公爵は黄色いフェラーリで謎解きへお出かけ ー公家屋敷の猫と悪魔と地獄への鍵の代理人ー

池田クロエ

第1章 2は最初の不吉な数(1)

 有名建築家の家にただで住めるチャンス! 住み込みアシスタント募集。


 (仕事内容) 手紙の代筆及び連絡。諸雑務。車の運転が好きな方、協調性ある方、コミュニケーション能力高い方優遇します。委細面談にて。

 (住所) 三三三 東 五番街 ビクトリア地区


 通称クラレンス・ホール。公家屋敷を意味するその邸宅は多くの貴族が瀟洒なビクトリア様式のタウンハウスを構えるそのエリアの中でも際立って美しかった。

 真っ白な外観、手の込んだ窓飾り、印象的な出窓、装飾の施された柱は溜息が出るほどだ。


 失業中のブラッドは「住み込み」という文言につられて、この求人に応募した。おそらく金持ち老人の手紙の代筆とか秘書的な仕事だろう。運転と文章には自信がある。


 屋敷の玄関ブザーを押そうとした瞬間、内側からドアがスッと開き、ホール奥の正面に直立しているブロンドヘアの美しい女性と目が合ったので驚いた。


「あの、面接に申し込んだブラッド・ロックウェルです」

「あら」としばしブラッドを見つめてから女性はいった。「どうぞ入って」

「はい。失礼します」


 屋敷内に入るとドアが勝手に閉まった。


「わたしはカーラ・オニールよ」

「はじめまして」といってブラッドは手を差し出したがカーラの方は胸の前で腕を組んだままで握手に応じようとせずいきなり「ついてきて」といって早速屋敷の中を歩き始めた。


 すごい塩対応だ。痺れる~。と思いながらカーラの後をついて歩いた。

「この建物についてご存知?」

「いいえ」


 カーラが立ち止まって振り返った。「知らないの?」

「すいません。建築物に疎くて」


「ふん。まあいいわ。説明してあげる。ここは一八六三年、今から百六十一年前に建てられた邸宅で通称『クラレンス・ホール』。美しいファサードは未だにこの街で一番ね。

 外観だけでなく贅を凝らした内装、天井の梁、階段の手すり、窓枠。どれをとっても当時の最先端のデザインよ。おかげで今見てもモダンで色褪せない。そう思わない?」


「はい、おっしゃるとおりです」ここに無料で住めるならいくらでも調子を合わせるが、カーラのいうことは嘘ではない。ブラッドの反応に満足したのか

「じゃ、行きましょう」といってまた歩き始めた。ブラッドも黙って後に続く。

 とある部屋の前で止まるとカーラはブラッドの方を向いた。


「ここが書斎。中にあなたの雇い主がいるわ。ノックして」カーラは腕を組んだまま促した。

「はい」コンコン。

「ドアノブを回して」

「はい」ドアノブをまわした。

「入って」


 言われるがままにブラッドは重厚なドアの向こうの部屋に入った。すると背後でドアが閉まった。


 部屋の奥に年齢はブラッドとさして変わらない、二十代半ばくらいの身なりのよい紳士が立ってこちらを見ている。驚いたのはその容姿だ。物凄い美形である。少しウェーブのかかったブルネットの髪、空が映り込んだ湖のように深く青い瞳。おまけに背も高い。


「きみは何者だ? どうやってここに入ってきた?」

 し、喋った。まるで美しい絵画が動いたほどびっくりした。


「あの、秘書の方に通していただきました。面接に申し込んだブラッド・ロックウェルです」

 といってカバンの中から履歴書を出そうとしたブラッドに紳士はいった。


「秘書?」

「はい」

「僕に秘書はいない」

「あ、じゃあスタッフかな。とにかくオニールさんという女性でした」

「オニール」紳士は眉をひそめた。

「はい」

「カーラ・オニールか?」

「はい、そうです」

「カーラに会ったのか?」

「はい。玄関で出迎えて下さって、ここまで案内していただきました」

「何を話した?」


「ここはクラレンス・ホールと呼ばれている百六十一年前の建物。美しいファサードは未だにこの街で一番。贅を凝らした内装、天井の梁、階段の手すり、窓飾りのどれをとっても当時の最先端のデザインだったそうです。おかげで今見てもモダンで色褪せないと」これは記憶力テストか?「あの、これ僕の履歴書で」


