第1章 2は最初の不吉な数(3)

 二人は歩いてレストランに向かった。歩いている最中もラルフは目立つので、すれ違いざまにちょくちょく人が振り返る。五分ほど歩いたところでラルフが五番街のとあるレストランに入ろうとしたのでブラッドは思わず引き留めた。


「ちょっと、ここめっちゃ高いところですよね? 僕お金持っていません」

「大丈夫だよ、きみの仕事は食費込みだから僕が払う」といってラルフはさっさと入った。


 あ、なるほど。ブラッドは安心してその後に続いた。店に入ると蝶ネクタイをしたマネージャがすぐに寄ってきて


「ローレンス様。いつもありがとうございます」

「二人なんだけど席あるかな?」


「もちろんでございます」といってすぐに通りがよく見える席に案内された。そこでラルフが適当なメニューと赤ワインを頼んた。


「この店は十九世紀に建てられた当時のままの内装が残されているところが気に入っているんだ」といってラルフは店内を見回した。

「へえ」と答えたもののブラッドにはよく分からない。けどなんとなくクラレンス・ホールと雰囲気が似ている。


 そこでウェイターがワインを持ってきて銘柄をラルフに見せてから栓を抜き、ラルフにテイスティングをさせて、二人のグラスにワインを注いでから去っていった。ブラッドがさっそく一口飲んだが飲みにくい。


「なんか渋いな」

「もう少し時間が経てばもっと飲みやすくなるさ」


 本当か? と思ったがそのままグラスを置いた。前菜が運ばれてくると空腹だったブラッドはあっという間に食べ終え、次に鴨肉が運ばれてきた。ジューシーで柔らかく、甘酸っぱいソースとよく合う。


 ここでブラッドがまだワインを一口飲むとラルフのいうとおり物凄くまろやかで飲みやすくなっていて驚いた。


「本当だ! めちゃくちゃ美味しくなってる」

「だろ?」


 そのとき不意に声を掛けられた。


「ラルフ・ローレンスじゃないか?」


 ブラッドが鴨肉を食べながら顔を上げると身なりのいい紳士が飛びきりの美女を連れて立っている。


「ああ、久しぶりだな。マイケル」といてラルフが立ち上がったのでブラッドもナプキンで口元を拭きながら慌てて立ち上がった。ラルフは男をブラッドに紹介した。

「こちらマイケル・クラーク。、マイケル、こちらはミスター・ロックウェルだ」


「はじめまして」とマイケルは慇懃な感じでお辞儀をし、連れの女性を紹介した。ラルフに挨拶された女性が明らかに彼に見とれているのに気付いたマイケルは不快だったらしく「ラルフ。こちらがきみの新しい暇潰しのお友達かな?」といった。


「まあ、マイケル。失礼な言い方よ」と美女が諫めた。


「あ、これは失礼。けどラルフのお友達はしょっちゅう変わるから。そもそも友だちと呼べるかどうか。いつになったら友だちを紹介してくれるんだい?」


「ご心配には及ばない。あいにく僕は友達がいなくても平気さ。きみこそ連れている女性がいつも違うな。一昨日ウィステリアホテルから一緒に出てきた赤毛の女性はお元気かな? いつになったら本命を紹介してくれるんだい?」


 途端に連れの女性の表情が険しくなり、フンッとそれまで繋いでいたマイケルの手を力いっぱい振りほどいてフロアを出て行ったのでマイケルは慌てて彼女の後を追って出て行った。


 ラルフが鼻で笑って着席したのでブラッドも座った。


「嫌な奴さ」


 どうやらラルフには友だちがいないらしい。まあ、変わっているからな。友だちがいないのは俺も同じだけど。とブラッドは思った。


 今度はデザートのチェリーパイが出てきた。これもゴロッとした実がたくさん載っていて、甘すぎず酸味が程よく紅茶によく合う。


 そこへまた別の紳士がテーブルにやってきた。にこやかな笑みを浮かべてラルフに話しかけた。


「ラルフじゃないか。そろそろ連絡しようと思っていたんだ」

「ハリーか。久しぶりだな」


 ハリーは親し気にラルフの横の開いた席に勝手に座ると、ハリー・スコットと名乗った。


「きみ、あの五番街の幽霊屋敷を買ったんだって? 早速噂になっているぞ」

「情報が早いな。そのとおり。買ったはいいけど業者が入れないんだ」


「というとやっぱり出るのか?」

「ふふん。まあね」ラルフは得意げに答えた。


「きみも本当に好きだな。まあ、そこがきみのいいところだよ。今度遊びに行くから是非とも中を見せてくれ。ところでこの前の話、考えはまとまったかい?」

「ああ、あれね。前向きに考えているよ」


「本当かい? では近いうちきみの家に見学がてら訪問するからその時詳しく詰めよう」

「いいとも」


「ではまた。ロックウェル君、失礼するよ」といってハリーはブラッドにも丁重に挨拶をして去っていった。


 着席するとすぐにラルフがいった。


「彼はなかなかいい奴だ。人の趣味にも寛容だし、近いうち限定的に売りに出される値上がり間違いなしのクラブの会員権を僕も買えるように口を利いてくれるというんだ」


「へえ」と答えてブラッドはパイを口に放り込んだ。


 いい奴ねぇ。とてもそうは見えないが。と、ブラッドは内心思った。ブラッドが就職面談が苦手な理由の二つ目。それは、人の裏の顔が見えてしまうことだった。

 裏の顔といっても、その人物が裏で何かをしている様子が見えるというのではない。その人間がおそらく誰にも見せたことがないであろう醜い表情が見えるのだ。


 子供の頃はそれがみんなに見えていると思っていた。あの乳母はなぜ、抱いている赤ん坊をあんな怖い目で睨んでいるのだろう、あの女性はなぜ隣で笑っている女友だちを蔑んだ目で見ているのだろう、あの男の人はなぜ客の男性を怒りに満ちた顔で見ているのだろう。怖くてたまらなかった。


