あなたの書くものは

明鏡止水

第1話

「あなたの書くものは小説じゃないわ」


好きな人にそう言われた。

でもそんなにショックは受けないだろう、なんて僕は思っていた。


なのに全然、ショックだった。


「拙いのよ、本当に。あなた自分でも自分の作品を拙作って呼んでいるけれど本当に、幼稚。ライトノベルね」


ライトノベルだって、文学的な面があると思うよ。


「純文学が好きな君には、僕の、書いた文章の羅列はほんとうに読むのが苦だろうね」


そう言うと、彼女は悲しそうでどこか萎んだような花になる。


「わたしは、たしかに夏目漱石のこころとか、ハンチバックとか、又吉さんの火花とか、そういうの読むけれど……、でも、あなたの書いたものは、面白くないのよ」


彼女も彼女で本を読む割には口下手で、饒舌に語れることなんて一つもなかった。


「物語を書かない君に言われたくないよ」


ケンカしているわけじゃない。


「わたしは、読むのが楽しいし、書いてみたいことなんてないわ」

「きっと君の人生で一番高尚な文章はこれから提出する卒論だよ。違う?」


ケンカになってきた。


彼女は「高尚」なんて言葉が僕から出るとは思わなかったのか少しだけ動揺した後、卒論は完璧なことをなぜか苦々しく思っている。彼女の卒論はまさに彼女の得意な文学に関することだから。僕は学部が違う。

本当は小説なんて全然関係ない学部だ。

だっていうのに、僕は彼女が、好き、と言ったらほんとうにそうなんだとなんだか顔を覆いたくなるので、好ましいと思ってる、くらいにやんわりとした表現にしておく。でも多分好き。付き合えたらいい。


現在、僕らは睨み合っている。

どうして彼女と僕がこんな風に交流するようになったのか。


一人の女性が、大学の屋外の階段で本を落とした。

正確には、ハードカバーの高そうな、図書室で借りたであろうラベルの貼られた本を階段に蹴つまずいて、宙に放ってしまった。


向かい合って階段を登ろうとした僕が本が落ちる前に拾おう、としたが。キャッチした本は重くて、僕は長くて綺麗と女の子たちに褒められる自慢の指を階段の表面の凹凸で擦った。


彼女は本を放ってしまった時は泣きそうだったのに、僕が指をずってまで掴んだ本とその様子を見た時は表情が無かった。


「すみません」

「いや、ギリキャッチし損ねちゃった」


僕はザラザラとした階段で擦って血が滲んだ場所を見せながら本の裏表紙を掲げる。


「やだ、血が出てる」


まあ、大抵の女の子は心配してくれたり謝ったりしてくれるだろうと思ったら彼女は


「本に血がついてなくて良かった」


僕からスッと本をナチュラルに受け取りながらそう言った。

え、普通フリだけでも心配するじゃん。


「ありがとうございました」


本を掴み取ってくれた事への咄嗟の敬語や一連の出来事の後に感謝の意があるのはいい事なんだけれど、……。絆創膏頂戴。まあ、このままでもいいけど水で洗おうかな。


水。


「その本、主人公が先生と出会うの、海だっけ?」


表表紙をみていたので、なんとなく聞いてみた。中学生か高校生か、読んだのは覚えているのに内容が掻い摘んだ記憶だけで、なんとなく聞いてみた。指の怪我のことを根に持っていたし。


彼女は振り向いて、一言。


「海」


去って行った。


海。海だったか。川とか渓谷とかじゃなくて、海かー。手を洗おう。


別の日。雨が降っていた。講堂に湿気がこもる。食堂もそう。

涼しいと噂の図書室に行ってみた。

そこに、あの日あの本を空へ放った彼女がいた。

彼女は上着にいつも同じジャージを羽織っている。色は黒。下は白とかオレンジとか。スカートが多い。体型は細身だったけど、ジャージの上からでも胸はそこそこあるのがわかる。別に、変な目で見てない。僕は、というか大体の友達たちはまだまだすれ違う女の子や女性の顔や体型を意識してしまう人種だ。

明るくてサラサラの髪のタイプの体型の人がいたら追い抜き様に顔を盗み見て「ババアか」くらいは思う。

毎日違うスカートなのに毎日同じ羽織りというか上着というか。髪型も好みのショートボブなので気になってしまった。


「いつも何の本読んでるの?」

気軽に話しかけてみた。大学にこんな奴が一人くらいいたっておかしくない。というか、フレンドリーでいいと思う。……男子校育ちだから、ここらで女子に話しかけよう。いつもは話しかけられる側で悪くないと思ってるけど、トークは男子校の男子の生態とか、ガリ勉して東京の大学に行きたくて地元を離れた話くらいしかできない。

