第3章 6で不運を逃れる(1)
ブラッドは五番街を歩きながら先ほどチャーリーに会って言われた言葉を思い出していた。これまで自分の負の側面でしかないと思っていた力が役に立ったと思うと幾分救われた気がして心が軽くなり、気が付くとクラレンス・ホールの前に来ていた。窓からドリアン卿がこっちを見ていて、立ち上がって窓をカリカリカリカリしているではないか。
「卿、俺がもうなつかしいのか?」
と近づいて声を掛けてみたものの美しい曲線を描く黒いアイアンフレームのついた嵌め殺しの窓なので開けられるわけでもない。そこへ電話が鳴ったので取り出すとラルフからだった。
なんだよもう。と思いつつも電話に出た。「はい」
『僕だ。今すぐ来てくれ』
「なんで?」
『ボーシャ夫人から手紙が来た』
「なんだって! すぐいく」
電話を切るとブラッドは目の前の玄関ドアのブザーを押した。すぐにドアが開いてラルフが驚いた。
「早いな~」
ドリアン卿も足元でブラッドを見上げている。
すぐにふたりで書斎に入り、執務デスクの上のペーパーナイフで開封して、ボーシャ家の家紋が型押しされたクリーム色の二つ折りのカードを取り出した。開いて読むとこう書いてあった。
しかしあなたは不運を逃れる
「これはどういう意味だ?」
「タイミング的には『あなたは殺されずにすむ』という意味だよな」
「うん」といってラルフは執務用の椅子に座った。「でもそんなことわざわざ伝える必要あるか? もしかしたら未亡人は殺されることを予感して僕たちに何かを伝えたかったのかもしれない。そして手紙を出したその夜に殺された」
「何を伝えたかったんだろう」
「きっと地獄への鍵の手がかりだよ。最後に地獄への鍵を探すのかと聞かれただろう。何か手掛かりがもっとあるかもしれない。この屋敷をもっと家探ししてみないか?」
「俺は就職面接を受けるからもう手伝えない」
「じゃ、なんでうちの前にいたんだ?」
「……たまたまだよ。お前みたいに何をせずともお金が転がり込んでくる身分じゃないんだ。面接のアポを取る」
「おれだって遊んでるわけじゃない。仕事はしてる。というよりきみが思っている以上に忙しい」
「は? この宝探しも仕事か?」
「たしかに多少融通が利く仕事といえるがやることはいっぱいあるんだ。けど今はこれを優先させているだけさ。きみに給料は払うから面接は後にしろ」
「お前、金ないじゃないか! そもそもこれまでの給料も貰ってないんだぞ」
「ハリーから借りるなといったのはきみだぞ。あの金があれば払えたのに」
「彼の申し出は断ったのか?」
「いや、実はまだ話せてない。メッセージが残っていて、今朝、僕らが連行されている間に来たらしいけど留守だったから帰ったそうだ。行き違いになった 。これから父親のお供で出張に行くらしく、戻ってくるのは来週以降らしい」
「へえ」といいつつブラッドは少し安堵した。
「カーラを解放して心霊現象を収まらせないと、この屋敷も使えないから収入にならないんだ。収入を得るためにもカーラを解放する必要がある。だから手伝ってくれ」
「お前、踏み倒すぞって脅しているようなものだぞ」
「解放しないと踏み倒すことになる。もしエリザベスのコレクションを見つけたら払える」
「コレクション?」
「ああ。いっただろう? 彼女は美術品の有名なコレクターだった。魔導書があるということはそれも一緒に隠しているはずだ。だから魔導書が見つかればコレクションも見つかる。絶対受かる面接を数日先に延ばすだけだぞ」
いわれてみればそうだ。ここにいれば寝る場所に困るわけでもないし。数日面接を伸ばしたところでどうってことはない。最強の紹介状があるわけだし。なによりなぜ俺はここに戻ってきたのか。ブラッドは突き詰めたくなっていた。
「ボーシャ夫人は僕たちに何かを託したんだ。知らん顔できるのか?」
「わかった。手伝うよ」
「よし! じゃあ三階から探そう」