「採用!」紳士は履歴書を見もせずにいった。

「え、もう?」

「イエス!」


「あ、ありがとうございます」テストに合格したのか。それとも第一印象が良かったのか。第一印象なら自信がある。それなのに就職面談ではことごとく落ちるのには理由があるわけだけど、ここではその心配もなさそうだ。


「坐ってくれ」紳士は上機嫌でブラッドに濃紺の生地を張った品のよい一人掛けの椅子を勧めた。ブラッドが坐ると紳士は正面に座り前のめりになって聞いた。


「で、カーラはどうだった? どんな女だった?」

「え、ご存知じゃないんですか?」

「会ったことがないんだ。何しろ彼女は百四十九年前に死んでいるからね」

「は?」


「カーラ・オニールは十九世紀の著名な建築家、テキスタイルデザイナーなんだ。彼女がデザインした建築物はカーラ建築と呼ばれるほどの一大ジャンルを築いた。ここもカーラ建築で彼女がデザインした物件だ」


「じゃ、じゃあさっき僕が会ったのは?」

「カーラの幽霊だろ」


 嘘だあああ! ブラッドが就職面談で合格できない理由の一つ。それは見たくないものが見えてしまうことだった。簡単に言えば幽霊だ。妙なものがいる社屋などは悪寒が走りとてもそこには居られない。それが嫌でここに来たのに。


 けど待てよ。とブラッドは思った。カーラには悪寒が無かった。幽霊だと気づかなかったくらいだ。


「あの、先ほどの女性は本当に幽霊でしょうか。僕、そういうのが見えるともっとこう背筋がゾクッとするのですが」


「なるほど。それは面白い。カーラは悪い霊じゃないのかな。早速きみにやってほしいことがある」といって紳士は立ち上がった。「ついてきて」

「すいません。ところで仕事って何ですか?」


「求人票に書いてあっただろう?」

「これですよね」といってブラッドは役所で貰った求人票を見せた。


「あれ、入稿したのとちょっと違う。校正ミスだな。ネットに出すと殺到するから職安に求人を出してみたんだ」といいながら紳士は机の上の赤ペンを取るとサラサラと文字を書き加えてブラッドに差し戻した。


 ✖有名  建築家の家にただで住めるチャンス! 住み込みアシスタント募集。

 仕事内容 (幽霊への)手紙の代筆及び連絡(主に霊界通信)。諸雑務(簡単です!)。車の運転が好きな方、協調性ある方、(霊との)コミュニケーション能力高い方優遇します。委細面談にて。


 赤ペンだらけじゃねえか! しかも肝心なとこ全部抜けてるし。


「お断りします!」ブラッドは立ち上がると、さっさと部屋を出て行こうとしたが

「住むところがないんだろう?」という声が追いかけて来たので驚いて振り返った。


 紳士と目が合った。見れば見るほど美しい顔だちで、いかにも高貴な生まれだ。この佇まいは貴族に違いない。この家を公家屋敷たらしめているのは彼の存在そのものなのだ。


「面接に来た割りには荷物が多い。それが全ての荷物だな。きっと行くところが無いんだ。だから住み込みの文言に飛びついてここに来た。

 そうだなあ、年の頃は僕と同じか一つ下だろうから二十四か三だな。つい最近失業した。記者かライター志望。カバンのポケットから覗いている封筒のロゴはヴィクトリアタイムズ紙とモナクレア・トゥデイ紙だからね。不採用通知? あの業界は人の入れ替わりが激しいから。もしかしたらその特異体質のせいか。

 そのおかしなウサギ柄のセーターを編んでくれたのは彼女か? 違うね。きみに恋人はいない。そんなセーターを編むのは母親くらい。おそらくきみは北部のベイクリー地方の出身だな。違うかい?」


