カクレクマノミの恋

大野木

カクレクマノミの恋

「ユウキ、来週誕生日でしょ、性別どうするの?」


授業の合間の休み時間、前の席の友人にそう質問された。


「あーもう来週か、早いな」


俺は今思い出したかのように返事をする。俺の誕生日は六月の半ば、比較的同学年より早く誕生日が来る。正直、ここ数週間そのことばかりを考えていた。


「うらやましいよ、私も早く性別決めたいし」


そういって前の席の友人は俺の机に、肘をついて頬に手をあてながら口を尖らせる。

まだ彼でも彼女でもないその人は、もう心に決めている性別があるみたいだった。


「んでさ、ユウキはどっち選ぶの?」


友人の質問を受けて、俺はいくつか席を挟んだ斜め前に座っている華奢な背中を見やった。少し長めに伸ばされた髪の横を、クローバーの小さいマークがついたピンで留めていた。

まだ性別の決まっていないその人は本を読んでいた。ピシッとした背筋に手を合わせて広げるように本を開いている。何の本を読んでいるんだろう、後で聞いてみよう。そう思いながら俺は前の席の友人の質問に答えた。


「ああ、俺は・・男かな」


前の席の友人が「やっぱりそうかー」と言って笑ったタイミングで次の授業のチャイムが鳴った。


✳︎


俺たちは無性だ。生まれた時は性別がない。


この世界には男性と女性の性別がもともとあるが、性別を選ぶのは中学三年生の間で、それぞれが十五歳の誕生日を迎えたタイミングだ。


俺たちが生まれるより数百年前までは、人間は生まれた瞬間に男か女か決まっていたらしい。ある時期を境に性別が存在しない人が誕生した。その人は第二成長期を迎えた頃に、生殖能力が著しく成長し、実は女性であることがわかった、というのが最初の事例だという。


当時は性の多様性というものが、世界各国で主張されるようになり、その出来事と連動するかのように、生まれた時は性のない人たちが誕生し始めた。


ダーウィンの進化論で、そのようになりたいという強い思いが、生物の進化に寄与するという説があるらしく、その思想がある程度影響した結果なのではないかと言われている。

この辺りの話は、歴史と生物・保健体育の授業でそれぞれ別の角度から教えられた内容だった。


それぞれが中学生までで体験した経験、持っている思想から自分の性別を心の中で決める。決めるだけで自然とその性別に体が変化していくという。


例えば気が弱い人、体の小さい人は女性になりたがる傾向がある。

スポーツ選手を目指す人は男になりやすい、もちろん女性のプロスポーツ選手もいる。


俺は、『俺』と自分のことを呼んでいることもあって、男になろうとしている。


小さい頃から戦隊モノが好きだったし、外でたくさん遊んだ。

男が一般的に好んで食べるカレーやラーメンが大好物だ。

身長も性別が決まる前では高い方の百六十五センチメートルのため、バスケ部に入っているし、今後もやっていきたいと思っている。


だから、俺は男が向いていると思う。


中学生になってくると、恋愛の話もクラス内で聞き始めることが多くなる。芸能人の誰が好きとか、性的魅力を感じるのが誰なのかという話から、大まかに自分はどちらの性別になりたいか公言する人もいるため、既にその前提で付き合う人たちもいるほどである。


どちらの性別を好きかということは、性別を決めるための大きな基準になる。


そこに関して、俺はというと・・


「あ、ユウキ」


放課後、俺は体育館でバスケ部の練習を終えて更衣室にいた。更衣室は基本的に性別が決まるまでは共用スペースが使われていて、性別が決まると着替える部屋が分かれる形になっている。

