7.森デートする影勝(3)

 碧の祖母椎名真白は、碧が高校生の時に亡くなった。真白は職業【リコ・ドゥアルテ】でありスキル【薬草を愛でる女】を持っていた。あらゆる薬を作り出すことができ、また薬に必要な材料を知る知識も兼ね備えていた薬師の神ともいえる存在だった。彼女に作れない薬はなかった。そうして霊薬ソーマをも調合した。

 碧が高校を卒業し、椎名堂を継ぐためにダンジョンで職業を得ようとした。そして彼女は体調を崩し、職業【リコ・ドゥアルテ】を得てしまった。祖母と同じ職業を。

 その瞬間、彼女は求められる立場になってしまった。

 薬を作って欲しい。

 最初はお願いだった。碧もその声にこたえるべく頑張った。だがその声は次第に横暴になっていく。

 どうして作ってくれないんだ。できるんだろう?

 碧をなじる声も聞こえ始めた。

 人間は、欲を満たされると次の欲が生まれる。最初は窺うようだった言葉は、刃のように彼女に刺さっていった。そして碧はできない自分を責めた。

 碧は真白ではなく、別人格だ。頑張ってはいるがそれも限界はある。原料がないものは物理的に調合もできない。そんなことも理解できない愚かな人々が彼女を責める。

 彼女を救うためだと差し伸べられる手があったが、その裏には利用したいという欲にまみれたものでしかなかった。天原が副社長を務めるアマテラス製薬などの製薬会社などが最たるものだった。

 彼女の母、葵がすべてを見通し、悪意から娘を守っていた。

 詳しいことはわからない影勝だが泣いている碧をそのままにしておくことはできない。彼女の前に腕を回し、そっと抱きしめる。


「事情はよくわからないけどさ、職業が同じかもしれないけど、おばあさんと碧さんは別人だよな」

「わたしは、わたしは……」

「責めてないから、落ち着いて」


 影勝は碧を抱えながら、何がどうなんだと考えた。

 五〇年前に霊薬ソーマを調合したのは碧さんのおばあさんらしい。

 碧さんとおばあさんは同じ職業らしい。

 碧さんも自分と同じ特殊な職業らしい。

 特殊な職業だからと言って孫に移るのか?

 特殊な職業だから同じことを求められてる?


 ダンジョンに入ると得られる【職業】自体が謎だ。祖母から孫に職業が移ったこともまた謎で答えなどないだろう。

 霊薬ソーマを調合できる人物がいるならば、それを求める人もいる。自分が最たるものだ。

 どれだけの人が彼女にそれを迫ったのか。どれほどの圧力があったのか。

 碧が調合できることを知っていたら、影勝も彼女に同じように迫っていただろう。彼女の事情などお構いなしに。

 自分はどうすればいい。

 母を助けるならここで碧に頼まねばならない。だがそれは彼女をさらに追い詰めるものでしかない。

 ではあきらめるか。

 わずかな希望だが霊薬ソーマが手に届きそうなこの現状をあきらめられるのか。唯一の肉親を。

 母と腕の中で泣いている女性と、

 影勝の心は答えのないトロッコ問答で揺れに揺れまくっていた。


「ごめんね、霊薬ソーマを作れなくて」


 泣きながら碧が詫びた。胸がどうしようもなく痛む。

 違う、それは違う。

 俺はそこまでして作って欲しいんじゃない。どこかに霊薬ソーマんだ。


「……霊薬ソーマってのは、ダンジョンから完成品は出てこないのか? 原料を探すなら俺ができる。俺の職業のイングヴァルは植物マニアで薬草類もほぼ知ってる。薬が足りないってのも、俺が必要な薬草とかを色々な薬師に持ち込めば薬を作ってくれるんじゃないか?」


 影勝が出した答えは、両方取ればいい、だった。ないなら取りに行く。自分にはそれだけの能力がある。うぬぼれにも思えるが事実でもあった。


「だから、自分を責めなくていい」


 腕の中で震えている碧をあやす様に影勝は語った。


「精霊さん、ここらの薬草は持って行っていいんだよな?」

『ふむ、好きなだけ持って行け。いろいろあるじゃろうが、今は男を見せるときじゃろ』


 精霊が精霊らしくないことを言った。


「あんた、人間臭いって言われないか?」

『何を言うか。ここには人間も妖精人も獣人もめったに来ぬところじゃ。あ、そういや少し前に来たかの。まぁええ。人間臭いではなく精霊しぐさと言わんか』

「いやそう言われてもなって、獣人がいるのか!?」

『当然おるじゃろ。ここからとぉぉぉく離れた場所にな。じゃがの』

「なんだそれ。それに、ここはどこなんだって話だよ……」


 影勝は気が付いた。霊薬ソーマ以前にここから帰れるのか、と。さりとて薬草は欲しい。もし帰れるなら絶対に役に立つ。これがあれば碧の心の負担が減るかもしれない。

 碧は落ち着いたのか、体の震えは収まっていた。なんなら寝息すらも聞こえてくる。


「歩いたし、疲れたよな」


 碧を内に抱えている影勝は彼女を横たえようかと考えたが自分から離れるのは危険だと思いなおす。


『ふむ、そこに寝かせておくのじゃ』

「モンスターが来たら危険だし、それはできない」

『安心せい。ここでの諍いは禁止じゃ。禁を破る狼藉ものは泉に沈む定めじゃ』


 白いカエルがうんうんと頷く。本当か?と訝しんだが先ほどの巨大な熊も水を飲むだけで去っていった。自分たちに気が付いていてもだ。

 影勝は数分迷って碧を草の上に寝かせた。泉のそばで空気が冷えているので、リュックに入れてあった毛布を取りだし碧にかける。「巻き込んでごめん」と彼女の頭をひと撫でして影勝は立ち上がった。