 不思議なのはそんな顔をされても相手は全然不快な様子を見せないこと、大勢の人が見ているのに誰もそれを指摘しないことだった。きっとみんな我慢しているのだと思っていた。自分だけが上手く適応できずに深刻に捉えているのだと。不思議と家族の裏の顔が見えないのは救いだった。


 それが自分だけに見えている表情だということが分かったのはつい最近、大人になってからのことだ。


 それからは意識して見ないようにするようになった。それでも不意に見えてしまうことがある。その表情を見るのが怖くて人と深くかかわれなくなり、結果友達も彼女もいない。


 ラルフは「いい奴」といったが先ほどハリーが「そこがきみのいいところだ」とラルフにいったときの顔はとても醜く歪んでいた。物好きだと軽蔑しているように見えた。むしろマイケルの方が裏表の落差が小さいからマシだ。


 しかしこのことは人には言わない。「あいつと付き合うのは辞めた方がいい」といってこれまで何人もの友だちをなくしたのだ。ラルフは自分の雇い主。余計なことをいって気分を害されてクビにされたら困る。


 それに人を見抜くのもその人の能力であり、自己責任だ。当然、ブラッドはラルフに何もいわないことにした。


 慣れた手つきでカップをソーサをごと持ち上げ、紅茶を一口飲むとラルフがまた家の話を始めた。


「僕が何であの家がカーラ建築だと知ったかというと、ダウンタウンの古本屋にふらりと立ち寄ったとき偶然発見したんだ。ちなみにその店はあの界隈で一番古い古本屋で店は薄暗く、歩くと床がミシッと軋むような店なんだけどね。

 面白いものがないかと物色していたときにたまたま古いポストカードを見つけたのさ。そのポストカードにあのクラレンス・ホールが映っていて、撮影者の名前はカーラ・オニールだった。当時カーラは多岐にわたって活躍していて写真家としての一面もあり、それがポストカードとして販売されたんだな。

 それで僕はピンときた。あの五番街にある屋敷はカーラ建築だってね。そして不動産屋で調べたらなんと売りに出ていた」


「それで早速買ったと。バーゲンプライスで」

「そういうワケだ。だけどカーラ建築という確証はなかったんだ」


「カーラ建築でなくても調度品だけでもかなりの値打ち品でしょう」

「まあ、そうだけど」といってラルフはまた紅茶を飲んだ。


 おそらくラルフは例え高価でも、調度品には興味がないのだろう。なかなか分かりやすい人間だ。


「ところでエリザベス・ガードナーって誰ですか?」


「エリザベス・ガードナーは十九世紀の大富豪だ。エリザベスには大富豪の夫がいたのだけど、息子と夫を相次いで亡くした。その後寂しさを紛らわせるためか、美術品の収集にのめり込んでいったらしい。カーラはエリザベスのお気に入りで、建築や内装デザインを依頼したようだ」


「その史実は僕がカーラから聞いた話と一致していますね」


「うん。エリザベスは一八九九年に七十五歳で亡くなったんだが、自分が死ぬ前にそれまで集めたコレクションの全てを処分して、その来歴も全て廃棄したんだ。その中にカーラ建築も含まれる。

 だから時間が経ち所有者が変わるにつれカーラ建築の殆どがどこにあるかもわからなくなったというわけさ。それがなければカーラはもっと名前を残したはずなんだ」


「そうでしょうね。僕、聞いたことないですから」


 そこで食事は終了した。二人はレストランを出て、スーパーに寄り朝食や食品を買い込んだ。スーパーを出ると「帰ってからまたカーラにコンタクトしてみよう」とラルフは足早に歩き始めた。


「はい」とブラッドは並んで歩きながら気になっていたことを質問した。「ところでなんで僕がベイクリー出身で彼女がいないって分かったんですか?」


「以前ベイクリーに避暑に行ったときにきみのセーターのモチーフを土産物屋で見たことがるんだ。そのモチーフに思い入れがあるということはそこが地元の人間だろう。まさかリスだったとは。

 彼女については、いそうにないじゃないか。仕事も金もない男と付き合う女はそういない。かといって女を金づるにするタイプにも見えない。そもそも彼女がいたらそんなおかしな柄の服は着ないだろう。

 彼女もセンスが悪いという可能性も考えたけど、そこは一か八かの賭けだった。きみは見た目もスタイルも悪くないのだからもっとセンスのいい服装に変えればきっと…」


 と話し続けるラルフの声がだんだん遠ざかっていった。怒りでほとんど耳に入らなくなったのだ。


 この野郎。ぶっ殺すぞ。今なら人が裏の顔を持つ理由がよく分かる。


 だがブラッドは我慢することにした。仕事を紹介してほしいからではない。なぜならラルフにはどれだけ目を凝らしても裏の顔が無なかったからだ。腹立たしい奴だが誰よりも救いがあったのだ。

 ブラッドにとって幽霊より怖いのは人間なのだから。

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