外国の童話もあれば、日本の昔話もある
公園でシャボン玉を楽しんだわたしは、早智と別れて帰宅した。
機嫌よく部屋に入ったとたんに、姿見の向こうからミヤが手を振る。
「日咲! グッドタイミング! いまからお手伝い、お願いできるかな」
「え? 今日一日で二回も?」
「お願い~」
鏡の中で手を合わせるミヤに、わたしはいいよと笑顔を向ける。
時間が止まる鏡の中だ。わたしは疲れているわけではないから、それほど問題ではない。
「了解でーす」
そう言って、わたしはミヤへ左手を伸ばすように、鏡の中へ入っていった。
「――あれえ?」
わたしとミヤは、なんとなく違和感を覚えながら周囲を見回した。
赤い光を放つ四角い穴から這いでてみれば、目の前には青々とした海が広がっている。
穴の外へ出るときにはいた運動靴の下は、真っ白でサラサラの砂――砂浜だ。
海とは逆側には、たくさんの木々が集まって立っている。
「ここって、どこだろう?」
わたしとミヤが首をかしげていると、本に視線を落としていたイツキが、ぼそりとつぶやいた。
「ここは、どうやら『浦島太郎』の世界だな」
「浦島太郎?」
わたしとミヤは、同時に声をあげる。
「童話なのに、日本が舞台の昔話なんだ?」
「そりゃまあ、アンデルセン童話や『不思議の国のアリス』のように、作家が書いた作品もあるが、グリム童話や日本の昔話のような民族説話がベースのものもある。童話は、子ども向けの民話や神話、伝説や寓話、作られた物語をまとめて指すんだ」
「そうそう。日本の昔話も、大正時代までは『わらべものがたり』って言い換えられていたそうよ。まさしく童話よね」
物知り顔となって、ミヤも続けた。
なるほどね。
わらべものがたり、漢字にしたら童話だわ。
「出てきた場所が砂浜だけれど、どんな場面なんだろう?」
「えっと……。『浦島太郎』なんでしょう? 砂浜の場面としては、亀がいじめられている冒頭か、竜宮城から戻ってきた最後じゃないかな……?」
「だとしたら、この砂浜を歩いてみて、亀と子どもたちが一緒にいるところか、浦島太郎が帰ってきたところを探すってことでいいのかな?」
わたしとミヤは、交互に案を出す。
「もしかしたら、浦島太郎が玉手箱を失くしていて、それを探すお手伝いかもよ」
わたしは、前回の白ウサギの懐中時計を思い浮かべながら言った。
すると、ミヤも応える。
「玉手箱を開ける瞬間は、浦島太郎と一緒にいたくないな。一気におばあちゃんには、なりたくないもの。玉手箱を渡したあとは、ダッシュで離れようね」
「巻き添えはいやだものねー」
「ねー」
「とにかく、浦島太郎なのか亀なのか、砂浜を歩きながら登場人物を探そう」
そう言って、イツキは手にしていた本をぱたんと閉じた。
やっぱり、海にきたら、波打ち際を歩きたくなるよね。
わたしとミヤはスキップをするように、砂浜を歩く。
波が寄ってきたら、ふたりで悲鳴をあげて飛びのき、そのたびにイツキに睨まれる。
けれど、楽しいものは仕方がない。
「イツキも、そんな顔をしていないで、一緒に歩こうよ」
「断る」
いつもの服装のイツキは、濃紺の細身のパンツのすそを濡らしたくないのだろうか。
波が届かないところで難しい表情のまま、ゆっくりと踏みしめるように歩いている。
男子って、こういうところで遊ぶのが好きだと思っていたんだけれど。
流星なら、絶対に奇声をあげながら波に向かって駆けていくだろう。
それとも、中学生以上になると、そこまで大はしゃぎしないものなのだろうか。
そんなことを考えていると、遠くのほうで、ポツンと黒い影が見えた。
「――あれ、亀、かな?」
「うん。大きな亀だ。人が乗れそうなくらいに大きな亀。ゾウガメ? リクガメ?」