というわけで二人は三階へ上がった。三階をくまなく探したがそもそも三階は寝室のみで調度品もあまり多くはない。何も見つからなかったので二階へ降りた。昼食をはさんで二階もしっかり探したがそれらしいものは出てこなかった。ついに一階に降りて来たがその頃には陽が傾き始めていた。
一階はほかの階に比べると調度品が多く時間がかかった。最後に見た図書室には壁一面に古い本が並んでいる。珍しい初版本や稀覯本も多いがラルフはそれらに目もくれずに本棚の中を見て行ったが何もなかった。本棚を見終わる頃には二人はくたくただった。
そこへドリアン卿が来て例によってご飯をねだった。
「もう夕飯にしよう。卿、おいで」といってラルフが図書室を出て行った。それに続いて二階に上がりリビングに入ったブラッドは、飾り棚に置いてあるドールハウスに目がとまった。卿にご飯をあげているラルフに聞いた。
「ここにもっと手掛かりはないか? 今のところ共通点はドールハウスだけだ」
「でもあのあと僕もしっかり調べたけどほかに何も隠されてなかったんだ」
「もう一度見てみよう」といってブラッドはハウスをテーブルの上に持ってきて屋根と外壁を外した。外観はクラレンス・ホールに模してあるが、正面の外壁と屋根を外すと屋敷を縦に真っ二つに割ったような作りになっていて、一階が書斎、二階がリビングで三階が二つの寝室という三階建ての家を真横から見た作りになっている。ブラッドが聞いた。
「疑問なんだけど、このドールハウスは誰が作ったんだろう? 素人じゃないだろう。とても細かい仕事の職人技だ」
「そういえばそうだな。アーティストならどこかに自分の署名を入れるはずだ。探してみよう」
外観にはどこにも作家名は見当たらなかった。そこでハウスの中を慎重に調べることにした。改めて見れば見るほど非常に精巧に作られている。階段の手すりのカーブ、椅子の猫足、窓枠の装飾、シェルフの中の小物、壁紙の柄、壁に掛かった絵、観葉植物、食器や小物類など殆どがクラレンス・ホールにある本物そっくりだ。徹底的に作家の手掛かりになりそうな物がないか調べたが見つからない。
「これほどの作家なら、雰囲気を損なうような場所に名前をいれたりしない。名前があっても不自然でない場所は?」ラルフが聞いた。
「手紙?」
「手紙をしまう場所は?」
「状差しか机の中かな」
「そうだな」
ラルフがハウスの一階の書斎のミニチュアデスクの引き出しをピンセットで引っ張ると引き出しが出てきた。その中に封筒が入っていた。
「封筒がある」といってピンセットで封筒をつまみだした。字が小さすぎるので、虫眼鏡を持ってきて拡大して覗いた。
「すごい! 名前が書いてある」
宛名はエリザベス・ガードナーになっていた。引っ繰り返して裏を見ると、差出人がエリオット・ホックニーと書かれていた。
「エリオット・ホックニー。住所は」と虫眼鏡を覗きながらラルフが読み上げた。「1639 アップル通り 西ベイクリー村」
「なんだって?」驚いてブラッドが虫眼鏡を取り上げてもう一度覗き込んで住所を呼んだ。
「本当だ」
「知っている場所か?」
「どの家かは知らないけど、場所は俺の家から車ですぐだと思う」
「これだけリアルに作っているわけだから、この作家はエリザベス本人から直接依頼を受けて作っている。もしかしたらエリザベスが支援していたかもしれない。エリザベスに詳しいかもしれないぞ」
「もう生きていないだろうけどな」
「それでも子孫が残っていて何か知っているかも。もしかして魔導書の手掛かりもこのドールハウスにあるのかな。魔導書というくらいだから本棚にあるのが普通だな。この中で本棚があるのは二階のリビングだけ。本物の書斎には本棚があるのに、なぜかドールハウスの書斎には本棚がない。本棚を照らしてくれ」
ブラッドがライトで本棚を照らした。
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