第7話 大団円
相手は、そのうちにお金を要求するようになった。
もちろん、脅迫などではなく、
「私、生活が苦しいの」
と言って、
「今の自分が、あまりにもみじめだ」
ということを演出するような話をしていた。
確かに生活は苦しそうだった。病気のせいで仕事ができないということが発覚し、状態的にどうしようもないのだった。
最初は、普通にお願いをしていたのだが、それだけでは済まないのか、次第にエスカレートしてくるのだった。
「惚れた者の弱み」
というべきか、どうしても、言われればお金を出してしまう。
そんなのが、何度も続いてくると、男の方も、実際に貯金を切り崩しているのに、
「たいして悪いことをしている」
という意識もなくなり、どんどん、つぎ込んでし合うのだった。
もちろん、お金を使うことに罪悪感はない。ただ、同じお金を使うにも、
「無駄遣い」
になってしまうと、
「自分は何をしているんだ?」
ということになりかねない。
ただ、そんな風になりかねないのは、
「相手の術中に嵌っている」
というべきなのか、
「まず最初に、相手がこちらのことをその気にさせる」
ということから始まる。
つまり、
「大好きだ。慕っている」
などと言って、相手をその気にさせておいて、次第に、こっちが、その気になってくると、
「いや、好きになったと思ったのは、勘違いだった」
というようなことを少しずつ言っておいて、少しだけ、留飲を冷ましておき、
「だけど、あなただけが頼り」
というような言い方をしてくれば、男というのは、意外とお金を出すものである。
「下手に好きなままにしておくと、ぎこちなくなった時に、お金を出してくれない」
とでも思ったのだろう。
一度同情からでも、お金を出す人は、
「別れるということがないわけなので、一度自分の信念でお金を出したのだとすれば、それ以降お金を出さないことで、相手がどうにかなってしまうと、その後悔をずっと背負っていかなければならない」
ということを考えて、
「援助を打ち切る」
ということができなくなってしまうのだ。
「中途半端な愛情からの同情よりも、最初から同情に訴えておく方が、相手の気持ちをグッと掴むことができる」
というものだ。
しかも、もし、これが愛情だとすると、一度貢いだことで、
「愛情表現だった」
ということであれば、二度目は、
「だったら、結婚しよう」
であったり、
「結婚前提でなかったら、出せない」
ということで、
「愛情と同情」
を切り離そうとするだろう。
だから、最初の施しは、
「愛情だ」
と思っても、二度目からは、違う形での愛のカタチをつくろうとする。
それが、結婚というゴールであるのだが、
「結婚というのは、ゴールではない」
ということを、相手は気づくのだろう。
そうなってしまうと、
「彼女に対する自分の想いは、結婚というものに向かっているのか、それとも、その先を見ているのか?」
ということであった。
しかも、結婚という見えているものの先には、何があるかというのは、
「一度結婚したことのある人間でないと分からない」
ということである。
しかも、
「一度でも結婚したことのある人が皆見えているといえば、それは、間違いである」
と言えるのではないだろうか?
「結婚というのは、人生の墓場だ」
と言われるが、まさにその通りではないだろうか?
だから、今の時代では、結婚ということ自体をしようとしない人も多い。
「社会が悪い」
という感覚もあるだろう。
結婚して、子供を産む感覚には、ほど遠い。
「子供を産んでも、奥さんも働かなければやっていけないという状態で、保育所の空きがない」
という問題。
「しかも、預けた保育所が、ロクでもないところが多い」
という問題から、子供を産むことに抵抗がある。
もっといえば、今の社会問題として、
「少子高齢化」
という問題があり、
昔は4,5人に一人の割合で、若者が老人を支えていたが、今は、2人以下くらいの割合で、支えているという。
さらに、将来的に、
「一人で一人を」
ということになると、
「働いた分の半分を老人のために使う」
ということになるだろう。
「子育て支援」
などと言って。政府が、
「子供もために支援金を出す」
などと言っているが、これだって、税金。
子供のいない人の分まで、子供がいる人のために使われるというのは、実に理不尽だ。
民主主義の考え方である、
「多数決」
ということを考えれば、
「明らかにおかしい」
と言えるのではないだろうか?
