第1章 2は最初の不吉な数(4)
クラレンス・ホールに戻りラルフに続いて家の中に入ろうとしたブラッドはふと誰かに見られている気がして玄関の前に立ち止まり振り返って周囲を見回したが、人の往来はあるもののこちらを見ている者はおらず、気のせいだったと思って家の中に入った。
家の中にすでにドリアン卿の姿はなかった。どこかに隠れて寝ているのだろう。そのまま一階でカーラとの接触を試みたがカーラは現れなかった。再び二階に戻った。
「一年前に購入した人がプライベートキッチンを二階に設置したあとで逃げ出したから助かるよ」
もしそれが無ければお茶を一杯いれるためだけにわざわざ一階の大きな使用人が使う台所までお湯を沸かしに行かなければならないところだったのだ。
「ところでカーラはわりと早く亡くなっていますがなぜ亡くなったのですか?」
「それは僕も知らないな。カーラ自身の肖像や写真や死因について書かれている資料を見たことはない。何で死んだか今度聞こう」
「不思議だな。本人に死んだ理由を聞くなんて。家が聞いているってどういう意味でしょう。ちょっと薄気味悪いな」
「まるでこの家が生きているような言い方だったな」
途端にブラッドの背中にゾゾッと悪寒が走った。しかしその夜は何事もなく過ぎ、ブラッドは早々に自室に入って寝た。ソファ以外で寝たのは久しぶりでよく眠れた。
翌朝はドリアン卿の朝食を催促する鳴き声で目が覚めた。ドアを開けると卿が部屋の外で待ち構えていた。まるでブラッドが卿の世話係だと知っているかのようだ。すぐにキッチンに行って卿の食事を用意して食べさせた。
人間が朝食を済ませた頃、玄関のチャイムが鳴った。ブラッドが玄関を開けると三十歳くらいのスーツ姿の女性が立っていた。
「こちらのご当主ですか?」
「僕はアシスタントです」
「当主は僕だ」とホールに降りてきたラルフがやってきた。
「はじめまして。わたくし、イメージ・リアルエステートのドリュー・ビギンズと申します」
女性が名刺を差し出したがラルフはチラッと見ただけで受け取らずに聞いた。
「ローレンスだ。ご用件は?」
「じつはわたくし、とある方の代理で参りました。とても高名な方です。このお屋敷を大変お気に召されたそうで、このお屋敷を売っていただけないかということでそのお願いに参りました」
「それは誰ですか?」
「申し訳ございませんが高名な方としか申し上げられません。ですが身元は保証いたします。先日このお屋敷の前を通ったときにこのお屋敷のファサードをとても気に入られたのです。
ぜひ中の調度品ごと全てお譲り頂きたいということなのです。ローレンス様がここを購入されたときの倍の金額を出すそうです」
倍? 凄いじゃないか! ブラッドは驚いてラルフを見た。
「お断りします」ラルフはファストフードのお勧めのサイドメニューを断るくらいの気安さで簡単に断った。
こ、断るぅ~? 六億の儲けになるんだぞ。
「では三倍」女性の目が鋭くなった。
「お断りします」
プ~とブラッドは鼻血が出そうになるのを堪えるように天井を仰いだ。
「この屋敷を気に入っていましてね、手放す気はありません。お引き取りを」
そういうとラルフはその場を立ち去った。
「ということなのでお引き取りを」といってブラッドがドアを閉めようとすると女性が「待って」といってドアに手を掛けた。「もし彼の気を翻意させてくれたらあなたにも十パーセントの手数料を払うわ」
「え? 本当に?」
「ええ。ここに連絡してちょうだい」といってビギンズはブラッドにも名刺を渡して去って行った。
十八億の十パーセントというと一億八千万。嘘だろ…。ブラッドは一階の書斎に向かった。
「本当に売らないんですか? 三倍ですよ」
「売らないね」ラルフは何事もなかったかのように椅子に座って雑誌を読んでいる。
そこへ食事の時間でもないのにドリアン卿が入ってきた。まるでまた所有者が変わるのを聞きつけて、心配して様子を見に来たかのようなタイミングだ。
「それに、ここを調度品ごと売ったらまたドリアン卿の飼い主が変わるだろう」といってからドリアン卿に向かっていった。「心配するな」
ドリアン卿は意味を理解したのかミャアと甘えたような声を出し、一人掛けのソファに飛び上がるとそこにうずくまった。
うーん。簡単に気が変わりそうにないな。それにラルフのいうとおり卿が可哀そうでもある。一億八千万は諦めるか。ブラッドはそっと名刺を財布にしまった。
その時また玄関のブザーが鳴った。
「さっきの業者が戻って来たのかな?」
「不動産屋だったら追い返してくれ」
ブラッドが玄関に行ってドアを開けると男女が立っていて身分証を見せてから男性がこういった。
「ヴィクトリアシティ警察の者ですがご当主はいますか?」
今度は警察? 一体なんでこうも次々と。ブラッドは書斎に戻ってラルフを呼んだ。
「僕がこの屋敷の当主ですが」玄関まで来るとラルフはいった。
「ローレンスさんですね」
「はい」
二人はまた身分証を見せ、女性がいった。
「ヴィクトリアシティ警察です。わたしはシェリー捜査官、こちらはモーガン捜査官です。テロ計画の重要参考人として署までご同行願います」
「僕がテロリストだと? 何かの間違いだろう。逮捕状はあるのか?」
「任意でご同行願えますか?」
「あなたも」といって女性はブラッドを見た。
「え? 僕も?」
「拒否することも出来ますがいい結果にはなりませんよ」
結局二人は屋敷の前に止まっていた警察車両に乗せられて警察署に連行された。途中何を質問しても答えてもらえなかった。
ラルフがテロリスト? 俺が共犯?
