第2章 4は最初の不運な数(10)
ラルフがクラレンス・ホールに戻るとすでにブラッドはいなかった。代わりにドリアン卿が出てきた。一緒に二階の台所に行ったらブラッドがすでにあげた朝ご飯が残っていて、ドリアン卿が食べ始めた。
「おい、ブラッドが出て行ったぞ。お前どこに行ったか心当たりないか? お前の食事係だからお前もひとごとじゃないぞ」
ドリアン卿はビクッとしてラルフを見上げたが、すぐにガツガツと急いで残りを食べ始めた。
ブラッドのいうとおり、人間の話が分かってるみたいだな。
その間に書斎にいった。それにしてもボーシャ家の人たちが殺されるなんて。黒薔薇の庭学会の奴らか。ラルフはデスクの引き出しにしまってあった二枚の銅板を取り出して見つめた。品のいいボーシャ夫人を思い出すと、気の毒でならなかった。このカードと関係があるのか。
頭を切り替えようと、溜まっていたメールに返事を出し、必要なところには電話をかけ、書類には目を通して処理した。
ひと段落着いたので書斎を出て考え事をしながら廊下を歩いていると台所の勝手口の方からカリカリカリカリという音が聞こえたので覗いてみると、ドリアン卿が勝手口のドアを引っ掻いていて、ラルフの方を振り返って何か言いたげに坐った。
珍しいな、卿が外に出たがるなんて。
ラルフは前の飼い主が用意していたリードがあったことを思い出しドリアンのボディにリードを付けて勝手口から外に出た。すると卿は細いビルとビルの間の通路を抜けて五番街に出た。さらにドンドン歩いて行く。
ラルフだけでも目立つのにドリアンを連れているので余計に人目を引き、みんなが振り返る。何度か近所に住むご婦人方に会い「あら、ローレンス様、猫とお散歩ですか?」などと声を掛けられ、その度に「ええ、ちょっと」といって愛想を振りまいてまた歩き続けた。
おそらく明日中にはラルフが猫を連れて歩いていたという噂がこの界隈に広まるのだ。
ついに一ブロック先にあるカフェの前でドリアンが立ち止まってラルフを見上げた。ラルフが店の中を見ると、ブラッドが坐っているのが見えた。
こ、こんな近くにまだいたのか。卿、お前天才だな。
カフェは「ペット同伴可」と書いてあったので、ラルフはドリアン卿を抱き上げると店の中に入りブラッドの隣のテーブルに座った。ブラッドはノートパソコンの求人画面に集中しているので全く気付いていない。そこでラルフはドリアン卿を膝に乗せて話しかけた。
「ご飯くれる人がいなくなって困ったな~。公爵も通訳がいなくなって困っているみたいだな~」
その声を聴いたブラッドが顔をあげると隣にラルフとドリアン卿がいるので二度見した。
「何やってんだお前?」
「わ、ブラッドか。凄い偶然だな」
ブラッドは呆れたような表情をした。「なんだ、その棒読みのセリフは」
「卿のアフレコだよ」
「はん。なんか用かよ」
「昨日は出て行けなんていって悪かったから謝りに来たんだ」
「別にいいよ。嫌がられるの慣れてるんだ。誰だって友達のこと悪く言われたら不愉快だからな」
「嫌がったわけじゃないんだ。きみのいうこととハリーのことをどう処理していいか分からなくて動揺したんだ。それで一人で考えたくてあんな言い方をしたんだ。ごめん」
「そうだろうな。でももういいから気にするな」
「ボーシャ夫人のことは聞いただろう? 物取りの犯行ではなかったらしい」
「聞いたよ。気の毒だな。あのカードのせいかな」
「カードのことは警察には何も話してないけど、もしそうだとしたら学会の奴らだ」
「だとするとやっぱりきみがカードを持っていることをもう学会は知っているぞ。気を付けろよ」
「うん。……ところで見えるって本当なのか?」
「本当さ。家族の中でも俺だけなんだ」ブラッドは自分の能力についてこれまでの経験を具体的に話して聞かせた。
話しを聞き終えるとラルフは胸の前で腕を組んだ。
「不気味だろ?」
「いや。すごいじゃないか。なんて便利なんだ。好きな女の子の心の中もわかるじゃないか」