自分用のロッカーを開けて着替えようとしたところにカナタが入ってきて、そう言った。


「カナタ、部活おつかれさま」


カナタ、セミロングの髪に線の細い体、身長も十四歳にしては小さめで、俺とは幼なじみだ。

小さい頃から俺が好きな戦隊ごっこに付き合わせたり、こいつを連れて一緒に裏山を探検した。中学でも同じ学校で俺が誘ったこともあり、同じバスケ部に入っている。


まだ性別が決まっていないが、見た目はいわゆる女子のようで、カナタはきっと女になるんだろうな。


カナタは俺から視線を外して「おつかれさま」と呟いた。そのまま隣のロッカーから、着替えを引っ張り出すと、俺の後ろに立って背を向けて着替えを始めた。


なんだか最近カナタがよそよそしい気がする。二週間くらい前、部活の試合中に思いっきりぶつかって足を捻挫させてしまったのがよくなかったかもしれない。


「そういえば、足はもう大丈夫?」


俺のせいで、部活に支障が出てしまったら申し訳なくて様子を聞いてみる。


「あ、うん、もう全然大丈夫だよ。心配させてごめんね」


カナタの返事具合からぶつかったことがよそよそしい原因でもないみたいだ。


それならよかったと言って、着替えを続けるけど、更衣室は静かになってしまった。


何がいけないのかなと気になりつつ、俺は制服のズボンを履いた。目の前のロッカー扉の裏には、去年度の地区大会でカナタとチームを組んで参加して入賞した時の写真が貼ってある。俺がカナタの肩を組んで、カナタは笑顔でピースをしていた。


「ユウキ、もうそろそろ十五歳でしょ?」


カナタが沈黙を破って質問してきた。


「ああ、来週だ、最近みんなに言われるよ」


「ユウキが性別をどうするかって話?」


「そうそう、やっぱりみんな気になるらしいな」


俺たちは背中合わせのまま、会話をしている。

その間もシャツを羽織り、ボタンを上から止めていく。

俺の返事から少しして、後ろのカナタが息を大きく吸い込んだように感じた。


「ユウキはどっちになるの?」


「性別?」と俺は聞き返す。


「・・うん」


ユウキとは一緒にいるし、俺が男になるのは明白だと思っていた。


「俺はおと・・・」


そのため、俺はすぐにユウキに返事をしようとしたが、カナタに対してずっと気になっていて聞けなかったことがあり、そちらを先に聞くことにした。


「カナタはどうするんだよ、十五歳の誕生日、一ヶ月半くらい先だっけ」


シャツのボタンを閉じて振り返ると、俺はそう質問し返した。

カナタも半分くらいこちらに振り返っており、これからシャツを羽織るところだったので反射的に視線を外してしまった。

再度見直すと、カナタはすました表情で返事をした。


「僕は・・男になろうかな」


・・かなり、予想外の答えだった。


カナタは見た目は十五歳を過ぎた女子のような振る舞いをすることが多いし、いつも俺の遊びに付き合ってくれているだけの気がしていたから、てっきり女になるつもりだと思っていた。


「え、カナタ、男になるの?」少し声が裏返っていたかもしれない。


「うん」


「・・なんか、女っぽいから女かと思ってた」


「あ、これとか?男とか女とか関係ないよ、ファッションだよ」


カナタは髪の横につけているクローバーのピン留めに触れた。


「そう・・」

「あと背、高くなりたいし」


カナタはピンを触った手をそのまま自分の頭のてっぺんに手を当てて、その手を上下させる。

やっぱりバスケ部で体を小さいことを気にしていたのかと思った。


「ああ、そっか」


「うん、それでユウキは、性別はどうするの?」


再びの質問に対して、俺は内心かなり動揺した。自分が今まで考えていた未来予想図が一気に崩れ落ちるような感覚になった。喪失感というか、虚無感というかそんな気持ちが自分の中から湧き出てくるような気がした。


俺は少し間を置いた後に心を決めて返事をした。


「えっと、俺は・・」


✳︎


あれから一ヶ月後が経った。

夏の日差しが通学路のアスファルトを照らしていて、歩いているだけで少しずつ息が切れるような気がした。疲れて息を大きく吐いて下を向くと、履き慣れないローファーが見える。


