最高の物件

僕はその男にナイフを突き立てた、はずだった。


ナイフはその男の腹とすんでの所で止まっていた。

そう、僕はその男に止められていた。男は僕の手首を掴み、こちらを睨んでいた。やばい、手首痛いし、力が強すぎて腕がびくともしない。僕、死んじゃうかな。

「おい。」と低い地面を這うような声が上から聞こえた。

「なに。」

「何じゃねえだろ。」

男は俺の腕を挙げてひねり、ナイフがからんと音を立ててコンクリートに落ちた。

「子どもが何の用だ。」

「は?殺そうとしたの。わかんない?」

この男、僕が殺し屋の仲間だとは知らないようだ。そもそも、子どもとは失礼な。自分が小柄なのは知っているが、子どもとまでではないと思う。

「ここらが治安が悪いのは知ってるから、逃げるならさっさとしろ。今見たことは絶対に口外するな、それだけ約束すんなら見逃してやる。早くしろ。」

男は乱暴に僕の手首を離した。まだ手首はじんじんとする。殺さないのか、と少しだけ落胆した。

すると、男は一瞬、目を見開いて「子どもを殺すシュミは無い。」と吐き捨てるように言った。ぽかん、としていると、口に出てたのかと気付いた。

「僕、子どもじゃないんだけど。」

じっと上の男の顔を見上げると、明るく茶色い目が僕の緑の目と合った。意外と整っている顔の頬にどす黒い返り血が付着していた。

「15。」

「子どもだな。」と男は鼻で笑う。

チッと舌打ちしたが、男の上から目線は変わらない。腹いせに何かしてやろうかと男の体を見た。そういえば、こいつ、言っている事はムカつくが服装はかなりの金持ちじゃないか。頑丈そうな黒いコートにコートの裾から覗く皮の靴、銀のピアス、ポケットには皮の財布らしきもの。でも、スるにはたぶん無理。こいつ強いし。雇所無くなったし、報酬もらえなくて最終的に僕は餓え死にする。


貧しくも、黒に足を突っ込んで今まで生きてきた、みすぼらしい少年はニヤリと口元を歪めた。…良いこと考えちゃった。とりあえず、酒場のおっさんから教えてもらったおねだり顔を作ってと。

「お前さ、良いヒトでしょ。」

「あ?」

こいつ表情豊かだな。また違う顔してる。

「ねえ、僕を拾わない?」

男は途端固まって動かない。大丈夫か、こいつ。

「僕がさっきの事を人に言わないとは限らない。だから、僕を監視でもすれば、つまり、いつでも僕の喉元にナイフを突きつけれる状況だったら良いわけ。ギブ・アンド・テイク的な?ご飯さえくれればいいから。僕は子どもでしょ。お前は良いヒトなんでしょ?」

男はぎろりとこちらを見た。やっぱりきれいな目の色をしてるよな、とちょっぴり見つめ返してしまった。

「お前、家は?」男は小さく口を開いた。嫌そうな顔をしているが、この顔は押せば崩れる。

「…無いよ。」無くはないけど。

男はぐっと顔をひきつらせて眉をひそめたが、はあ、と大げさな息を吐いて言った。

「わかった。」

昔に一度見た映画のシーンのように、肘でくいとあいつの横腹を小突いた。ちょっとやってみたかったんだよね、この仕草。

「今、帰り?」

「ああ、終わったからな。」

「そ。」

男が歩き始めたので、その後をついて歩いた。男はずんずん進むが、もちろん身長差があるため、かなりついて歩くのが難しい。少し小走りでついていくのが丁度いいほどだ。まあ、僕は運動はできる方だし、問題ないが。

 路地を抜けるとボロい市場に出た。『ここはスリとか強盗、誘拐には注意が必要だからね。分かった?ユウ。』、と幼い時、まだ生きていた母に言われたのを思い出した。

「なんか食うか。」

男は歩調をゆるめ、ポケットから財布を出した。やや太めの財布を見てやっぱ金持ちだなと思う。

「や、いい。まだ早いし。」

「ならいい。このまま帰る。」

男はズカズカ歩く。この方向だと、駅に近いしタクシーでも捕まえるのかな。冷たい風が吹いて、半ズボンの足がぶるりと震えた。




 そのまま汚い道を30分は歩いて、少しずつ、比較的きれいなビルの立ち並ぶ場所に出た。ブオン、と眼の前にトラックが走り、薄暗い路地とは反対に、冬の快晴でキラキラとアスファルトが光った。あの場所より外に出たのはこれが初めてだった。

