第4章 3はすべてのはじまり(2)

『おのれ、公爵!』


 カーラが叫ぶとアイビーの頭上のシャンデリアのチェーンが切れて、数百キロの物体が高い天井からアイビーめがけて落ちてきて彼女の悲鳴が屋敷に響いた。


 シャンデリアが床に激突したのと、カーラが頭頂部から摘まみ上げられるようにして頭から魔導書の中に引っ張り込まれるのはほぼ同時だった。『わたしの意思を継ぐ者がすぐわたしを復活させる!』という怒声と共に魔導書はパタンと表紙を閉じ書斎は静まり返った。


「アイビー!」とラルフが叫んでシャンデリアを飛び越えて向こう側にいくと転がった椅子の横に、アイビーとその上に覆いかぶさったブラッドが倒れていた。


「アイビー、ブラッド!」

 二人は顔をあげて上体を起こした。


「よかった。無事だった」

「ブラッド、ありがとう。命の恩人だわ」


「きみが無事でよかったよ」と答えてからブラッドはラルフの方を見ると「なんて危ない真似をするんだ!」と怒鳴った。


「上手くいくと思ったんだ。さ、アイビー」といってラルフが手を伸ばした。

「上手くいく? 結果オーライじゃないか! 普通合図ぐらい送るだろう」


「きみが通訳しているからそのタイミングがなかったんだ。テンポが狂う。きみがアクションスタントをしていたっていったから行けると思ったんだ」


「アクションスタントじゃない。叔父がカースタントをしてるってだけだ。アイビー、きみも死にかけたんだ。文句の一つもいってやれ」


 あ~、ラルフの手を取って立ち上がるなんて、まるでお姫様みたい。アイビーはラルフの手を取ると「ラルフ、きっとピンチを切り抜けてくれると思った」といって立ち上がり、うっとりとした目で彼を神のように見上げた。


 アホらし。ブラッドは埃をはらいながら立ち上がった。


 周囲を見回すと床一面にシャンデリアのガラスが散らばっていて、まだ少し埃が舞っている。シャンデリアが落ちた時の風圧でエリザベスの鏡が床に伏せて倒れたままだ。


「しかし直接エリザベスの代理人になるなんてよく思いついたな」


「エリザベスは所有者で魔導書を開けられるのに何もできないのはおかしいじゃないか。何か彼女が使う方法があるはずだと考えた。それでもしかして生身の者を彼女なら代理人に任命できるんじゃないかと思いついたんだ。

 天国への鍵も代理人がいるだろう? それでまずカーラから肉体を持った者しか魔導書を使えないという情報を聞き出したのさ」


「なるほど。カーラは代理人制度があることを知らないようだったな」

「うん。きっとこの魔導書にはエリザベスしか知らない使い方がまだまだあるんだ」


「しかしエリザベスが代理人にしてくれなかったらどうするつもりだったんだ?」

「だから代理人にしたくなるように仕向けたのさ」


「ははん。それにしても激しい女の闘いだったな。実はエリザベスが飛び出してくるんじゃないかと冷や冷やしたよ」


「それよりもきみの通訳を挟んでのカーラとの会話に冷や冷やしたよ。きみの通訳を聞いている間にシャンデリアが落ちるんじゃないかってね」


「わたしも生きた心地がしなかったわ。あ、大変」と唐突にアイビーがいった。「ドリアン卿を図書室に閉じ込めたままだわ。ドリアンは魔除け猫だったのね」


「ドリアン卿がいるとなぜかカーラもエリザベスも出て来られないんだ。同じ空間にはいられないらしい」


「それでドリアン卿がわたしを一階に行かせまいとしたり図書室から出さないようにしていたのね。なんてお利口さん。出してあげなきゃ」といってアイビーは慌てて書斎を出て行った。


「エリザベスはどうする?」床に倒れた鏡を見てブラッドは聞いた。

「そうだなあ」

 その時玄関のチャイムが鳴った。


「ようやくか。きっと外の刑事が様子を見に来たんだ」とラルフがいうと「ラルフ」とアイビーの声が聞こえた。

「ほらね」といってラルフは魔導書を執務机の上に置き、ブラッドと共に書斎を出た。


 ホールに行くと、黒ネクタイに黒スーツ姿の男性二人を従えたサングラスをかけた女性が立っていた。男性の一人はこちらに銃口を向け、もう一人はアイビーを後ろから羽交い絞めにして彼女のこめかみに銃口を当てている。


