第1章 2は最初の不吉な数(2)

「決まりだ。カーラはどんな女性だ?」

「えっと年齢は二十代後半から三十くらいで。スタイル抜群のブロンドの美女ですね。そういえば不思議と服装は今風です。声はやや低めで結構色っぽいですね」


「カーラは四十一歳で亡くなっているけど、二十九でこの家を設計したからその当時の姿で現れているのかもしれないな」


 ブラッドは紙にカーラの絵を描いてラルフに見せた。


「何だこれは? ものすごい前衛的だな。きみの妹のリスの方がマシだ」

「僕、絵の才能無いんで」


 ラルフは悔しがったが仕方がないと諦めた。

「さっそくカーラに会いに行こう。荷物はそこにおいておけ」


 ラルフは張り切って部屋を出て行った。部屋のすぐ外にはカーラが立っていたが全く気付かずに素通りした。


「あの」とブラッドが声を掛けた。「ここにカーラがいますけど」

「なんだって。どこだ」慌ててラルフが引き返してきてキョロキョロするがカーラの目の前に立っていても、暗闇にいるみたいに何も見えていないようだ。


「あ、そこです。今左手が彼女の右肩に当たってます」

「やった! 接触した」といってラルフは自分の左手を有難そうに触った。「まず、その女性はこの家をデザインしたカーラ・オニールかどうか確認してくれ」


 するとカーラは『そうよ』と即答したのでブラッドはラルフに伝えた。

「信じられない! 僕の質問に答えた!」とラルフはまた感激している。


 ブラッドがカーラを見るとまたカーラが答えた。

『この家の最初の所有者はエリザベス・ガードナー。わたしは彼女の依頼で多くの家を建てたわ』


 ひとまずここまでの会話をブラッドはラルフに伝えた。ラルフはとても興奮して

「素晴らしい。カーラとファーストコンタクトを取ったぞ!」といって両手でこぶしを握った。


 ええのう。こいつはこういうことだけを考えていればいいのか。ローレンス家に生まれただけで。就職だってコネでどこでも好きなところに入れるに違いない。いや、そもそも働く必要がないのだ。働かないのが貴族。

 彼らにとって働くことはつい最近まで下品で卑しい身分の者がすることだったのだ。一昔前まで彼らは「週末」という言葉の意味さえ理解できなかったのだから。


「で、心霊現象の原因は何だい?」とラルフが聞くとカーラが答えた。

『この家が聞いているから答えられない』


「家が聞いている?」

『そう。大きな声ではっきりとは言えない。見つかったらわたしは消滅させられる』


「それってどういうこと?」


 そのとき廊下の奥からやや大型の白とグレーの毛の長い一匹の猫が現れ、カーラの気配に気づいたのかシャーッと全身の毛を逆立て威嚇して見せた。途端にカーラはパッと消えてしまった。


「カーラ?」と何度か呼びかけたがもう応答はなかった。「どうやらいなくなったようです」


「あと少しだったのに」すると猫がラルフの足元に寄ってきた。「こいつはドリアン卿だ。前の持ち主からこの猫も含めて購入したんだ。卿の世話もきみに頼みたい」

「そ、そうですか」これが簡単な雑務か?


「それと車の運転は平気かい?」

「ええ。両親が車とオフロードが好きで子供時代は毎週末オフロードに付き合わされて、泥に嵌った車を後ろから泥まみれで押すというのが恒例でした」


「楽しそうだな。僕なんて習い事ばかりだ」

「バイオリンとか乗馬とか?」


「そんなのは可愛いもんさ。家庭教師が元傭兵、元スパイ、元泥棒、元詐欺師、元手品師。ほかにも平和に生きていく人間にはおよそ関係ないものは全部。ひととおりの護身術や格闘技も習ったな」


「なかなか激しい子供時代ですね」

「うん。家族でオフロードなんて羨ましい。僕もそういうのがよかった」

「最近は妹が外に出たがらないのでオフロードも行かなくなりましたが 」

「きみの妹はインドア派なのか?」


「事情があって最近は家にこもりがちになんです。それと叔父もカースタント会社を経営しているので家族だけが知るドライビングテクニックもあって、ひととおりの運転技術を教わっています」


