向こうの世界は童話の中

「大きな声をあげるなよ」


 背の高い草むらに身をひそめながら、イツキがささやいた。

 同じように穴から出てきたわたしとミヤも、イツキの横でしゃがむと、黙ったままうなずく。

 でも、わたしの頭の中は、はてなマークがいっぱい。


 森の中に見える、ここはどこ?

 これから、なにが起こるの? なにをするの?


 すると、イツキが、ポケットの中から一冊の本を取りだした。

 手のひらに乗るくらいのサイズの本で、厚さは三センチほど。

 表紙はこげ茶色の革でできている。

 いかにも古めかしい本だ。


 その本が、イツキの手のひらの上で勝手に開くと、風もないのにパラパラと薄い紙を繰りだした。

 そして、とあるページを開いて止まる。


「うん。ここは『赤ずきん』の世界だな」

「え? 赤ずきん? えっと、赤ずきんちゃんとオオカミが出てくる、あの童話の?」

「そう」


 そして、イツキは周りを見回しながら、説明をはじめた。


「日咲。ぼくとミヤは、童話の世界に入ることができる。そして、困っている童話の手助けをしているんだ」

「――えっと? それって、どういう意味?」


 わたしには、さっぱり意味が分からなかった。

 ミヤが口をはさむ。


「世界中に、たくさんの童話があるじゃない? でも、その童話の中身を変えちゃう人がいるの。童話は、もともとあるストーリーをみんなに読んでもらいたいから、童話の中に入ることができるイツキに、元に戻してって助けを求めてくるのよ。赤い光は、その合図なの。わたしは、イツキのアシスタントよ」

「すぐに、どういうことなのかわかってくるはずだ。しばらくは静かに眺めていろ」

「はい……」


 素直に返事をする。

 でも、心の中では、少しムッとした。


 静かに眺めていろだなんて。

 そういえば、さっきも、足を引っ張るなって言われた。

 戦力にならないって思っているのなら、最初からわたしを誘わなければいいのに。

 ああ、でも、ミヤのお願いだから、仕方がなかったのだろうか。

 ミヤは、なんでわたしを選んだのかな?

 鏡の向こう側の本体のわたしが、一番引っ張りこみやすかったから?


「それでイツキ、『赤ずきん』でも、今回はどの話なの?」


 ミヤの言葉を聞いたわたしは、疑問を口にする。


「どの話って? だって『赤ずきん』なんでしょ?」

「それが『赤ずきん』でも、いろんな種類があるんだ」


 イツキは、手もとの本を見つめながら、わたしに説明してくれた。


「もともと『赤ずきん』は童話のひとつだ。代表的なのは、ペロー童話集やグリム童話に収録されている。それぞれ内容も違っていて、ペロー童話集では、赤ずきんはオオカミに食べられて終わり。グリム童話では、猟師が登場して赤ずきんとおばあさんは助けられる」

「オオカミに食べられて終わり? 赤ずきんちゃんもおばあさんも、助けられないの?」

「そういうこと。さらに別の話では、猟師がオオカミを撃ち殺すけれど、赤ずきんは助けだされないパターンもある」

「そうなんだ……」


 わたしは、軽くショックを受ける。

 自分の知っている童話に、いくつもの終わり方があるなんて知らなかった。


「時代や対象年齢によって、残虐性を減らしたりハッピーエンドにしたり、手が加えられて後世に伝えられるのが、童話やおとぎ話というものなんだろうな」


 そうイツキは説明したあと、ミヤに向かって言葉を続ける。


「そして、今回の『赤ずきん』は、グリム童話タイプ。猟師が登場して、赤ずきんとおばあさんを助けだす終わり方の話のようだ」


 それを聞いたわたしは、心の底からホッとする。


「それで、わたしたちって、いま『赤ずきん』のどの場面にいるのかな? ここに赤ずきんが通りかかるの? オオカミと出会ったあとかな?」


 ミヤの言葉に、わたしもうなずく。

 わたしも、自分がどの場面にいるのか、興味がある。

 そして、どうやって困っている童話を助けるのか、早く知りたい。


「おそらく、もう赤ずきんもオオカミも、この道を通り過ぎているようだ。このまま道にそって、おばあさんの家まで行ってみよう」

「了解!」


 元気よく手をあげてミヤは返事をする。

 異論がないわたしも、すぐにうなずいた。


 土でできた、でこぼこ道を歩いていく。

 両側は背の高い木が生い茂っている、山の中の一本道。

 頭上の青空からは、小鳥のさえずりが聞こえてくる。

 土と草の混じった空気の匂い。

 とても、童話の中の世界には思えない。


 ミヤが元気よく先頭を進み、わたしは、その後ろをついていく。

 一番最後はイツキ。

 彼は、周りを観察しながら歩いているためか、少々遅れ気味だ。

 急にミヤが、横の木々のあいだを指さした。


「あ、見て見て! きれいなお花畑がある!」

「本当だあ」


 思わずわたしも声をあげる。

 それくらい、色鮮やかに咲き乱れるお花畑が、木々のあいだから目に飛びこんできた。

 わたしも、たぶんミヤも、花の名前には詳しくない。

 名前は知らないけれど、よく道のはしのほうで咲いている、ピンクや黄色、青い花が、目の前で一面に咲いている。


 ミヤとわたしは、そっちに向かって駆け足になった。

 そして、そのお花畑に飛びこむように、足を踏みいれる。

 たちまち花の甘い香りが、ふわっと、わたしたちを包みこんだ。


「夢みたい」

「ステキ!」

「きみたちは、なにをやっているのかな」


 あきれ顔のイツキが胸の前で腕を組み、冷ややかな声をわたしたちにかける。


「少しだけ、少しだけ」


 そう続けたミヤに、イツキは目を吊り上げた。


「おばあさんの家にお使いに向かった赤ずきんが、花を摘んでいけばいいというオオカミの言葉にそそのかされて道草をして、どんな目にあったのかを知っているんだろう? 同じことをするんじゃない! ほら、さっさと行くぞ!」

「きゃあ!」

「ひゃあ!」


 わたしたちはイツキの怒号に追い立てられ、早々にお花畑から飛びだした。



 一本道を歩いていると、やがて小さな家が見えてきた。

 ぽつんと建つ一軒家。

 石造りで、こちらから見える向きでは、木製の扉がひとつ、窓がひとつ。

 家は、それほど大きくない。


「たぶん、あの家だ。童話の世界は、ストーリーに関係のない、よけいな建物は出てこないからな」


 イツキの言葉にうなずいて、わたしたち三人は、そろそろと家に近づいた。

 そのとき、地面の下から響いてくるような音に気がつく。

 ごお~。ぐわ~。

 なんの音だろう?


「――ねえ、変な音が聞こえるよね?」

「うん」


 わたしとミヤの言葉に、無言でイツキもうなずく。

 とても嫌な予感。

 いきなり扉を開けるわけにはいかないので、そお~っと窓へ近寄っていった。

 そして、伸びあがって窓ガラス越しに中をのぞく。


 家の中では、木製のベッドの上で大の字になった一匹の大きなオオカミが、いびきをかきながら眠っていた。

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