彼女は首を上げてこちらを向き、僕をじっと見る。


「何か用?」

「……この間落っことしそうになった本はダイジョブだった?」

「ああ、あの拾ってくれた人」


無表情だなあ、と僕は思った。血がついてないのも傷が無いのも確認したけど会話の糸口に使わせてもらう。トークの練習相手だ。

彼女は顔を伏せて世間話に乗る。


「ここの図書室、つまんないね。まあ、大学のランクからして期待してないけど」

「涼しくていいじゃん」

「本にはいいかも。紙が痛まなくて、湿気とかよくなさそう」


これは、会話ができている。僕は調子に乗る。


「そんなこと言って、ここにある本より面白い本、著作できますか」


ちょっと挑戦的だ。


彼女は不思議そうな顔をしながら


「著作する?」


と僕の言葉を繰り返した。


「普段聞かない言葉だから意味を教えてくれない?」

「え」


著作する……。書き物、みたいな。著作物の流れで言っちゃった。


「辞書、引いて」


それしか言えなかった。


「そこまでしなきゃか」


と、彼女は読みかけの本を開いたままで国語辞典を探しに行くようだった。わざわざ立ち上がったので。


「あーあ! マッテ!」


……。


「モッテクルヨ」


そこから、僕らは「著作する」を二人して辞書で引くことになる。


きっかけは、そんな感じ。


緊張しないし、たまに危なっかしいけど会話もできるし、男友達は何人かいて大学はぼっちじゃ無いし。


でも彼女はぼっちだった。


僕はぼっちな彼女がなんか好き、と気づいた。心は開いてもらえないけれど、彼女は多分一日大学で誰とも喋らない。話すのは僕とだけ。


彼女は天気や色に関する珍しい言葉が好きで、僕は小難しい読めない漢字の言葉が好きなんだけれど、メモを取らないからせっかくもどかしい思いやジタバタとする思いを表してくれた言の葉を、あの言葉はどこに書いてあったんだっけと本を彼女と一緒にパラパラと捲りながら1ページ1ページ探す。これは見つけるのは彼女の方が得意だ。彼女は、すこし、感情を滲ませながら。


「あなたは国語辞典を読んでいた方が幸せがたくさん見つかりそう」


と。


悔しそうだった。


彼女の好きな言葉は特殊な書房か色見本でしか出てこない。僕は鴇色、と言う言葉しか覚えられなかった。彼女は、べつに鳥の鴇の色は好きじゃ無いし、ちょっと好きな言葉の響きと違う。とむくれていた。あの彼女が、誰かに理解されなくて怒っている!


やがて僕は、自分の好きな言葉をより多用できるような物語を綴り始めた。突飛すぎる。どちらかと言うと趣味に走った作文みたいな。彼女に一枚渡してみた。


無言で読んだ。


顔をこちらに向けてナニコレ、という表情をする。

なんだろうコレ、面白い……。

自分の書いたものを他人に読まれるのは別に恥ずかしくなかった。だって、相手が相手だし。


「好きな語句を盛り込めるように物語を作ってみた」


「創作したの? 三題噺の言葉版てこと?」


その頃には彼女の口調もなんだか不思議な日本語になっていた。


「続きはこれ」

「え、読まない」

「え!」

「面白くないもの」

「まだあと二枚ある……」

「二枚だけなら」


そうして僕は原稿用紙三枚作文男になった。


ある日、彼女はとうとう僕の物語を拒絶した。


「君の言う面白いって何」

「つづきが気になること! 先が読みたくなるもの! 最後がどうなるか、読後感を想像せずに夢中になれるもの。気づいたらもう終わっちゃうの!」


「でも」


「同じ本ばかり読んでるよね。ローテーションだけど」


彼女は驚いた顔をした。


「新しい物語を探してないでしょ」


「……」


「君にはもう読んでもらえなくていい。でも友達から始めたい関係があるんだ。僕と本の話をするのは嫌?」

「……嫌じゃないし、男女の友達って憧れてた。わたし、女子校育ちだし」

「え! ほんとに?!」

「なんで食いつくの、気持ち悪い」

「俺、男子校育ち」

「おれ?」

「いい子ぶってたわけじゃないけど、見た目的に僕の方がウケるんだよ、女の子に」


あ。


「……話をするのはいいし、どうしても読んで欲しいものがあるなら読むけれど」


「友達から始まるってなに?」

「あー……」


始まる。始まる。これから始まるのは。


「俺と友達になって、それから、本のことも本以外も話して、一緒に東京観光しない?」


「地元を?」


「あ、都民……」


……。


彼女が少し乾いた唇を開いて


「面白い人とは一緒にいたいからいいよ。書くものは面白くないけど」


僕は、俺は、君のつづきの気になる人になれるだろうか。



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