「気持ちが分かるんじゃない。表情が見えるんだ。返事を聞く前に表情で答えが分かる辛さとか、表向きオッケーの顔しているのに裏の顔でノーって思われてるのが見える辛さが分かるか? ああ! そもそもきみはモテるから振られたことがないんだろうな」
「僕だって振られたことはある」
「幼稚園の先生っていうなよ」
「大学生の時だ」
「割と近いな。ていうかそれ以来振られてないのか?」
「いや、振られる前に父が邪魔をする」
「あ、そっか。それに恣意的に覗こうとしてもほぼ無理なんだ。不意に見えるから怖くて人の顔をあまり見れなくなる。すると向こうが変な人と思って離れていく。面接に受からないわけさ」
「なんだ、魔法と一緒で案外不便だな」
「きみは分かってないな。ひとはみんな他人に知られたくない顔を持っているんだ。その顔を見られてみろ。誰でも嫌になる。みんな去っていくんだ」
「おれは平気さ」
「ところがきみの裏の顔は見えない。というより無い。生まれたての赤ちゃんみたいに純粋なんだな。そう、赤ん坊みたいなんだきみは」
「ありがとう」
「褒めてない!」
「そうだ。マクシミリアンの裏の顔は見えたか? あいつの裏の顔はさぞ恐ろしいはずだ」
「ああ。彼ね。彼はガードが固くて裏の顔は見えない。けど彼は悪い人ではないよ。一瞬彼の裏の顔が見えたら、むしろきみを暖かく見守ってた」
「え……。ま、まあとにかく、俺は気にならない。これ、約束の紹介状だ。きみのおかげで面白い経験が出来てとても助かったよ。当然の権利だから受け取ってくれ」
「分かった。ありがとう」
「けど」とラルフが続けた。「行くところが無ければうちに居てくれてもいいんだぜ。新聞社は最初のうちは給料が安いから部屋代だってなかなか馬鹿にならない。うちなら通勤に便利だし、きみなら無料で歓迎するよ。たまに通訳をしてくれたら助かるけど」
「考えておくよ」
「うん。じゃあ。卿、行くぞ」
ラルフは卿を連れて店を出て行った。
ブラッドが紹介状を見つめて考え込んでいると「ブラッドじゃないか?」突然話しかけられたので、顔をあげると目の前にスーツ姿の男性が立っている。
「ブラッド・ロックウェル。ひさしぶりじゃないか」大学時代のバイト仲間だった。
「あ、ああ。チャーリー。久しぶりだな」
「偶然だなあ、こんなところで会うなんて」
「僕も驚いたよ。元気か?」
「元気さ。きみも元気そうだな」
といってチャーリーはブラッドの前の空いた席に勝手に坐った。
「これから仕事のアポイントがあるからすぐいかなきゃいけないんだけど、どうしてもいいたくて。お前が大学の時にキャロルのことを忠告してくれただろ? あの後おかげで助かったよ。あいつとんでもない女でさ。
あの時お前のことを責めて悪かったなって思ってずっと謝りたくて気になってたんだけど、お前バイト辞めたから会えなくなってさ。だから今日会えたのは本当に嬉しいよ」
「あ、ああ、そうだったのか。忘れていたから別に気にしなくていいのに」ほんとは覚えてるけど。
「いや。お前のおかげで助かったから」
「まあ役に立てたならよかったよ」
「うん。有難う。みんなにお前に会ったって伝えておくから連絡先教えてくれ」
ブラッドはスマホの連絡先をチャーリーと交換した。それから急いでいた彼はカフェを出て行った。
偶然が二回続いたな。注目に値すべき現象が起きている……か。とブラッドは考えた。
+++
卿と共にクラレンス・ホールに戻ったラルフは郵便受けの中から郵便物を取り出した。卿のリードを外してやると卿はすぐにどこかに行ってしまい姿が見えなくなった。
「おかしな奴だ」と呟いて、郵便物を確認しながら書斎へ向かった。そして一通の手紙の差出人の名を見た途端、ラルフの足が止まった。ボーシャ未亡人からの手紙だった。
消印を見ると昨日になっていた。ラルフはすぐにスマホを取りだし電話を掛けた。
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