「うちの仲間が迎えに来る。ちょっと待ってろ。」

男はそう言って、ガサゴソとポケットから電話を出し、ふっと後ろを向いた。さっき僕に殺されそうになってたはずなのに、僕に背を向けて電話で話すなんて、馬鹿じゃないの。大きな黒い背を見て、そんなに僕は弱いのかと少しがっかりしてしまった。そもそも、こいつは何者だろう。僕みたいなのを拾うあたり、裏の人間じゃない。でも、店の人を殺してたわけだし、グレーって感じなのか。「仲間」もいるようだから、表寄りの非合法組織に属してる感じかな。あくまで僕の妄想だけど。そうなれば、僕が殺し屋やってたなんて知られたら、殺されちゃうだろうな。ま、食べ物もくれて住む場所ももらえるわけだし、最高の物件だけど。これで、安定して借金の返す仕事ができそう。殺し屋はバレそうだから、ほかの仕事探さなきゃだけど。

 それにしても、やっぱり外ってすごい。建物はでかいし、皆が着ている服もきれいだ。僕みたいな、首元のよれただぼだぼの汚い長袖シャツに、短パンのやつはいない。

町並みを眺めていると「おい。」と上から声がする。

「迎えが来る。大人しくしろよ。」

「ん。」

男が右の方を向くから、そちらを見ると、黒い車が走ってくるのが見えた。車はこちらまで来て、ゆっくりとスピードを落とした。ういーんと窓がスライドして、男が「俺だ。」と言ってドアを開けた。車の窓ってああやって開くのか…。

「先に乗れ。」

男は乱暴に僕の肩を押した。おずおずと中に入ると、奥の真っ黒なシートに腰をおろした。男もそれに続いて乗り、ドアを閉めた。

「どちらまででしょうか。」と運転席に座るまあまあガタイの良い男が言う。

「俺の家までだ。すまん、使わしてしまって。」

「いえ、先輩にはいつもお世話になっていますので。」

この運転手は男の後輩らしい。やっぱり何かのグレーの組織で確定だろう。

「あの、少し隣の子どもについて伺っても?」

運転手はハンドルを動かしながらちらりとこちらを見た。外の奴等が僕たちを見る目はいつもこうだ。気持ち悪い。ていうか、また「子ども」って言われたんだけど。

「ああ。色々あって、さっき拾ってな。一緒に暮らすことになった。」

「暮らっっ?!…」

男の言う事を聞くやいなや、車がガタンと曲がった。いきなりの衝撃に僕はビクンと肩を揺らした。

「正気ですか?!」

「ああ。」

運転手は素っ頓狂な声をあげる。もう少し安全運転を心がけてもらいたいものだが。

「せめて補導とか、連行とかしてるのかと思ったんですけど。おかしいと思ったんです。手錠も何も拘束してないし。」

男が「駄目か。」と口を開く。

車がビルの前を曲がる。曲がる。

「駄目かって…。だって、この子ども、」


第零一路地区サイアクの町の人間でしょう。」


ばさりと一匹のカラスが電柱に止まった。

「先輩、私、心配なんです。言わせていただきますが、何をされるかなんて予想はつくでしょう。はやく捨てましょう、こんな気味の悪いのなんて。」

男は黙ったまま、窓の方を見ている。わかってる、外のやつに何を言われようと、僕は。

「こんなのは不幸を呼び寄せるだけです。さっき行ってきたから判るでしょう。あそこの奴等はヒトゴロシだ、売春だ、強盗だとひどいもんです。不幸の人種ですよ。ただの噂だとか言われるかもしれませんが、あれは本当です。今だって、ほら、こんなに。」

うるさい。うるさい。

「汚いし、気持ち悪い見た目してる上に、全然喋りもしない。緑の濁ったドブみたいな目に、灰色がかった髪。きちんと見たんですか。先輩、私はあなたのために言うんです。こんな事、やめてください。自分を殺したいんですか。あなたが強いのは重々承知ですが、こいつのような奴だけはやめてください。」

声を荒らげる運転手を見て、反論でもしてくれるんじゃないかと少しでも男に期待した自分に嫌気が差した。なにを自惚れてたんだよ。知ってただろ。

「…先輩、あなたが頑固なのは知っていますが、忠告しましたからね。」

運転手はハアとため息をつき、運転を続けた。



気まずい時間が何分過ぎただろう。少し開けたところの、大きな家の前で車が止まった。

「では。」

男と車から出ると、彼は僕を一瞥し、車は去っていった。

「家、行くぞ。」

男がその大きな家の扉の前にある黒い四角い箱にカードをピッとつけると、扉が開いた。それにちょっぴり目を丸くしながら、家に入った。




 











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殺し屋のクローバー @Alexkagi

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