中間、神保町交差点付近の「岩波会場」には四一台、すなわち、計一四九台のワゴンが設置されているらしいのだが、場合によっては、一つの店が数台のワゴンを出していたりもするので、どうやら、「神田古書店連盟」所属の一二九店の全てが、必ずしも青空古本市にワゴンを出している分けではないようだ。


 灯は、初参加の大学一年生の時は、古本街の地図もワゴンの配置図も敢えて見ずに、無数の本の中からピンとくる、そんな素敵な古本への一目惚れを期待して、この〈まつり〉に赴いた。なるほど、古本の海で波乗りするように、無目的なままにワゴンからワゴンに渡ってゆくのもまた、掘り出し市の面白い面かもしれないが、しかしそれは、砂漠の中で一枚の金貨を探し出すに似た行為で、初参加の時の灯は、〈古本サーフ〉をするだけに終始し、結局、何も買わずに終わってしまったのであった。


 だから、灯は思うのだ。

 〈古本市〉に参加し、欲しい本を手に入れる為には、夏と冬に行われる大規模な同人誌即売会と同じように、確かな指針が必要で、最低限用意すべきが、ジャンル分けされた書店のリストと、ワゴンの配置図で、〈この一冊〉といった素晴らしい本との運命の出会いは、そうした入念な準備の先にあるにちがいない、と。


 灯は、開催初日の二十五日・金曜日から毎日、雨天で中止の憂き目を見た日を除いて、講義やアルバイトの合間に足繫く神保町に赴き、ワゴンの一つ一つをじっくりと物色した。そして、前日、三十日をもってして、こうした丁寧なワゴン周遊も一巡し、ようやく、開催七日目の十月末日の木曜日に遂に、満を持して、古書購入に乗り出す事にしたのであった。


 かくして、この日、十月三十一日に、先ず最初に、灯が足を運ばんとしているのが、神保町交差点付近で催されている「岩波会場」なのである。


 この会場に、〈岩波〉の名が冠されているのは、神保町交差点の角地に位置している、「岩波神保町ビル」の周囲が会場になっているからで、さらに、この会場は〈外〉と〈内〉とによって構成されており、大通りである「白山通り」に面しているビルの〈辺〉が「岩波外会場」で、このビルと「岩波書店アネックス」という隣のビルとの間の細道の方が「岩波内会場」と呼ばれている。


 実は、カレー専門店〈グッディ〉は、この岩波内会場から僅か百歩以内の所に位置しており、昼食後すぐに、この〈内〉会場に向かいたい、と考えたからこそ、灯は、神保町に数多あるカレー提供店の中から〈グッディ〉を選んだ、といっても過言ではないのだ。


 神田古本まつりのメイン会場は、確かに、長さ約半キロメートルの「靖国通り」の会場の方かもしれないが、「岩波会場」の方もまた実に興味深いのだ。


 「神田古本まつり」の参加店は、当然、神保町古書店街の店が殆どなのだが、神保町以外に拠点を置く店も出展しており、この「岩波内会場」を構成している〈十一店・二十二ワゴン〉の内その約八割は神保町外に拠点を置く古本店であり、神保町古本店のエリアでないにもかかわらず、否、神保町外の店から成るエリアであるがゆえにかえってますます、この路地の狭いエリアは、〈愛書狂(ビブリオフィール)〉の関心を引き寄せているのかもしれない。少なくとも、灯はそんな一人なのだ。


 !?


 この岩波〈内〉会場の出入口付近まで来た灯は、とある違和感を覚えたのだった。

 それは、エリア内のほとんど全てのワゴンに愛書狂が群がっている中にあって、たった一つだけ、誰にも囲まれていない深緑色のワゴンを見止めたからである。

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