来て二日目でテロの参考人で連行って何なんだよこれ。ブラッドは混乱した。一方ラルフの方は、その横顔からは何も伺い知ることはできず沈黙したままだ。署に入ると二人は別々の部屋に連れていかれ、ブラッドは先ほどのシェリー捜査官が取り調べを行った。
「改めまして。わたしはシェリー捜査官よ。あなたの取り調べを行います。まず名前は?」
「ブラッド・ロックウェルです」
「出身は?」
「ベイクリーです」
「ああ。モンサンクレア王国で一番美しい村ね。ローレンスとはどういう関係?」
「昨日からアシスタントとして雇われています」
「昨日?」
「はい・アシスタント募集の求人を見て応募しました」
「いつ?」
「昨日」
「住所は?」
「あの家に住み込みで」
「え? 昨日応募して昨日採用されてもうあの家に住んでいるの? 早すぎない?」
確かに信じがたいが事実だ。
「彼に買われたんじゃないの?」
「それどういう意味ですか?」ブラッドは声を荒げた。「求人表だって家にありますよ。だいたい何で僕らがテロリストなんですか? 何をしたっていうんですか?」
「あの家がどういう屋敷か知っている?」
「あの家はカーラ・オニールが設計したクラレンス・ホールという家ですよ」
「最初の持ち主は?」
「エリザベス・ガードナー」
「どうして知っているの? あの家は一年前に売り出される前はボーシャ男爵家の所有でそれ以前のことは不明のはずよ」
「それは」カーラに聞いたというわけにはいかない。「ラルフが古本屋であの家のポストカードを見つけて、あの家がカーラ建築だと気づいたといっていました」
「本当に?」
「本当ですよ。一体あの家がなんだっていうんですか」
少し黙ってからシェリーは説明した。
「あの家の最初の所有者エリザベス・ガードナーは表向きは大富豪で慈善家だったけど裏の顔は悪魔崇拝者で黒薔薇の庭学会という邪教の教祖なのよ」
ブラッドは開いた口が塞がらなかった。
「それは……。初めて知りました」
「今でもエリザベス・ガードナーを崇拝している者たちがいて、彼らはガーディアンと呼ばれているわ。黒薔薇の庭学会は当時の邪教及び黒魔術禁止法令に違反して百年前に解散命令が出され、その後撲滅したはずなの。
それが最近息を吹き返した。密かに信仰していた者たちがいたのね。ガーディアンはエリザベス・ガードナーの復活を信じているのよ。
あの家はエリザベスが最初に悪魔の召喚に成功した家とされ、ガーディアンにとっては聖地。それを買ったのがラルフ・ローレンスよ。つまり彼は悪魔崇拝者なの」
「ええっ! でも彼はあの家の心霊現象に興味があるから買ったって…」
「心霊現象? バカバカしい。それを信じるなんてあなた大丈夫? そんなことのために数億円も出す人間がいる? 彼は聖地を守っているの。彼こそがエリザベスの真のガーディアンよ」
あのラルフが。なまじ霊感があるため心霊体験をしたいという彼の話を信じてしまった。だから十八億でもあの家を手放さなかったのか。でも悪魔崇拝者には見えない。それが世間を欺く顔なのか。でも彼には裏の顔が無かった。いや、それこそが本物の悪魔の印なのかもしれない。ブラッドにはもう何が本当なのかが分からなくなっていた。
「でもその教団が復活したとして、それが違法なんですか? 信じるだけなら自由のはず」
「当時黒薔薇の庭学会は悪魔による支配を目指して国家転覆を企て、生贄を捧げる目的で殺人を行ったのよ。それで殺人集団として解散させられた。学会の復活は殺人集団とテロ組織の復活を意味するから、教団は今でも我々の監視対象になっているの」
そこへ男性警察官が入ってきてシェリーを呼んだ。シェリーが席を立って男性警察官のそばに行くと何やら耳元で囁いて出て行った。シェリーは戻ってきて
「釈放よ。富豪の友人に感謝することね。悪いことは言わないわ。彼から離れなさい。それからちょっとでもおかしな点があったらすぐに知らせること。いいわね」
「はい。あの、カーラはなぜ死んだんですか?」
「カーラ? 彼女は確か事故死だったわ。なぜ?」
「いえ、若くして亡くなっていると聞いたので気になって」
「記録によると、チェスナット通りのバール『オペラ』の前で車にはねられて亡くなったわ。事故死で間違いないわね」
「そうですか」
ブラッドが取調室を出て廊下を歩いていると隣のガラス張りの部屋で取調室を受けているラルフの背中が見えた。すると一緒に歩いていたシェリーが言った。
「彼は完全黙秘よ。名前すら名乗らない。こっちには分かっているけどね。おかしいと思わない? 彼ほどの大富豪ならすぐに弁護士を呼べるのに呼ぼうともしないの。さ、行って」
シェリーに促され、ブラッドはテロ対策課のオフィスを出て警察署の一階に降りた。ロビーで待っているとラルフが降りて出てきた。
「やあ。きみも釈放されたのか」まったくこたえた様子もなくラルフはいった。
「ああ」
「まったく。飛んだ濡れ衣だ。かえろう」といってラルフは歩きだした。
二人が警察署から離れて行くのを二階の窓から見ていたモーガンがシェリーにいった。
「あれがラルフ・ローレンスか。署内の女性警察官たちがざわついてたぞ」
「見た目に騙されては駄目。なんで釈放なのよ。せっかく連行したのに」
「焦るな。相手はローレンス家だ。下手をしたら捜査官では居られなくなるぞ」
「ふんっ。ローレンスはあの家で心霊体験をしたいといったそうよ。悪魔の召喚でもする気かしら」といってシェリーは窓から離れ、自分の席に戻っていった。
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