それを考えると、
「子供を育てよう」
という人もなかなか増えない。
もっといえば、
「これから生まれてくる子供たちの運命は、今の政府を射ている限り、悲惨なことにしかならない」
というわけだ。
「老人を養うために働く」
ということになり、しかも、今度は、自分が老人になった時は年金制度というのはなくなっており、
「元気な人は死ぬまで働く」
ということになる。
そもそも、政府が人為的ミスによって、皆の大切な年金を消してしまったことで、こんな風になってしまったのだ。
そんな、
「地獄しか見えてこないような世の中で、誰が子育てのリスクと一緒に、子供たちが生きていくうえでの、分かり切ったリスクを伴うという人生を、背負わせることになる」
ということを、保証しなければならないのだろうか?
そんな時代において、
「誰が結婚などするものか?」
ということである。
しかも、今の若者は、
「草食系男子」
などと言われ、セックスというものをすることすら、違和感のようなものがあるだろう。
確かに、
「結婚して、子供を産んで」
ということから、
「子孫繁栄」
などというのは、古臭いというよりも、今では、下手をすると、
「胡散臭い」
とすら言えるかも知れない。
今のように、政府がいうように、子供ができなければ、老人を養うことができない。
というような話であれば、それはあくまでも、
「公共の」
ということになる。
しかし、片方では、一つの家族を見れば、
「何で、苦しい思いをして子育てまでして、金を掛けなければならないんだ?」
ということである。
政府が、そういうのなら、
「子供を育ててやるから、養育費は国が払ってくれ」
であったり、
「養育費を全部タダにしろ」
と言いたいくらいである。
しかし、そんなうまくいくわけもなく、結局、子供をつくる人がいないどころか、結婚する人もいなくなったくらいで、社会構造が、以前と違った形に変化をしていたのだ。
だから、
「恋人ができない」
という人であれば、身体にたまった、
「欲求不満を解消させる」
という意味で、風俗店が流行ってもいいはずなのに、それも、別に売り上げが伸びているわけでもない。
逆に昔と違って、
「嬢になる」
というのも、暗いイメージばかりではないので、実際の風俗嬢は、
「夜職」
といって、昼間は、事務員などの
「昼職」
を行って。夜は風俗で働くという子も増えているのだ。
そんな社会情勢なので、昔でいうところの、
「健全な男女交際」
というのもうまくいかなくなっている。
そういう意味で、あいりのような女性も増えてきているのかも知れない。
「男性をちょろく騙す」
という感覚である。
しかし、実際に、そんな、
「ちょろい」
という男はいるかも知れないが、騙されて、金銭までも提供してくれるような男性はそんなにもいないだろう。
しかも、別れる時も、執着される可能性もある。
そんな時、どのようにすればいいのか、それを考えておく必要もあるだろう。とにかく、まずは、
「騙すことができそうな男性」
というものを探すのが大変である。
今は見た目と実際が一致しないタイプの男性も多いだろうから、見極めるというのも難しい。
本当に、
「ヤバいタイプの男性」
というのが、いるのかも知れない、
そのために、あいりは、つなぎとめるための方法として、
「とにかく、毎日トラブルがあるようにしておいて、相手に考える隙を与えない」
ということ。
これは、今までにも行われていたことであり、実際に、離れることができなくなってしまった証拠となっている。
それを思えば、
「最初から、計画されていたのか?」
ということを感じることができるとすれば、
「この時であるに違いない」
と言えるだろう。
トラブルがあったことで、相手は、余計に、
「この人を守ってあげなければいけない」
と感じる。
しかも、トラブルがある時は必ず連絡をして、助けを求めるようにしておくのだ。
しかし、ずっと続けていると、お互いに疲れてくる。そのため、しばしの休息期間を持つと、下手をすると、聡い相手であれば、
「相手は、自分がトラブルを抱えていたり、面倒なことがあった時だけ、俺のことを頼ってくるのではないか?」
と感じるのだ。
そんなことを考えると、
「都合のいい時だけの、便利屋なんじゃないか?」