 ほぼ図星だった。ブラッドはベイクリー村出身で、年齢は二十三歳。記者志望だが仕事が決まらないままヴィクトリア大学を卒業し、契約ライターをしたりしながら食いつないできたが、不景気で最近契約を打ち切られ、家賃が払えずついに一週間前に部屋を引き払った。


 その後知り合いの家を転々としている。今も自分の記事を何社にも送っているが落ちまくっている。だが外れた部分もある。


「このおかしな柄のセーターを編んだのは妹です。あまり外出しないので編み物が趣味で。この柄に彼女が愛着を持っているんです。ちなみにこれはウサギではなくリスです」


「はーん、妹ね。え? リス?」といって紳士はじっくりと柄を見て「そうだったのか。気にするな。欠点は誰にでもある」


 お前が気にしろや!


「住むところがないならここに住めばいい。ここでの仕事が済んだら新聞社でも雑誌社でも好きなところへ紹介状を書いてあげよう」

「本当に? そんなコネがあるんですか?」

「ある。僕を誰だと思っているんだい?」

「知りません。誰ですか?」


「え?」といってから紳士はまた求人票を改めて手に取りじっくり眺めてからこちらを見た。「本当だ。名前が載ってない」


 紳士はまた求人票にサラサラサラと何かを書いてブラッドに見せた。ラルフ・ローレンスと書いてある。その名を見てブラッドは眼が飛び出そうになった。


 ロ、ローレンスだと? ローレンス家といえば『ヴィクトリアシティの大家』といわれるほどの大地主であり、王位継承権こそないが、ウェリントン公爵の爵位を持っている。次の当主はこのラルフ・ローレンスのはず。この男が。


 ブラッドはまじまじと目の前にいるラルフを見た。実在したのか。ラルフ・ローレンスはこの国では有名人だが、社交の場には現れないし、今時のセレブにしては珍しくSNSもやっていないので、メディアにとり上げられることはない。


 王室の重要なイベントがある場合には必ず呼ばれるのでパパラッチが狙っているものの、殆ど撮らせたことがなく、それ以外のプライベートでの写真は一切出回らないから「この国で最も謎多きセレブ」と言われている。


「どうだい? 悪い話ではないはずだ」

「仕事って具体的にはなんですか?」

「この家は僕が最近たったの六億で買ったんだ」ラルフは誇らしげに言った。いい買い物をしたといわんばかりだ。


 たったのという表現になんかカチンときた。


「なぜなら幽霊が出るからだ。買主が心霊現象に悩まされてすぐに売りに出すから買い手がつかなくなってね。それで僕が買ったのさ。バーゲンプライスで」ラルフは眼を輝かせた。


「何でわざわざそんな訳あり物件を買ったんですか?」

「面白くないか? 幽霊が出るんだぞ。一度でいいから心霊現象を体験してみたい」


 そのために六億。なんという物好きな奴。ブラッドの考えを察したのかラルフが付け加えた。


「もちろん一階はオフィスで職場だ。二、三階は住居だ」

「オフィス。あなたの仕事はなんですか?」

「サインをすること。指示を出すこと。一日に何人も書類を持って僕のサインを求めてやって来る。僕はその書類に目を通してサインをする」


 つまり何をせずとも金が入るということか。そりゃ暇で心霊体験でもしたくなるだろうな。


「で、あなたが買ってからはどうなんですか?」


「僕がいるときには心霊現象が起きないんだ。でも使用人や業者が来ると心霊現象が起きる。おかげで誰も怖がってここに来たがらずに困っているんだ。さすがにこの邸宅を一人では維持できない。

 そこで仕方なく心霊現象を収めるために理由を探りたいのだが僕は霊感が無くてね。霊との通訳が必要なんだ。それできみに白羽の矢を立てた。何しろきみはカーラをはっきりと見た初めての人物だ」


「通訳?」それならそんなに悪い仕事ではない。カーラはほかの霊と違って怖くないからだ。

「そう、通訳。どうだい?」


「僕はヴィクトリア・ポスト紙に就職したいんです」

「なぜそんなにみんなと同じようにしたがるんだ?」

「は?」


「まあいい。あそこの社主は知人の父親だ。それに僕はあの会社の大広告主だ。きみ一人ねじ込むのなんて分けないね」

「やります」

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