8.三人デート

 もうそろそろ夏の暑さではないにしろ、汗に体をつつかれる昼が少し続く。今日もまたいつも通りに来る休日を彼女に捧げていた。


 ショッピングモールには家族連れや中学生のカップル等、様々な人間がいた。

 通りかかる人の顔や服装は一々覚えてはいないが、このモールの飾りにしか過ぎないので、描写する必要はない。


 ただ舞菜だけは違う。彼女だけが人工知能によって作られた模造的背景の一部ではなく、ちゃんとそこに存在していた。


 もし俺が彼氏だったら、振り返った様子や店内の服や小物を見ている所を写真や動画を撮って「やめてよ」と笑いながら崩れる彼女を見れただろうに。


 あるはずもない未来に思考を割く時間はなく、次々と新しい店に行く。現役高校生の体力にはついていけず、ただ置いていかれないように歩いていた。


 すると背景の一部でしかなかった群衆の中に一人だけ、一流の画家に丁寧に制作されたであろう女性とすれ違った。


 目が合うと、両者共々驚いた。


「田外さん?」

「今橋さん?」


 今橋は普段のオフィスで着ている服より色味が暗く、快活なズボン姿であった。仕事以外で会う仕事場の人間は何となく後ろめたさがあるが今橋なら、そのジメッとした感情を押し殺さなくていい。


 なぜなら彼女自身でさえ、その湿気を表にも裏にも出さなかったからだ。おかげでリラックスした状態で話しかけることが出来る。本当にありがとう。


「よくここのショッピングモールに来るんですか?」

「いや、連れが休日遊びたいと申すのでたまたまですよ」

「いいですね、友人と休日を過ごすのは。社会人になってから友達と遊ぶ機会なんてほぼなくなりますもの」


 格好はスポーティだが、その話口調といい身振り手振りは清楚そのものだ。これこそ品格のある大人ではないだろうか。


 周りの景色が見えなくなりかけた時、後ろから「田外さァん…」と、石を引きずったような低音が響いたので振り向く。


 そこには私服の舞菜であり、その顔からは嫌悪が滲み出ていた。


「ナンパするとか有り得ないんだけど」

「いや会社の同僚な?」


 この空気が壊れていくのを気遣ったのか、今橋は俺の前に来た。そして社会に出てから身につけたお得意の愛想笑いを浮かべた。


「初めまして、今橋カガミと言います」


 年上のお姉さんにお辞儀をされたので、渋々彼女も自己紹介をする。この二人の間には独特の溝が形成されつつあった。


「林切舞菜です」

「田外さんの…彼女さんかしら?」


 この人は何を言い出すんだ。思わず自分の唾でせてしまった。彼女はさっきまで建築されていた理解し合えない溝を自らぶち壊した。


「そうでぇ〜す!」


 上機嫌でいい返事をするものだから、今橋は納得してしまった。これはまずい。


「違う違う全く違う。この子まだ高校生ですよ? 何言ってるんですか」

「あら、そうなんですか?」


 彼女はきょとんとしている。たまに天然になる所があるのだが、それは今じゃなくても良かっただろう。


 舞菜は何故か残念な顔をしており、俺の隣に来て両肩にがっしりと手を置いている。その可愛らしい手を退けた。


「そんな否定しなくても…」

「否定しなきゃ未成年淫行で捕まるわ」


 彼女には申し訳ないが、同僚に高校生を誑かしているクソ野郎とは思われたくない。そうなってしまえば社会の底辺に転げ落ちてしまうからだ。いや、もうそうなのかもしれないな。

 同僚にベビーシッターであることを話すと、今橋は頷いた。そして溝をぶち壊した舞菜は今橋に提案した。


「今橋お姉さんも一緒に来ます? 実は夏に着る服が欲しいんだけど中々いいのがなくて」

「部外者がついてきてもいいんでしょうか…」

「いいじゃん行こ! あ、タメ口使っちゃった」

「いえいえ、むしろそっちの方がいいですね。私、友達がいないのでタメ口で話される機会が上司と話す程度しかないんです。何だか私にも友人が出来たようで嬉しいんです」

「じゃあマイこれからタメ口でいくよ」


 二人が並んで歩くので、俺はその後ろを追いかける。オタクならではの発想だが、百合の間に挟まるなんて重罪だ。カサブランカの香りを遠くから嗅ぐだけでいいのだが、花達はそれを許さず、女子高生が俺を引っ張っていく。


 相変わらず店はいくつも並んでおり、その中に入ると、工場で生産された洋服が人工的に置かれていた。服がかけられたハンガーを二人は持って、鏡の前で試行錯誤していた。


 足が疲れたので近くの小さなソファに座る。その光景を少し遠くから見ているので、彼女達のスタイルの良さが際立つ。舞菜は百七十ほどあるのだが、今橋も負けてはいないが、やはり少し低い。


 あまり服には興味がないので、二人が話している言葉が耳から耳へと流れる。これこそ馬耳東風、昔の人も話なんてろくに聞いちゃいなかったのだ。


「絶対お姉さんこれ似合うって。多分パーソナルカラーがブルベ冬だから似合う」

「うーん、少し派手すぎませんか? あ、これなんて舞菜ちゃんにどうでしょう」

「上品なお姉様って感じの服だぁ…こういう系統は着たことないかも」

「田外さんはどう思いますか?」


 まさか話題を振られるとは。今橋が持っているのは少し黄色味のある白のブラウスで、襟のところがリボン帯になっている如何いかにも、彼女が選んで着てそうな服だ。


 普段の舞菜は様々な服を着るが、大抵は若さに身を委ねて、ミニスカやホットパンツなど足が出ているもの、Tシャツやタンクトップが多い。こういった上品な服はあまり見たことはないので新鮮である。


