7.森デートする影勝(2)

 突然聞こえた声に影勝と碧はそろって肩を跳ね上げる。

 なんで俺たちを感知できるんだ。この声はなんだ。

 影勝は泉を睨みながら思考を回す。


「ここここわいよぅ」

「大丈夫」


 碧は今にも泣きだしそうだ。影勝も気丈を振舞ってはいるが恐怖で足が動かない。


『ふーむ、わしはなんもせんぞ。もっともおぬしらの振舞い次第じゃがの』


 そんな声とともに小さな白いカエルが泉から飛び跳ねてきた。ぱっと見はアマガエルのようだが足が四本あり、手も四本ある。大きな目の間には角のような突起もあり、普通のカエルではないとわかってしまう。


『はて、何かいた気がしたんじゃが』


 白いカエルはくるっと影勝のほうに顔を向けた。

 言葉をしゃべるモンスターなど聞いたことはないがしゃべる動物も聞いたことはない。明らかに知能があり、それもかなり高い。こいつは迷うことなく近寄ってきた。姿を見せるか、このまま息を潜めておくか。

 影勝は恐れと闘いながらも決めかねていた。


『ここじゃぁ!』

「いやぁぁぁぁぁぁ!!」


 白いカエルはぴょいっと碧の足元に飛びつくと、彼女は悲鳴を上げ影勝に抱き着いた。接触されたらスキルの範囲内に入ってしまい姿は見えてしまう。影勝は観念して姿を見せることにした。スキルを解除すると四つ手四つ足の白いカエルは驚いたようにひょーんと後ろに飛び泉に落ちた。


『びっくりしたのぅ』


 すぐに水面から目と角をのぞかせ泉から飛び出してきた。泉のふちに生えている草に乗って目玉をぎょろりとふたりに向ける。碧は「ひょいやぁあぁ」と意味不明な悲鳴を上げた。


『ほー、ヒト族なんぞ久しぶりに見るのぅ』


 白いカエルがそんなことを言う。影勝は、お前のようなモンスターは久しぶりとかではなく初めてだぞと思う余裕もなかった。先ほどから冷汗が止まらない。なりは小さいが感じる圧が途方もないのだ。


『ヒト族が来るなどしばらくなかったが、よう来たのぅ』


 白いカエルは前足で顎をさすり頭をくるりと捻った。


「あ、あの、その泉はというか、ここはダンジョンなはずだけど、ここはどこ、ですか?」


 影勝は碧をかばいながら死ぬ気で声を出した。こんなのは学校じゃ教えてくれなかったと心で苦情を申しつつだが、それでも勇気を振り絞った。


『ほむ、ここはわしが住んどる泉じゃが。ほんで、だんじょんとは、なんじゃ?』

「え……ダンジョンって、その……ダンジョンはダンジョンなんだけど」


 カエルに問われて影勝が答えようとしたが、ダンジョンとはなんだという問いの答えを持ち合わせていないことに気が付く。

 ダンジョンとは一九〇〇年初頭にいきなり出現したもので、その理由は原因などは判明していない。地中から採掘できる原油や石炭は説明が可能だが、ダンジョンは「現状」を説明するしかできない。

 ゲートの向こうに存在すること。果てに何があるのか、そもそも果てがあるのか。どうして出現したのか。物理法則が適用されないものがあるのはなぜか。


『ほー。よくわからんがいい暇つぶしになりそうじゃ。とくと喋るが良い』


 白いカエルは泉のわきの草むらを前足で指し示した。座れということだろう。震える碧を促しながら影勝は胡坐をかく。座ることを躊躇している碧は影勝の胡坐を見つめ、そこにすっぽり収まった。


「え、碧さん、ちょっとそれは」

「ここここ怖くなんかないですよ。わわわわたしは先輩ですからね」


 相当怖いらしい。影勝は、怖いときは何かに触れていると安心することができた幼少期を思い出した。その時は父も生きていて幸せだったのだと。

 せめてこの人はと影勝は両腕を前に回し彼女をすっぽり覆う形にした。これで少しは安心を感じてもられれば。

 影勝も恐怖はあるが今のところ目の前のカエルに敵意はなさそうだと判断していた。ここで逃げてもダンジョンに戻れない可能性も感じていたのもある。今はひとりではなく碧がいる。彼女だけは、なんとしても還さねばならない。