立ち止まって、わたしたちは遠くから様子をうかがう。
浦島太郎ってたしか、腰みのをつけて、釣り竿を持った漁師だったはず。
そんな恰好をした浦島太郎らしき人物は、近くに見当たらない。
そして、いじめる子どもたちの姿も見えないので、亀はのんびり砂浜で、甲羅干しをしているみたい。
「あれは……?」
「どういう状況だと思う?」
わたしとミヤは考えこむ。
すると、イツキが思いついたように口を開いた。
「もしかしたら、いじめる子どもたちが現れないことが、この物語が困っていることじゃないかな。いつまで経っても、物語がはじまらない……」
その言葉を聞いて、ミヤがパッと片手をあげた。
「はい! わたしがひとっ走り、子どもたちがどこにいるのか見てくる!」
そして、そのまま木々のほうへ向かって一気に駆けだした。
「あ、わたしも」
「日咲はイツキと一緒に、亀の様子を見ていて! もしかしたら、浦島太郎が姿を見せるかもしれないし! もし現れたら、引きとめる人がいるから!」
そう叫びながら、ミヤは林の中へ消えていく。
「そうか。いま浦島太郎がやってきたら、平和に甲羅干しをしている亀を横目に、通り過ぎちゃうよね? 竜宮城へ行くストーリーが変わっちゃう……」
わたしの言葉に、イツキはうなずく。
そして、ミヤが戻ってくるまで、わたしとイツキはあたりを見回しながら、ジッと待ち続けることにした。
「イツキ! 日咲!」
数分ほど待っただろうか。遠くから、ミヤの声がした。
顔をあげると、林の中から、ミヤがひとりで駆けてくる。
「お帰りなさい! どうだった?」
わたしも、ミヤのほうへ駆け寄りながら声をかける。
すると、立ち止まったミヤは膝に両手をついて、つかの間、呼吸を整える。
それから、わたしとイツキの顔を交互に見ながら口を開いた。
「子どもたちを、林の向こうの村のはずれで見つけたの」
「本当? それで?」
「うん、でも、もうすでにストーリーを変えられちゃっているみたい」
「どういうことだ?」
イツキが眉をひそめた。
ミヤは、困惑した表情で、言葉を続けた。
「子どもたちは海岸までやってきて、亀をいじめる気がなくなっていたのよ。通りすがりの旅人風の人から、子どもたち全員、コマをもらったんだって。いまは子どもたち、それで遊ぶことに夢中みたい」
「コマ?」
「ああ、あれだ。たぶん、ひもで巻いて回転させる
イツキからの説明を聞きながら、その姿かたちが、わたしの脳裏に浮かんだ。
小学校の一年生のころに、ご近所の老人会の方々がやってきて、生徒に昔の遊びを教えてくれたことがあった。
そのなかで、手のひらに乗る大きさの独楽に、ひもをぐるぐると巻き、そのひもを思いっきり引っ張ることで回転を作って、独楽を回す様子を見せてもらったのだ。
たしかにあれなら、浦島太郎の時代の遊びとして、おかしくはない。
子どもたちも、亀をいじめるより、夢中になる遊びだと思う。
でも――浦島太郎の物語としては、非常にまずい。
「それにしても、旅人風の人物か……。たぶん『黒い森の魔女』だな」
目の前の空間を睨むように考えこみながら、イツキがつぶやく。
「どうしようか」
困った顔でミヤが言ったとき、わたしは、林の奥に動く人影を見つけた。
「――あれ! あれって、もしかして?」
ミヤの服のそでを引っ張りながら、わたしは、林のほうを指さす。
そこには、海へ向かって歩いてくる、浦島太郎の姿があった。
「まずいな……」
イツキの言葉の意味は、よくわかる。
このままだと、浦島太郎は亀の前を、何事もなく通り過ぎてしまう。
そして物語は、いつまで経っても、はじまらなくなってしまう。
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