「それは素晴らしい。自分で運転させてもらえなかったから、僕は免許をもっていないんだ。だから運転も頼みたい。一旦ここまでにして、きみに家を案内しておこう。クラレンス・ホールツアーだ」


 クラレンス・ホールはいかにも十八~十九世紀の貴族が首都ビクトリアに滞在するとき用に構えた戸建てのタウンハウスだ。ラルフによると建物は三階建てで寝室が八つ、バストイレが五つもあるという。


 一階には食堂、キッチン、リビング、書斎、応接室、図書室、ホールが一つずつある。二階は家族用のフロアで寝室とリビングとキッチンとダイニングがある。三階は全て寝室でゲスト用らしい。それ以外にも地下室もあるらしく、間取りはすぐには覚えられない。


「ちなみに心霊現象があるのはほぼ一階の書斎とホールだけなんだ。きみの部屋はここ」といって二階の部屋を案内してくれた。


 一人で使うには十分すぎるスペースでアンティークな家具が全部そろっている。


「僕の部屋はこの突き当り。さっきも話した事情でまだ使用人も呼べず、不便な面があるから我慢してほしい。荷物を置いて十分後に下の書斎に来てくれ」


 そういうとラルフは部屋を出て行った。一人になるとブラッドは改めて部屋の中を見てまわった。専用のバストイレもライティングデスクもある。これほどの部屋をこの立地で借りたら家賃は一体いくらだろう? 想像もつかない。しかもカーラの通訳は超簡単。俺って、ついてるかも。


 荷物を適当にクローゼットにしまうとブラッドは一階の書斎に戻った。広いテーブルの上に一冊の古いノートを広げて立ったまま読んでいたラルフが話し始めた。


「一年前に売り出されるまでこの家は長らくボーシャ男爵家が所有していたんだけれども、ずっと使われていなかったらしい。多分心霊現象のせいだな。男爵が亡くなったことで遺族が売りに出したんだ。ところが心霊現象が起きて一年の間に三回も持ち主が変わり僕が四人目だ。ドリアン卿は一年前に最初に買った人が連れてきて置いて行ったようだ。買い手が見つかるまではいつも不動産屋が来て世話をしていたらしい」


「なかなか苦労しているんですね。ドリアン卿」

「うん。それで少し警戒心が強く、ひねくれているように感じる。食事の時以外は姿を見せなくて、一体屋敷のどこで過ごしているのか分からない」


「ではそのボーシャ男爵家がエリザベスという人からこの家を購入したということでしょうか?」


「おそらく二、三代前のボーシャ男爵だろうね。この台帳にはこの家の来歴が記されている」といってラルフはノートを指した。「ところがエリザベスの名はない。このノートは長らく所有していたボーシャ男爵家から始まっているんだ。つまり、この家はボーシャ男爵家より前の所有者や来歴が不明なんだ。今カーラから直接聞いて確信を持てた」


「でもあなたは」

「ラルフと呼んでくれ」

「はい。でもあなたはこの家がカーラの建てたクラレンス・ホールだと知っていましたよね」


「きみ、なかなか鋭いね。このノートによると、どうやらボーシャより後の人たちはこの家がクラレンス・ホールだと知らずに買ったんだ。だから不動産屋も知らないんだ。でなければ心霊現象と猫がいたとしてもカーラ建築が六億なんて安値で売りに出ることはあり得ない。にもかかわらず、なぜここがクラレンス・ホールだと僕が知っているかというと」


 その時ドリアン卿が現れて不機嫌そうな声でミャアと鳴いたのでラルフがハッと我に返った。


「そろそろ卿の夕食の時間だ」


 気が付くともう十八時になっていた。ブラッドはラルフと一緒に台所に行って猫足のついた洒落たフードボールにキャットフードを入れて卿に食べさせた。


「僕らも食事に行かないか? つづきは食べてからにしよう」

「はい」


 というわけで屋敷を出たのだが、ラルフが歩き始めたので

「あの、車は?」とブラッドが聞くと

「持ってないんだ。徒歩で」


 じゃ、いらねえじゃねぇか、運転手! 

 喉まで出かかったツッコミをブラッドは飲み込んだ。

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