自己破壊願望を客観的データと自分の経験から分析してみる

三隅 泡

本文

初めに言い訳したいこと


これを書くに当たって私はこの問題に対して全くの素人であることを言っておきたい。心理学を学んでいるわけではないし、自分の考えていることがどれほど正しいのか検証したわけでもない。だから今から分析することを鵜呑みにしないでほしい。しかしそうといって主観駄々もれの幼稚な意見であるつもりもない。タイトルにあるように客観的なデータを用いての解説をしている。自分の経験についいてはどうしても主観が入ってしまうが色々と比較して客観性を保つように文章全体を通してしている。私がなぜそう考えるのか、1から、私が考え始める発端から説明しているため、無駄だと思ったなら読み飛ばしてもらって問題ない。論文のように要点がまとまっているのではなく物語的な無駄さがある。



定義について


自己破壊願望とは何か。まずそれを定義付けたいと思う。色々調べれば心理学やらでそれらしい定義付けはされているだろうが(もしくは自己破壊願望というレッテル張りが間違っているかもしれない)、ここではそんなもの関係なく勝手に定義する。

つまるところ、自己破壊願望とは、「継続的に今も続けている物事に対して嫌気がさし、それを変えたいと思う願望」だ。

この定義は実際に読者の方々が想像し、〝自己破壊願望〟として理解するのは難しくないと思う。だが私はこの簡単に見える定義を簡単にそうと決断したわけではなかった。つまり、この問題を考え始めるにあたっていきなり定義して自己破壊願望に対する考えを深めていったのではない。こうして説明するにあたって自己破壊願望としなければ伝わりにくいからだ。次にそのいきさつを説明したいと思う。



主題


〝自己破壊願望〟を考える火種となったのはおよそ2年前のことだった。当時、私は堕落していた(今は堕落してないかと言われると微妙だが)。学校へ行き帰ってきたらソシャゲで時間をつぶす毎日だった。言うまでもないが私は年齢はそれほど高くない。もしかしたら読者の中には幼子のように思える人もいるだろう。これを読んでいるあなたが、自分でも〝自己破壊願望〟について考えなければならなくなった時、しょうもない事を言ってるガキがいたなあ、少しでも思い出していただければ本望だ。

話を戻すと、その堕落した生活に嫌気がさした私は、やりこんでいたソシャゲのデータをすべて消す、という正気の沙汰ではないことをした。でおよそ3年間で少ないお小遣いを使い3万ほど課金し何百時間も費やしたソシャゲに。少ないと思うかもしれないがそれは問題ではない。私にとってそのソシャゲの存在は長い間精神的支えになっていたのだから。しかし嫌悪感を放置しておくと嫌悪感は肥大化し食欲が湧かなくなり眠れなくなる抑うつ状態になるためデータを消すのは時間の問題だったのかもしれない。ソシャゲをやめた際にはかなりの幸福感があった。

それから月日がたって、ようやく〝ソシャゲデータ消去事件〟を思い出す。あれから約1年後のことだ。私の生活は一向に堕落していた。ソシャゲが生活からなくなったことで変わったことはあったが、ソシャゲがほかのゲームに置き換わっただけだった。

そこから一つの仮説を立てる。自分が堕落から抜け出そうとかなりの頻度で思っているのにもかかわらず何も変わらないのは〝没落欲〟というものが自分の中にあるからだ、と。ここで注意しておきたいのは、〝没落〟というのが自らの堕落を象徴しているのではないという事だ。自分の失敗はなるべくしてなっているのだという傲りではない。どういうことかというと、私は〝没落〟を「自己の何らかを犠牲にすることによって自己あるいは他人や社会などの共同体を何らかの形で変化させる」と定義した。これはかつてGHQが戦後、日本の財閥を解体するときに渋沢財閥だけがGHQに解体を免除される条件を渋沢財閥のトップはのまなかった。その時に言った〝ニコ没〟という言葉を参考にしている。つまり没落欲というのは自己を変えようとする行為が重要であり結果はどうでもいいと。2年前と比べて1年後も堕落していたがそれは変化した結果のことだった。

そう思い立った約11か月後(今から一か月前)、「橘玲」さんのが書かれていた本を読んだ。それは「テクノ・リバタリアン」という本で当時の橘さんが出した最新の書籍だった。私は橘玲さんのここ4年ほどで出した書籍を読みつくしているのでもしかしたら考え方が影響されているのかもしれない。その本の中に、そんな重要ではない事のようにスラっと書かれていることが私にとって考えるきっかけとなった。それは「イーロンマスクの特異なキャラクターは、論理・数学知能が高いというよりも、その極端なリスク選好にある」というものだ。この〝リスク選好〟が私の心を引き付けた。橘玲さんはここで、イーロンのリスク選好を外向性と軽躁状態によるものだとしているが私は他の要因もあるように思う。[橘 玲『テクノ・リバタリアン(2024)』文春新書、五七~五八頁]

