空から降りてくるまどろみ

@icryoverships

単発

ここに初めて足を運んで以来の初秋、自分が変わったと気づいた。


何が変わったかというと、空を眺めるようになったことだ。隅のない晴れた空とか、綿飴の海のような曇る空。ずっと手が届かない空。


放課後に、踏切のすぐ一歩前でしばらく立ち止まった。危ないとわかっていたが、足が思わず止まって空に手を伸ばした。その薄いオレンジ色の空。


「空を眺めると生き甲斐を見つけられるはず」と、どこかで読んだことがある。賛成できるかどうか迷っていた。境界から境界へと広がる空を見るたびに、自分が生きても死んでも構わないくらい小さく感じた。


きわめて残酷だ。その美しさに感動していた詩人たちの涙を無視し、沈黙のままでただ雲の漂うを見張っている空。永遠に残る美しさなんてない。けれども、いつか私が死んで腐ってゆくのだろうが、空は永遠に近い程静かに変わらず存在する。さみしい思いだ。幽玄の本質である空は生き甲斐になるわけがない。


母国にいた時、あちこちに車で行ったからゆっくり空を眺める機会はそんなに多くなかった。でも、夕日が沈む時間になると、自分の部屋からの景色は紫色の天国だった。いつも写真を撮らずにいられなかった。まず、部屋の電気を消した。それから窓を開けて、いくつかの写真を撮ってから優しい風と一緒に空を鑑賞した。恋に落ちた少女みたいな私は顎に手を当てて菫色の空を仰いだ。


やはり、東京の夕日は負けている。東京の日暮なんて、光と闇のあいだの色が薄すぎる。ときにはオレンジ色さえなく、ただ空の青さが薄まって知らず知らずに暗くなる。憧れの人に取り残されたかのように、東京の夕日をちゃんと愛するチャンスをくれなかった。残念ながら。


で、踏切から離れて、自分もまどろみから離れた。曇ひとつない空が怖くなった。空はただ上にある穴だと意識したからだ。だから「空が落ちる」より、「空に落ちる」のほうが可能のだろう、と頭がぐるぐる訝った。


その圧倒的な広さと戯れたように、歩きながら何回も空をちらっと見た。そしてオレンジ色が濃く紺に色を変えたら、身体とより近い灰色のコンクリートに目を逸らした。


空、よ。明日も巡り会えると願った。

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