第3章 6で不運を逃れる(5)

 玄関のブザーを押すとホックニー夫人が応対した。


「わたくし、ヴィクトリアから来ましたラルフ・ローレンスといいます。こちらはブラッド・ロックウェル。我が家にあるドールハウスがこちらの先祖のエリオット・ホックニー氏の作品ではないかと思って訪ねて来ました。もしよろしければお話を聞かせていただけないでしょうか」


 そういってラルフは、スマホで撮ったドールハウスの写真を見せた。写真を見た夫人はすぐに夫を呼び、出てきた夫が写真を見て


「ローレンスというと、もしかしてウェリントン公爵様ですか? これは確かにエリオットの作品です。どうぞお入りください」といって二人を家の中に招き入れた。


 夫のウィリアム・ホックニー氏は六十代半ばに見えた。応接室に通されると早速ラルフはドールハウスからエリオット・ホックニーの名を見つけた経緯を話した。


「なんとそういうことでしたか。今朝からボーシャ男爵家の殺人事件をずっと報道していて、エリオットがボーシャ家にもドールハウスを納品したことがあるので関心を持ってみていたところへあなた方がこられたので驚きました。エリオットはわたしの五代前の人物で、わたしは長年エリオット・ホックニーとドールハウスの研究をしております」


「それは有難い。実はそのボーシャ家も関係があります。このドールハウスはわたしが購入したヴィクトリアシティにあるクラレンス・ホールを模して造られています。その屋敷の最初の所有者はエリザベス・ガードナーという当時の富豪です。そのエリザベスとホックニー氏との関係またはエリザベスに関して何か資料が残っていないかと思ってやってまいりました」


「まさか、あの屋敷を購入したのはあなた様でしたか」

「ということはあなたはわたしの屋敷の最初の所有者がエリザベス・ガードナーだとご存知なのですね」


「ええ。エリオットは当時王侯貴族から依頼されてドールハウスを多く作った作家でした。それで製作記録にあの屋敷と依頼人の名があったので存じていました」

「ホックニー氏はエリザベス・ガードナーと付き合いがあったのですね」


「はい。エリザベス・ガードナーがパトロン的存在でもあり友人でもあり多くの依頼を受けてハウスを制作したようです」

「エリザベスが悪魔崇拝者であったことを彼は知っていたのでしょうか?」


「知っていたようです。エリオット自身は悪魔崇拝者ではありませんでしたが、それでも友人関係は壊れなかったようです」


「ドールハウスに魔導書や地獄への鍵といったものの手掛かりが隠されていました」といってラルフは二枚の銅板カードを見せた。「エリザベスから依頼を受けてエリオット氏がハウスに細工をしたのなら、何か知っているかもしれないと考えました。製作の経緯などを記した資料はありますか?」


「ちょっとお待ちください」

 といって一度応接室をでて、暫くするとウィリアムは分厚いノートをもって戻ってきた。


「これはわたしがエリオットの研究をしている過程で見つけたエリザベスの日記です。経緯は不明ですがエリオットがエリザベスから預かったようです。所々にレースの端切れが貼り付けてあったり、可愛いデザインの木版が押してあったり、当時の広告や新聞の切り抜きが貼ってあり、最近人気のコラージュノートの先駆けのようなものですな」


 といってウィリアムはページをピンセットでつまんでめくってみせた。確かにノートは美しくデコレーションされていて、美術的価値もありそうだ。


「もろくなっているので扱いは慎重にお願いします。この日記は悪魔の召喚に成功したエリザベスが『高名なる精霊の魔術書』という魔導書と地獄への鍵を手に入れたところから始まっています。

 彼女は自身の死後の復活を目指して準備をしていたようです。復活の際に必要な魔導書を隠し、さらに地獄への鍵の在りかを示す手がかりを三か所に分けたのです。ただしこの日記に具体的な隠し場所は書いてありません。

 ただ手掛かりを三か所に分けたあと、エリザベスの信者の中に裏切者が現れ、その者が魔導書を手に入れようとしたのです。名前は書かれていません。『あの者』としか書かれていないのです。そこで手掛かりを隠すためにドールハウスを密かにエリオットに発注したようです」


 ここまで聞くとラルフは整理した。


「手掛かりとはつまり銅板カード。三か所のうち二か所はクラレンス・ホールとボーシャ家。三枚目は黒薔薇の庭教会の地下室か」


「裏切者は魔導書を手に入れ、学会を乗っ取ろうとしていたのかな」とブラッドが言った。


「この日記によると、ほかの信者たちはそういう内部抗争のようなものがあったことを知らないようですな。しかも黒薔薇の庭学会はエリザベスの死後に一度解散しています。黒薔薇の庭教会としての再結成はその六年後。表向きとはいえ別団体として活動していますし、ますます当時のことを知るものはいないでしょう」


「だから現在の学会員はカーラ建築の所在やドールハウスに手掛かりがあることを知らなかったんだな」とブラッド。


「ああ。くそっ。知っていたら裏切者について昨日エリザベスに聞けたのに」

「え! エリザベスと話したのですか?」ホックニー氏は眼鏡がずり落ちるほど驚いて慌てて直した。


「屋敷にエリザベスが現れたのです。書斎にある鏡にエリザベスが映ったものですから魔導書の使い方を聞きました」


「なんとまあ」としばらく口を開けたままホックニー氏はラルフを見つめた。それから「か、鏡の記述もあったのを思い出しました。エリザベスはその鏡を通じて復活するつもりのようです」