リスク選好とは何か。イーロンマスクは一生遊んで暮らしていける金をすでに所有しているのにリスクの大きい事業をしていることから、リスクを好む志向だ。

これは没落欲と深く関係している。没落欲の先にリスクを求める志向=リスク選好なのではないかと思ったのだ。これだけでは説明が足りないだろう。リスクを求める者たちの行動の源泉は、自己の没落によるものであるという決定論に陥ってしまうから。前段階として、イーロンはいじめられ虐待された過去があった、ということを示す。十分な理解のためにリスク選好に肉付けをしていこう。


ここから、これまでと比べて少々飛躍した論理に付き合ってもらいたい。

私はある日興味深い研究を見た。

慢性疼痛患者(疼痛‐とうつうとは、体に損傷が起こったこと、あるいは起こった可能性があることを知らせる不快な感覚のこと)と健常者に同じ急性の刺激を加える実験を行った。どちらのグループも同じような不快感を持ったが、脳の活動を見ると奇妙なことが分かった。慢性疼痛患者は刺激を快楽として受け取っているのだ。慢性疼痛患者に症状の変化を訪ねると、「〔慢性疼痛の〕自発痛は減っていました。」と言った。著者がいうように「このことは、慢性疼痛患者が潜在意識の中では急性疼痛を求めている可能性を示唆している」。[熊谷 晋一郎『痛みから始める当事者研究(2013)』医学書院、二五五頁]

脳のネットワークとしてデフォルト・モード・ネットワーク(DMN)があるという。安静、何もしてないときに作動するネットワークだ。次にサリエンス・ネットワーク(SN)という精神生活にとっての新しく強い刺激(サリエンシー)に対応する部位群がある。最後に前頭頭長・コントロール・ネットワーク(FPCN)、短期的な行動制御、無意識の誤差検出だ。そして、PTSDや慢性疼痛など痛みの慢性化の症状が現れた時に、次のことが確認される。


1.SNのサリエンシーに対する過剰な反応。

2.SNとMDNの反省作用の激化。

3.SNとFPCNの自動作用の低下。


このことから、痛みの慢性化が起こるとサリエンシーへ強く反応し、物事を無意識のままこなすことができず、自己に対する反省を繰り返してしまうことが分かる。

DMNの反省は記憶(サリエンシーな経験)を参照する。つまり、痛みの慢性化は記憶の過度な参照を伴う。慢性疼痛患者は慢性的な痛みによって無意識が無意識でなくなり過度に過去を見つめる。

PTSD患者にも見られることから、この痛みは物理的、精神的を問わない。脳は物理的痛みと精神的痛みを区別できないとする研究結果は多く存在する。これによって、こうは言えないだろうか。没落欲は痛みの慢性化によって起こる。そして、リスク選好は慢性化した精神的な痛みによるもので過去のネガティブな出来事によって大きく膨れ上がる。痛み=不快に感じ、反省する必要のある記憶はポジティブなものではないだろう。

ここで先述したイーロンが少年時代に経験したいじめと虐待につながる。いじめと虐待という記憶を繰り返し反省したくないことが、強いリスク選好の要因になったのではないか、ということだ。実際のところ、彼がいじめや虐待をいちいち思い出しているのかは分からない。私も少年時代に過激的ではないにしろかなりの期間を通していじめられてきた。今では没落欲を人一倍感じると思っているがいじめられた記憶など思い返すことはほぼない。結論ありきの仮説になってしまうかもしれないが、無意識下で反省を繰り返しているのではないか。イーロンはリスク選好をせずに何か根源的な不快感(この仮説では過去の反省の反芻)を放置しておくと抑うつ状態になる。私もそうだ。橘玲さんは抑うつ状態は過去の反芻によって起こるという仮説を立てた。イーロンと、PeyPalを共同始業したピーター・ティールも少年時代にいじめられていた過去を持つ。彼はイーロンほど目立ったことはしてないが世界的に有名になるまでにそうとうリスクを取ってるはずだ。しかも彼は保守派だ。内向的な人は保守派に、外交的な人はリベラルになる傾向にある。他のことからも内向的だといえるし、内向的=物事の刺激に敏感なのだから、刺激を抑えるためは普通リスクを取らないはずだ。

と言っても、一人一人を捕まえて仮説に当てはめて言っているに過ぎない。そうではない人もたくさんいるだろう。私はいじめられた人がどういう経歴をたどるかなんて知らない。だが少なからずそういう傾向にあるのではないかという仮説だ。これをみている読者の方々もぜひ当てはめてみてほしい。


それと最後に、最後までいう機会を逃してしまったが、没落欲というのは直観では分かりづらいから、これまでの没落欲を自己破壊願望に置き換えて、没落欲=自己破壊願望後の没落、リスク選好=自己破壊願望後のリスクと考えてもよい。というか積極的にそうすべきだと思う。私が没落欲の定義をややこしくしてしまったのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

自己破壊願望を客観的データと自分の経験から分析してみる 三隅 泡 @togattehikaru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