「さて、採取の時間だ」


 影勝は周囲を見る。どれもこれも役に立つ植物だ。泉がある関係で湿地帯にしか生息しない鎮め草もエテルナ草もある。木を見れば、ソマリカの木はもちろんトキの木やカッサの木もある。イングヴァルがヒャッハーと興奮しているのを感じられるがそれは黙殺した。今はおとなしくしてろ。


「大漁だ」


 丁寧に採取した植物をリュックに詰め込んでいく。影勝のリュックの容量は二立米だが探索者としての荷物も入っているので余剰は一.五立米ほどだ。体積換算なので植物は見た目以上に入れることができる。


「なるべく入れたいから弓と矢は持ち歩こう」


 影勝はリュックの中のあるものを出し始めた。余分に持ってきた携帯食などは何なら捨てて行ってもよい。精霊が許せば、だが。


『なんじゃいろいろ持っとるな。お、それはなんじゃ、食いものか?』


 白いカエルがリュックのそばに飛んできた。カエルの目の前にはコンビニで購入したあんパンがある。精霊でも食事は必要なのだろうか。


「……食べるか?」

『お、食うても良いなら遠慮なく』


 精霊は四本の前足を器用に使ってビニールをビリビリ破りあんパンにかぶりついた。大きさがアマガエルなのであんパンに食われているように錯覚する。


『む、お、なんと。これは、ほほぅ、gopenzyria』


 驚嘆、感嘆、謎の言葉。精霊はすっかりあんパンの中に入ってしまった。影勝は彼?を放置して採取することにする。

 湿地に生えている植物は濡れたままリュックに入れた。マジックバッグの中に入れたもの同士は接することはない。なぜそうなっているかの説明はできないが、そうなのだ。

 木の実は種類別に拾い集めるのでコンビニの袋が大活躍だ。袋ごと入れるメリットは、取り出すときに散らばらないことだ。

 泉の周りを採取しながら回っていく。

 この精霊水は霊薬ソーマの原料だし飲めば怪我が治る。できるだけ持ち帰りたい。

 影勝がリュックを泉に沈めると、ずごごと水が入っていく。満タンにしてしまうと薬草類が入らないので、そこそこで止めておく。一立米、すなわち一トンもあれば十分だろう。影勝は採取し続けた。


「ヒール草もエテルナ草も鎮め草はわかるにしても草原にしかないはずのダンジョンニンニクもあるのはなんでだ。どうなってんだここ」


 影勝はぶつぶつ言いながら採取を続ける。

 ・ヒール草: 回復ポーションと傷薬の原料。主に日当たりのよい草原に分布している。傷薬は生薬または軟膏。

 ・エテルナ草:魔力回復ポーションの原料。主に水辺に分布し通年花が咲いていて花びらに効能がある。

 ・鎮め草:腹痛を緩和する。主に湿地帯に分布する。菖蒲のような外見で草に効能がある。

 ・ダンジョンニンニク:主に草原にこっそり生えている。普通のニンニクとは違いタンポポのような外見なので探索者は気が付かない。筋力増強ポーションの主原料で食材としては疲労回復の効果が期待できる。濃縮すると猛毒になる。

 泉の周囲にはソマリカの木にトキの木もあり、各種どんぐりも拾えた。

 ・トキの実:黄色いどんぐりがなる。森のいたるところに生えてる。食べると体力回復効果あり。草玉と調合すると風邪薬の特効薬になる。

 ・カッサの木:育つと30メートルを超える大樹になる。天辺近くに生る赤い実で女性が食べると妊娠しやすくなる。

 

「やりすぎか。いや絶好の機会だし、碧さんなら嬉々として採って回ったろうし。起きたら悔しがるだろうな」


 影勝は「んんあー」と唸りながら腰を伸ばしトントンと叩く。中腰は年齢にかかわらずクるのだ。


『うむうむ、美味じゃった』


 精霊の満足そうな声に振り替えれば、仰向けにひっくり返った四手四足のカエルがいた。空のビニール袋が舞い上がり、ひゅっと影勝の手に降りてきた。ごみは持ち帰れと。それは正しいので影勝はズボンのポケットに押し込んだ。

 小腹がすいたとスマホで時間を確認すると、一四時を回っていた。腹もすくわけだ。これ以上はいられない。碧は自分が抱えて歩けばいい。レベル八の筋力は伊達じゃない。


「ぼちぼち帰ります」

『ふむ、欲しいものは得られたか?』

「えぇ、申し訳ないくらい採れました」

『よきかなよきかな』


 仰向けのまま手を振るカエル。精霊はフリーダムだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る