 黒いタイトなスーツに身を包んだ女性がゆっくりこちらに向かってきた。すらりと伸びた足が一歩前に出るたびに高いヒールの靴音がホールに響く。


「お久しぶり、公爵」

 女性はサングラスを外した。あのイメージ・リアルエステートのドリュー・ビギンズだった。


「銀行なら隣のブロックだぞ」とラルフは言った。

「銀行には用がないの。あなたに用があるのよ。ローレンス公爵様」

「あいにく僕はまだ公爵じゃないんだ」

「同じでしょう」

「一体何者だ? 不動産屋には見えないな」

「我々はカーラ・ヘリテージ」


「そんな団体聞いたことがない」

「エリザベス・ガードナーの聖遺物を永久に探し求める結社よ」

「聖遺物? 悪魔崇拝者が聞いてあきれる」

「我々にとってはそれが聖遺物。あなたとわたしたちとでは聖なるものの定義が違うの」


「カーラ・ヘリテージがエリザベスの聖遺物……。きみはカーラ派? それともエリザベス派?」


 ラルフの問いにドリューは一瞬眉をひそめ「わたしはエリザベスの信者よ」と答えた。その時ブラッドにはドリューの顔が歪んで見えた。


 ラルフが続けた。

「コソ泥に入ったのもきみたちだな。カーラ・ヘリテージが一体僕に何の用だ? 入会なら断る」

「わたしそういう冗談では笑わないの。カードを出しなさい。二枚持っているはずよ」


「嫌だといったら?」

「拒否権はない」


 ドリューが合図すると黒スーツの男がラルフの体に触れようとした。逆にラルフが男の腕をねじり上げ床に倒した。もう一人の黒服がアイビーに銃を強く当てたので彼女が悲鳴を上げドリューが「お止め!」といって制した。


「なかなかやるわね公爵。けどそこまで」

 といってドリューが自分の銃を取り出しラルフに向け「両手をあげて」といった。


 ラルフとブラッドが両手をあげると、さきほどラルフに倒された男がラルフの身体検査をしてポケットに入っている銅板カードを見つけた。


「ありました」といってポケットから取り出そうとした男にラルフは「触るな! 聖遺物だぞ」といったので男はピタッと手を止めた。


「これはエリザベスがこの家に残したものでこの家の正式な所有者である僕が引き継いだものだ。もう一枚もエリザベスから引き継いだ正当な所有者であるボーシャ男爵夫人から正式に僕が譲り受けた。つまり二枚とも僕が正当な所有者だ。きみらが汚すことは許されない」


 ドリューは忌々しそうな目でラルフを見たが「やるわね。どっちにしてもあなたには来てもらうつもりだったの。いいわ。そのまま一緒に来てもらうわ」

「どこに?」


「黒薔薇の庭教会よ。あなた方が先日訪ねてきたところ」

「あの名刺も僕らをおびき寄せるためだったのか」


「そうよ。さすがに公爵を拉致するのはリスクが高すぎる。それでそちらからネズミ捕りに入ってくれるように招待したわけ。残念ながらあと少しというところで取り逃がしたようだけど。あのまま地下室まで入ってくれればあそこで終わってた。

 カード二枚を手に入れたのは大したものだけどわたしも一つ疑問があるの。あなたどうしてカードを集めているの? 誰の依頼?」


「カーラの幽霊に頼まれたのさ」


「カーラの幽霊? 馬鹿おっしゃい。まあいいわ。どうせこの家がエリザベスの所有物だったと気付いて、エリザベスの遺産の話を聞きつけたんでしょう。黙ってこの家を手放せば楽に大金を手に出来たのに残念ね」


「この屋敷は猫付だ。きみたちでは猫の世話は無理だと思ってね」

「猫なんて放っておきなさい! 連れて行って」


 ドリューはアイビーを連れて先に外に出て、ラルフとブラッドが続いた。すでに雨は止んでいる。玄関前の数段のステップを降りながらブラッドが小声でラルフに「ドリューはエリザベス派じゃないぞ」と囁いた。


 ラルフは通りの反対側に止まっている覆面パトカーの方をチラッと見た。


 シャンデリアが落ちてあれだけ大きな音がしたのにあいつらまだあそこでボケっとしているのか。


 そこで背後の黒服の二人に「もう銃はよせ」といって、両手を上げてフェラーリの後ろに止まった黒いワゴン者に乗り込んだ。そしてすぐにワゴン車は出発した。

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