第一章 十月三十一日・昼、神保町の古本まつり
第01話 サウィン、異界の〈門〉が開く時
『西欧文化論』の担当講師の隠井迅は、講義時間が残り二十分を切ると、その日の講義内容と関連付けたり、あるいは、時季を得た〈雑談〉を、さもここからが本番とばかりに語り出すのが常である。
この日は〈十月三十一日〉で、隠井はこんな風に話の口火を切ったのだった。
「さて、今の日本においては、十一月三日は〈文化の日〉として国民の祝日になっていますよね。例えば、日本の大学の多くは、この日の前後に文化祭を行う学校も多く、うちとこの大学でも、二日と三日が文化祭で、明日一日は準備日で休校、四日の月曜の振替休日は片付け日になっていて、今日の講義を終えると、君たちは四連休に入る分けですね。
ところで、実はフランスにおいても、十一月の初旬は二日連続で国民の祝日になっていて、今年、二〇二四年に関しては、日曜日を含めて三連休になっています」
「先生、フランスも文化を祝う休みなんスか?」
「いやいやいや、どんな祝日かは日本とは全く違っていますよ。
ちなみに、こんなお休みです」
そう言うと隠井は、スクリーンにプレゼン・アプリを映し出したのだった。
十一月二日:万霊節 死者の日
十一月一日:万聖節 トゥッサン
TOUS/SAINT(S)
「十一月一日というのは〈トゥッサン〉、翌二日が〈死者の日〉と呼ばれています。『トゥッサン』は横文字ではこう綴るのですが、〈S〉と〈S〉との間に、こんな風にスラッシュ(/)を入れてみると、何を意味しているのか気付くかもしれません。つまり、〈全/聖人〉という意味で、日本では『万聖節』、あるいは『諸聖人の祝日』と呼ばれていて、つまるところ、トゥッサンとは、ありとあらゆる聖人や殉教者を祝う日なのです」
「先生、それじゃ、二日は、死人のお祭りなんスか?」
「この場合の〈死者〉とは、要するに、先祖の霊の事ですよ。だから『万霊節』と呼ばれているのです」
「あっ! お盆みたい」
「そのとぉぉぉ~りっ!」
さてさて、ここからは、一日の『トゥッサン』の方に照明を当てる事にいたしましょう」
そう言って、隠井はマウスをクリックして、フランス語のアルファベに対応する英語を映し出した。
十一月一日:万聖節 トゥッサン
TOUS/SAINT(S)
(英)All Hallows
「『トゥッサン』は英語に置きなおしてみると『オール・ハロウズ』になります。この〈ハロウ〉って音を聴いて、ピンときた受講生、いるかな?」
「もしかしてハロウィンとなんか関係があるって事っスか?」
「まさしくその通りで、そもそも〈ハロウィン〉って、次の単語が縮まったものなのです」
隠井はページを捲った。
十一月一日:All Hallows
十月三十一日:All Hallows’ Eve
「先生、イヴって、クリスマス・イヴの〈イヴ〉と同じっスか?」
「そうだよ」
「へぇ~、〈ハロウィン〉って、聖人の日の前の日って意味だったんだ。まさしく、『今だよ』って感じっスね」
「いやいや、〈今〉は未だ〈ハロウィン〉じゃないよ」
「へっ!? どうしてっスか?」
「そもそも、〈イヴ〉って〈イヴニング〉の事で、つまり、ハロウィンって、諸聖人の祝日の前夜であって、前日の昼の事ではないんだよ」
「前の日なら昼でも夜でも同じ事じゃなくないっスか?」
「そもそも、現代人の我々が使っている二十四時間制の時刻や日付と、キリスト教における〈時〉の基準は同じじゃなくて、一日の始まりと終わりは太陽が沈んだ時で、それゆえに、カキリスト教の典礼においては〈オール・ハロウズ〉は、十一月一日の零時から始まるのではなく、十月三十一日の日没から開始される分けで、だから、十月三十一日の晩を特に〈ハローズ・イヴニング〉、〈ハロウィン〉って呼んでいる次第なのさ。
だから、たとえ十月三十一日だとしても、太陽がサンサンと照っている昼の間は〈ハロウィン〉は始まっていない事になる分け」
「先生、それじゃ、今この時に『ハッピー・ハロウィン』って挨拶したら、それって、十二月三十一日の昼間に『あけましておめでとう』って言ってるみたいな事なんスかね?」
「言い得て妙だな。まあ、だからなんだけど、十月三十一日の昼に仮装しているのは気が早すぎで、僕はそういうのを〈フライング・ハロウィン〉って呼んでいるのさ」
「先生、ところで、なんでハロウィンでは〈コスプレ〉をするんスかね?」