「ユウキ、おはよう」


後ろから声をかけてきたのはカナタだった。俺も同じように挨拶を返す。


「ユウキ、一ヶ月経って結構変わったね」


カナタは優しい笑みで俺を見てそう言った。


俺は十五歳の誕生日で性別を決めた後、この一ヶ月でかなり体つきが変わった。

髪は耳を隠すくらい一気に伸びたし、以前より肉付きがよくなったというかその、胸も少し張っている状態だ。


そう、俺は一ヶ月前、女性になることを選んだ。


女になってからは『俺』という一人称も見直さないとと思いつつ、なかなか慣れないでこのままきている。


「かわいいじゃん」とカナタは俺を笑いながら煽ってきた。


「やめろって」俺は以前より少し高くなった声で言った。


そのあとカナタは俺の横に並んで一緒に通学路を歩いた。


「なんで女の子になったの?ユウキは男になると思ってた」


カナタが質問してくる。そうだ、俺だって元々は男になるつもりだったんだ。


「・・なんとなくだよ」


「なんとなくで決めないでしょ」


返事を考えあぐねている俺を見て、カナタは続けた。


「僕さ、男になろうと思ったの、ユウキも男かなーと思ったからなんだよね」


「え」と少し大きめの声が出た。男になりたかったって俺が理由?どういうことだ。


「今まで遊んだりバスケしてても、華奢だからあんまついてけなくて、ユウキと一緒にバスケやりたかったからさ」


カナタは前を見ながら歩いてそう言った。背が低いカナタが少し大股で歩きながら話す姿はなんだか楽しそうだった。


ただ、俺からしたらそうでもない・・カナタの発言から自分がとんでもない誤解をしてしまっていたことに気づき、動揺する。内心これからの人生どうしようとも思った。


「・・・ごめん」


「謝んなくていいよ、自分で決める大事なことだし」


「・・・」


「大丈夫だって!」


一気に黙り込んでしまった俺にカナタが慰めの言葉を投げる。

でもそうじゃないんだ。俺はカナタの真意を汲み取れないまま「女性」になることを選んでしまったんだ。


「いや、そうじゃなくて、俺が女になったの・・」


「うん?」


「カナタが男になるって言ってたからなんだ」


「え、なんで・・」


次はカナタが目を丸くしてこちらを見る。歩きながら大きく振っていた手は下がり、足は止まっていた。

勘違いの結果、大きな決断をしてしまったり、カナタが俺のために性別を決めようとしていたという本心を聞いて、俺の中の感情がどっと湧き出てきて言葉になった。


「だって、カナタが男になったら・・その・・付き合え、ない・・・し」


言ってしまった。男のように振る舞っていた自分が、女らしくなり、潮らしく感情を吐露している姿を、カナタはどう思うだろう。


「え、それで女の子を選んだの?」

「うん」

「ごめん、そんな大事なこと僕のために」

「いいよ、俺が決めたことだし」

「そっかぁ・・」


カナタは空を見上げて数歩足をすすめた。俺は何を言えばいいかわからず、その場に立ち尽くしている。


長い沈黙があったように思えたが、実際のところは十秒にも満たないくらいだったと思う。やがてカナタは振り返って、少し視線を外していた俺の顔をしっかり見つめて言う。


「・・僕、このまま男になるよ」


「あ・・うん」


そう、カナタは元々背が高くなりたいし、スポーツを続けたいから男になるんだ、と思い俺は頷いた。そこから続いたカナタの言葉は俺の虚を突くものだった。


「ユウキが女になったから、男になる」


「え、それって」


「うん、僕もユウキと、一緒にいたい、付き合いたい」


カナタの明確な言葉を聞いて、一気に涙が溢れそうになった。それと同時にすごく飛び跳ねたい衝動に駆られた。カナタの顔を見るとも俺を見つめていた。


俺が大好きな人の瞳がそこにあった。

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カクレクマノミの恋 大野木 @ramie125

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