 少し想像してみる。もう彼女だって十七で彼氏だっている。可愛らしい服装に身を包み、大学生になった頃には実家が金持ちで車を持っている奴と出会い、そしてそのまま顔の良さと人格で就活も難なく終わり、二十代でソイツと結婚して幸せな家庭を築く。


 これが所謂いわゆる僕が先に好きだったのにというやつか。何ともはた迷惑な感情だ。昔は良かったと省みる気持ちはないが、何となく寂しくなった。いや、死ぬほど嫌だ。


「…デッカイ唐揚げで喜んでいたあの子は、もういないんだなぁ…」

「成長噛み締めてんだけど」


 彼女は三つか四つほどハンガーを持って、試着室へと移動する。俺と同僚もまた試着室付近についていく。


「とりあえず試着してくる〜」


 カーテンを閉める音が、ファッションショーの開始の合図である。近くの店員が舞菜のことを滅茶苦茶に褒めるので目もつけていなかった服も試着する。


 やっと終わった所で、今橋は彼女の元へ行き、話し合う。


「モデルさんのように全部似合ってましたね」

「でもね〜結局こういうのが一番なんじゃないかなぁーって思う」


 舞菜は試着室に置いていたカバンからスマホを取り出す。そのスマホケースにはパフェムーントレンドの写真やシールが入れられていた。それを見て、今橋は一瞬だけ顔色が曇った。やはり彼女はパフェカラが嫌いなんだろうな。


「パフェムーントレンド、お好きなんですね」

「めっちゃ好き! だって強いし」


 それから、別の話題へと移ったようだが何も聞いていなかった。ひたすら今橋が何故、パフェカラの話題について顔をしかめるのか気になって仕方がなかったからだ。


 そのまま日は沈み、もう別れの時間が来てしまったようだ。


「今日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。楽しかったです」

「また遊ぼーバイバーイ」


 互いに反対の方向へ歩く。もう家族連れや若年層はいなくなっており、この夜には同世代の人間や観光客が星となって輝いていた。


 駅まで歩くたびにすれ違う似たりよったりのカップルを見てしまう。俺が青いせいか、いや、この歳でもう青いなんて言葉は使えないか。


「ああいう落ち着いた同い年のお姉さんがタイプなの?」


 隣にいる舞菜は真っ直ぐ前を見ながら話した。俺は今橋に対する正直な気持ちを吐露した。


「今橋さんは同僚、特別な感情や下心なんかあってみろ。オフィスが泥沼化するぞ」

「じゃあどういうのがタイプなの。ずーっと推しいないじゃん。グッズとかも買わないし」

「それとこれは別だろ。まぁ、改めて考えると好みのタイプって難しくないか…うーん」


 ふと、自分の恋愛経験を振り返ってみた。


 高校で初めて告白して彼女が出来たが、すぐに別れた。あまりにも自分勝手すぎて一緒に居るのが疲れたからだ。付き合う前からその傾向があったが、あそこまで爆発するとは思わなんだ。


 それから大学に入ってからは…色々あった。


 多様性の時代だからか、男から告白された事もあった。俺をニューハーフか男の娘だと勘違いしたんだろう。勿論断ったが、勝手に付き合ったと思い込まれて彼女扱いされた時はコイツを殺してやろうかと想った。


 ただ面白かったのは、そのゴミカスが未成年喫煙が大学にバレて退学になったことだ。そのまま底辺へと行き、ヨーチューブの暴露系配信者にインタビューされていた時は腹筋が痛くなった。


 本格的に付き合って長続きしたのは新歓の時に知り合った女性で、俺が二年で彼女が三年の時に付き合った。


 普通に良い恋愛経験だった、童貞も彼女に捧げられたからだ。しかし生活リズムが合わなくなり段々と会わない機会が増えて行った頃、久しぶりに彼女の家に遊びに行った時だ。


 お茶を持ってくるので少し待ってて欲しいと言われたので、彼女の部屋で待っていた。


 ふと本が読みたくなって本棚を漁っていると小さい男の子が表紙になっている漫画にボーイズラブ漫画などが頭のお堅い小説の後ろから出てきた。


 だから俺に短いズボンや膝下の靴下を履いてくれと強要してきたり、エリマキトカゲのようなブラウスを着させようとしたのも、この癖のせいだったのだろう。


 所詮、自分はこの人にとって、フェチシズムの対象なのだ。俺がオヤジになったら、この人は幻滅するだろう。

 そう考えていると急にこの女性に対して時間を割く事が無駄に思えてきた。だから別れた。


 消去法だが、俺のタイプはこういうのになるのだろうな。


「俺を見た目通りだと思わない人かもな」

「好みのタイプって言うより、理想じゃないのそれ」

「じゃあ君はどうなんだよ」

「マイは…約束を守ってくれる人が良い」

「人のこと言えねぇぞー」

「うっさいぞー」


 疲れきった顔のリーマンに揉まれながら、家に帰るまで楽しく帰った。

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ベビーシッターが過労死とか笑えん あまごいやで @han21212ry

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