と相手に思わせると、せっかく、
「俺がナイトだ」
と思っている相手に、
「俺は都合のいいだけの、男ではないか?」
と思われてしまうと、一番大切な、
「金ずる」
としての立場が失われてしまうという可能性だってあるではないか。
それを考えると、
「このままではまずい」
と考えるようになり、
「次の段階」
へと進むようになるのだ。
その、
「次の段階」
というのは、
「同じ目的で、同じような効果を得るのだが、同じようなやり方だと相手に悟られるのではないか?」
という考えが頭に浮かぶのだった。
ということで、考えられたのは、
「相手の非をこちらから指摘する」
ということだ。
こちらに、注目させておかなければならず、しかも、相手にこちらへの注目することに、
「余裕」
というものを与えてはいけない。
ということを考えると、いわゆる、
「脅迫観念」
というものを植え付ける必要があるというものである。
そのような発想のことを、
「洗脳」
あるいは、
「マインドコントロール」
というのだ。
相手にいくら自分の方を向けさせるためとはいえ、余裕を与えてしまっては、せっかくの計画が、
「水の泡」
となってしまう。
そのためには、
「脅迫観念」
というものが必要となるのであった。
そんな状態にまで持ってこられたのは、やはり、
「相手による洗脳」
だったのだろう。
そんなことを考えていると、もう一つ気になるところが出てきた。
というのは、
「何か、デジャブ的な感覚がある」
ということだった。
自分は、洗脳されているという意識はなく、とにかく、
「俺が何とかしてあげなければいけない」
という思いだった。
「それがどこから来るのか?」
ということを想像してみると、それが、
「同じようなシチュエーションを感じた」
ということが頭の中にあるのを思い出した。
「ああ、そうだ。つかさとの時のことだ」
ということである。
つかさとの最後の別れの時を思い出せないでいたが、それがどこからくるのかを、やっと思い出した気がした。
確か、最後のあの時に、
「あの人、最後の最後まで私のことを考えてくれた」
と言ったのだ。
つかさがいう、
「あの人」
というのは、そう、結婚しようとまで思っていて、別れなければいけなかった人。
その人のことを
「いまだに思っている」
ということを感じ、しかもその人が、
「もうすでに、この世の人ではない」
ということを感じると、
「俺には太刀打ちできない」
と感じたのだ。
「死んだ人には追いつけない」
それが、つかさと思った時の心境だった。
そして、同時に感じたのが、
「俺には、もう何もできない」
というもどかしさだったのだ。
だから、今度出会う人には、つかさと同じ思いをさせたくない。つまりは、その時の男性はこの自分っであり、
「一人にしてはいけない」
という思いだったのだ。
この思いがあるから、自分は、少々騙されたとしても、気付かない。下手をすれば、
「騙されているかも知れない」
と思いながらも、
「相手を疑ってはいけない」
と思うようになった。
それを考えると、自分が洗脳されているのは、仕方がないことであり、何もしてあげることのできなかった、つかさに対しての、
「罪滅ぼし」
なのかも知れないと感じるのだった。
それを思うと、あいりに対して、本心としては、
「早く自分たちの過ちに気付いてくれ」
と願っていた。
そもそも、騙されている自分が、騙されないようにすれば、相手に通じるのではないか?
とも思うのだが、それよりも、彼女に対して、
「いかに許してやればいいのか?」
というのが、自分にとって、
「いかに、つかさに報いればいいのか?」
ということであった。
「だが、もう無理なんだ」
ということを、山岸は身に染みていた。
「今までどうして忘れていたというのか?」
それは、
「つかさという女性が、すでにこの世の者ではない」
ということだったからである。
つかさに対しては。
「洗脳」
ではなく、
「洗礼」
というものを浴びせられているような気がして、つかさを思い出したことで、少し気分が晴れてくるのを感じたのだった。
( 完 )
洗脳と洗礼 森本 晃次 @kakku
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