「そのようですね。じゃあその鏡を割ってしまえば復活できないのかな?」ブラッドが聞いた。

「そうかもしれませんが。ほかの鏡を使うことができるかもしれませんな」


「ホックニーさん、非常に助かりました。ありがとうございます」

 ラルフがお礼をいい、二人が立ち上がるとホックニー氏が聞いた。


「鍵を見つけてどうするのです?」

「これを開きたいのです」といってラルフはスマホを出して魔導書の写真を見せた。「家に置いてきてしまいましたので写真しかないのですが」


「ぅおお~」とホックニー氏は呻きにも似た驚きの声をあげてスマホを手に取って見た。「すばらしい。なんと美しい本だ。わたしはアンティーク豪華本の愛好家でもありますが、総銀製でこれほどの精緻な浮彫の装飾が施された豪華本を見たことがありません。

 生きてこれを目にするとは思いもしませんでした。ローレンスさん、この日記によると魔導書はとても危険です。なるべく早く手放した方が良いですぞ。近くにホックニーの作品を集めた資料館がありますのでいつかまた見に来て下さい」


「ぜひそうします。なにか新たに思い出したら連絡をください」といってラルフとブラッドはホックニー氏と連絡先を交換して別れた。車に乗るとラルフがいった。


「きっとエリザベスのいう『あの者』が、カーラが聞いたエリザベスと言い争っていた相手なんだ」


「つまりそれが裏切者か」

「うん」


 それから二人は帰路についた。ヴィクトリアシティの最寄りの高速の出口まであと少しというところで空が暗くなり始めた。


「雨になりそうだな」とブラッドが言った。

「日が暮れるまでには着きそうだから安全運転で行こう」

「ああ」


 その時ラルフのスマホが鳴った。表示画面を見ると二時間ほど前に別れたばかりのウィリアム・ホックニー氏からだった。ラルフはスピーカーをオンにして応答した。


「はい、ローレンスです」

『ローレンスさん、さきほどはどうも。実はわたし、思い出したことがあるんです』


「なんでしょう」

『例のエリザベスを裏切った人物についてですが、確かどこかに一度だけKというイニシャルで登場したのです』


「Kですか」

『ええ。Kです。それ以上はわかりません』


「大変貴重な情報です。ありがとうございました」

『何かのお役に立てれば。では失礼します』


「失礼します」

 通話を終えるとラルフがいった。


「Kというと……まさか、カーラじゃないよな?」

「え?」ハンドルを握ったままブラッドがラルフを見た。「嘘だろう」


「前を見ろ。ちょっと整理しよう。カーラはエリザベスが誰かと魔導書のことで言い争っているのを聞いた。そして地下室の所在を隠すためエリザベスに呪い殺され、あの屋敷に封じ込められているんだよな?」


「ああ。だから俺たちに魔導書を見つけて解放してほしい。邪教の復活を阻止してほしいって頼んだんだ」


「一回それ全部忘れよう。もしカーラがエリザベス同様に悪魔崇拝者で裏切者だったら?」


「魔導書を巡ってエリザベスと争いになって、呪い殺された。そしてあの家に閉じ込められている」

「それで?」


「あの家から出たい。出るには魔導書が欲しい。しかもエリザベスより先に出なければならない。だから俺たちにカードを探させ、地獄への鍵を手に入れようとした」


「そもそも彼女はなぜボーシャ家の近くで死んだんだろう。なぜ俺たちをボーシャ家に行くように仕向けたんだ? ボーシャ家にカードがあることを知っていたからだよ。それを知っているのは、三枚のカードを託された信者だけ。カーラが三枚目のカードを託されたんだ。

 その後カーラはエリザベスを裏切った。裏切られたエリザベスはクラレンス・ホールとボーシャ家のカードをドールハウスの中に隠した」


「だからカーラはボーシャ家にカードがあることは知っていたが、ドールハウスの中に隠されていることは知らなかったのか」


「そういうこと。それに魔導書やドールハウスが全て二階に隠されていたのもカーラが来られないからだ。なるほど。一方、裏切られたエリザベスの立場になったらどうだ?」


「魔導書をカーラより先に手に入れて復活したい。だから信者が手掛かりを探している」


「先に鍵と魔導書を手に入れた者が復活し、相手を滅ぼし、学会を手に入れる。エリザベスが『邪魔するな』といったのはカーラの封じ込めのことだったのか。それに『あの女に騙されている。あの女を解放すればみんなが死ぬ』というのも本当だったのかもしれない。

 違う! こういったんだ。『あの者を解放すればみんなが死ぬ』。『あの者』といったじゃないか。裏切者はカーラだ!」


「カーラが家が聞いていると再三いっていたのも俺らとエリザベスを話させないためだったのかもしれない」


「自分が自由に動くために、まんまと僕らを騙してエリザベスを鏡に閉じ込めさせたんだ。きみ、裏の顔が見えるのにカーラの裏の顔が見えなかったのか?」


「悪魔の裏の顔なんか知るか! 裏の顔を隠すのが悪魔の常套手段だろう。普段見ないようにしているから余計にわからなかったかもしれない」


「やられた。いや、しかし今気づいてよかった。僕らが気づいたことを彼女はまだ知らない。屋敷に戻ったら気づいていない振りをして彼女から魔導書の使い方をもっと聞きだしてやる」


「ラルフ」ブラッドはハンドルを握る手がじっとりと湿ってくるのが分かった。「実は問題がある」

「なんだ?」


「俺、昨日カーラに、明日ドール作家のところに話を聞きに行くといってしまった。エリザベスが鍵を隠した経緯が分かるかもって」


「なんだと?」

「どうしよう」

「アイビーが危ない!」


 ラルフは急いでアイビーに電話した。

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