「えっと、自分は近江影勝といいます。でこちらの女性が椎名碧さんです」

『ふむ、初めて聞く言霊じゃな。オウミカゲカツとシイナミドリとな。わしは……名前などないな。この泉に住んどる精霊じゃ』

「「精霊!?」」


 影勝と碧の声が重なった。少し恐怖が和らいだ碧はハンディカムを白いカエルに向けてる。


『驚くものでもなかろう。その辺にもおるじゃろて』


 カエルは四本の前足をあちこちバラバラに指した。影勝はつられて周囲を見るが精霊という存在は見つけられない。


『まぁ、ここにはわししかおらんがな』

「いないのかよ……」


 影勝は肩を落とした。カエルに振り回されてばかりだ。


『先ほどの口ぶりからするに、おぬしらはここに来るつもりではなかったのか?』

「その、ダンジョンの森の奥に向かっているはずだったんだけど、どうしてだかここにいるんだ」

『そのだんじょんとやらを聞いたこともないのじゃが、うまいのかそれ』

「なんというか、ゲートの先にある空間というか」


 影勝は自分たちの朝からの行動を説明した。途中で『ほう』とか『ふむそれで?』など精霊から合いの手をもらい、半ば誘導され気味ではあったが、呆れられることもなかった。


『森の先がそうなっているとは、知らんかったのぅ。わしはここから離れられぬし、あたりまえか』


 カエルが『しゃっしゃっしゃ』と笑う。飄々としてつかみどころのない精霊だ。


『せっかく来たのじゃ、泉の水でも飲んで行くがよい』


 精霊が前足で泉を指したとき、泉の向こうの茂みが揺れた。碧の身体がびくりと跳ね、警戒に体を強張らせた影勝が見たのは、巨大な熊だった。立ち上がれば五メートルはあうかという巨体の熊だが、前足を引きずっていた。なにかと争ったのか、血だらけで噛み切られた跡も見えた。


「あ、あの熊さん、すごい怪我してる」


 碧が振るえる指で指し示す熊は鼻先を泉に突っ込んでガフガフと水を飲み始めた。


『この泉は精霊水となっておる。飲めばどんな怪我でもたちどころに治るのじゃ』


 精霊の言葉に、熊を凝視していた影勝は、その熊の前足の怪我が治っていくのを目の当たりにした。

 水を飲み終え怪我が治った熊は影勝を一瞥し、来た方へのそりと帰っていった。影勝と碧は「ひぃ」と悲鳴を上げたが視界から去ったので「助かった」と安どのため息をつく。

 ポーションや傷薬、治癒魔法での治癒は知っているが泉の水を飲んで怪我が治るというのは知らない事象だ。信じられないが、目の前で起きていることは認めなければならない。人類がダンジョンを受け入れたように。


「治るのは怪我だけか? 病気には?」


 影勝は食い気味に聞く。脳裏にあるのはダンジョン病に倒れた母の姿だ。これを飲めば治るのであれば今すぐにでも持ち帰りたい。焦りの感情が口から飛び出てしまいそうだった。


『この水で治せるのは肉体の損傷だけじゃ。内臓にも効くが病には効かん』

「病には……そっか」

「病はが原因ではないことが多いからの」


 ダンジョン病は肉体が衰えていく病気だ。老いは自然であり怪我ではない。つまり体を修復するポーションや傷薬などでは治せないということだ。期待したわけではなかったが治せないと分かればやはり気も落ち込む。影勝の顔にも陰がさす。


『ふむ、近しいものが病で倒れておるようじゃな』

「俺が探索者になる発端なんだけどな」


 そう精霊に水を差し向けられ、影勝は話し始めた。

 母親がダンジョン病ですでに意識はなく、もって三年と宣告されたことを話した。治療には霊薬ソーマしかなく、唯一の例として旭川ダンジョンで霊薬ソーマが使われたことがあったがそれはもう五〇年以上も前のことだということも。か細い蜘蛛の糸でもそれにすがるしかなかったことも。


「だから俺は霊薬ソーマ探すために探索者になったんだ」

霊薬ソーマのぅ……存在は知ってはおるが。力になれなくてすまんの』

「あいや、霊薬ソーマは自力で探すつもりだ。それにここにはないと言ったってことは、ってことだろ?」

『うむ。霊薬ソーマはないがここらは泉の影響もあって薬草類も多い。欲しいものがあれば好きなだけ持って行け。すべて取り去っても明日にはまた生えるでな』


 『しゃっしゃっしゃ』と精霊が笑う。影勝が周囲を見れば、そこは宝の山だった。雑草のように、無造作に薬草類が生えている。

 影勝が目を輝かせているが、ひざの中にいる碧は時折「精霊水」とつぶやくだけでぼーっと泉を見ていた。椎名堂の娘ならば薬草を見て飛び上がりそうなくらい喜ぶかと思っていた影勝は不思議に思った。


『水筒くらいはもっておろ。話の駄賃じゃ、水も持って行け。何かの役に立つじゃろて』

「ありがたくいただいていく」


 影勝がリュックから水筒を出そうとした時だ。


「せ、精霊水は、霊薬ソーマの原料の、ひとつ、なんだ」


 碧がぽつりと呟いた。その言葉に影勝の手が止まる。頭が真っ白になった。

 今なんと? 碧さんはなんと言った?


「碧さん、|霊薬ソーマの原料って言った? もしかして霊薬ソーマ理解し知っててるの?」


 影勝の前にいる碧は小さく頷いた。


「で、でも、わたしはおばあちゃんじゃないから、霊薬ソーマの調合はできないよ……」


 碧の声は震えていた。影勝は、何が彼女をそうさせているのかわからなかったが、碧を椎名堂に送った夜、天原というの男に絡まれた時のことを思い出した。

 ――貴女が祖母真白さんの職業を引き継いでおられるのです。

 ――わ、わたしはおばあちゃんじゃないの! わたしは椎名碧なの!

 碧は、自分はおばあちゃんじゃないと叫んでいた。泣きそうな顔でだ。


「お、おばあちゃんはすごい薬師だった。何でも知ってた。なんでも調合できた。霊薬ソーマだって、どれがあれば作れるってことも知ってたし、実際に調合もしたって聞いた。でもわたしはおばあちゃんじゃないの。同じ職業だからって、同じことができるわけじゃないの! わたしにそれを求めないで!」


 碧は肩を震わせながら叫んだ。

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