「そもそも、〈ハロウィン〉は、ケルト人のドルイド教の〈サウィン〉という祭がその起源で、キリスト教はその信仰をケルトの地に広めるにあたって、ケルト土着の祭と全ての聖人を祝う祭を強引に合体させちゃったのさ」
「なんか日本の神道と仏教が合わさった、えっと……、〈神仏習合〉みたいな話っスね」
「まさしく」
「先生、ところで、その『さ・うぃ・ん』って一体どんな祭なんスか?」
「簡単に言うと、収穫祭にして年越しのお祭りの事で、つまりさ、農耕民族にとって、一年の終わりとは農作物の収穫が終わった時期で、ケルト人が信仰していた〈ドルイド教〉の典礼では、秋のこの時期こそが一年の境で、その年末・年始が今の暦で言うと、十月三十一日、もっと細かく言うと、三十一日の日没時な分け」
「先生、ケルトの新年が十月三十一日の晩って話は分かったんスけど、それがコスプレと一体どうゆう関係が?」
「まあ、聞けって。
ドルイド教の信仰においては、古い年から新たな年への、この〈時〉の境界の時期には、〈現世〉と〈異界〉の境界が揺らぎ、まさに、この時にこそ、異界の〈門〉が開く、と考えられていたんだ。そして、その〈門〉を通って、先祖の霊が現世に戻って来るって考えられていたのさ。
つまり、ドルイド教の年越しの祭である〈サウィン祭〉とは、一年に一度、異界から戻って来る死者の霊を祭る側面もあって、日本における〈お盆〉みたいなものだったのさ」
「まさに、『盆と正月が一緒に来た』みたいっスね」
隠井は、この反応がツボに入ってしまったらしく、しばらく苦しそうに脇腹をおさえていたのだが、やがて腸の捩れが収まると、息を整え、話を再開させた。
「だからこそ、キリスト教でも先祖の霊を祭る祝日が十一月二日に置かれている分けなんだけれど、とまれ、〈サウィン〉の時期に異界の〈門〉が開くと、そこを通って現世にやって来るのは先祖の霊だけじゃないんだよ」
「なんか、ようやく話が核心に迫ってきたみたいっスね」
「ここで考慮に入れたいのは、ケルトの民話の中には、このサウィンの時期に、突然、人が消えてしまい、その人物が、数年後に突如姿を現すといった、例えてみると『浦島太郎』のような物語や、まさにこのサウィンの時期に、美しい異性に出会い、結婚したものの、実はその者は人ではなかった、といった『雪女』のような話が認められるって事。
前者においては、現世と異界の〈門〉が開いた結果、それを通って、異界に迷い込んでしまった人が、再び〈門〉が開いた時に現世に戻ってきたというタイプの物語で、後者は、〈門〉を通って現世にやってきた異界の者と現世の人との〈異類婚姻譚〉になっているんだよ。
特に、この後者の物語内容が示唆しているのは、サウィンの時期に、現世と異界の〈門〉が開く時、死者の霊魂だけではなく、異界の存在もまた現世にやって来るという事なんだ。
そしてさらに、サウィンの時期に現世にやって来た異界人は、時として、異界に戻る際に、現世の人間を異界へと連れ去ってしまう話もあるんだよね」
隠井は、飲料水を口に含んでから続けた。
「さて、それでは、異界の者に拐わかされないためには、どうすればよいのでしょうか?
これは、自分が参照した文献には書かれてはいなかったので、僕の推測になってしまうんだけれど……」
このように〈ただし〉を付加えてから隠井は話を続けた。
「ケルトのサウィン祭を起源とするハロウィンの仮装は、〈門〉を通って現世にやってきた異界の者の姿を模倣したものであるのは間違いないでしょう。
思うに、ケルト人の中には、異界の者の姿に偽装すれば、魔物と同族だと勘違いされ、異界人の誘拐者の目をごまかせる、と考えた者がいたのかもしれません。とまれ、異界へと連れ去られないために、〈ハロウィン〉において、人は〈仮装〉するのではないでしょうか?」
ここで一息つき、時計をチラっと見た隠井は講義の〆に入った。
「いいですかぁぁぁ、みなさぁぁぁん。
SNSとかを見ていると、普通のコスプレ姿をアップしている人を沢山みかけますが、ナースやポリス、只のアニメ・キャラのコスプレは、断じて、ハロウィンの仮装ではありません。
つ・ま・り、です。
ハロウィンの仮装は、異形の者の姿の偽装でなくてはならないのです。
みなさんが、もし仮に、今日、仮装をするのならば、ぜひとも、可能な限りオドロオドロシイ異形の者の偽装をしてください。
普通のコスプレでは、異世界に連れ去られてしまいかねませんからね」
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