6.拘束される影勝(2)
階段を上る影勝の頭は考え事でいっぱいだ。
悪いことをしていない影勝は、不満だが潔白を証明するには自分のスキルを明かさなければならない。悪用や別な疑いをもたれるかもしれないので気が進まないが、スキルの説明なしにソマリカの実が一階で採れたという話を信じてもらえそうにない。
どうしたものか、と影勝は困り果てていた。
「本当に一階の森で見つけたんだけどなぁ」
「わ、わたしは、近江君を信じるよ!」
影勝がぼそっとこぼした言葉は静かな階段によく響いたようで、碧がぐっとこぶしを握ってフォローする。小動物的なかわいい女の子が大きな眼鏡の奥にあるクリっとした目で影勝を見上げるのだ。思わず「何かエサはないか」とあらぬ勘違いをやらかしてしまいそうな影勝だが、頑張って耐えた。
「あ、綾部さんの部屋は、こっちだよ」
階段を上り三階に着くと碧が先導する。三階の階段からまっすぐ伸びる廊下の一番突き当りの部屋の前に来た。ギルド長室と書かれた扉を影勝はじっと見ている。
なんかやべーことになっちゃってるなぁ。俺、悪いことはしてないのになぁ。
「あ、あの椎名です」
碧が扉をノックし声をかけると「どうぞ」と返事がある。碧はそっと扉を開けた。
ギルド長室は重役の部屋らしく、風景画などが飾られ、執務机も木製で高価そうに見える。部屋の真ん中には丸机といすがあり、簡単な打ち合わせはできるようになっていた。
暖房が効いて入いる室内なのにもこもこマフラーを首に巻いている綾部は向って奥の執務机に座っており、その背後にある窓から差し込む光で肖像画のようにも見えた。
「碧ちゃんに、君が
綾部に「噂の」と言われた影勝は思わず顔をしかめてしまう。どんな言われようなのだと。発信源は誰なのかと。思い浮かぶのは工藤の顔であるが。
碧と影勝は言われるままに椅子に座ると、綾部は執務机から丸テーブルに移動してくる。
「工藤から聞いたのだが、
綾部は明らかに影勝に向いている。俺は面白くないんだけど、と影勝はげんなりするが会ったことも見たこともない偉い人に対して物申す度胸はない。影勝はまだ高校卒業したばかりのティーンである。
「そ、そうなんです! 近江君が、ソマリカの実を一階で拾ってきたって!」
面識のある碧は身を乗り出して説明を始めた。拾ったのは影勝なのだが会話の主導権はまったくない。興奮気味に語る碧を見ているしかなかった。
「ほうほう、とても興味深いな。まぁイングヴァル殿下であれば余裕だろうが」
綾部の口から
ちょっと待て、今この人、イングヴァルって言ったよな!? しかも殿下って!?
「近江君、その
綾部はにこっと表情柔らかに影勝のリュックを見つめた。影勝はぎょっとした。
なんでこの人は知ってるんだ? 椎名さんにも工藤さんにも見せてないのに。
言い知れぬ恐怖に背中に悪寒が走る。完全に把握、見透かされていた。
これは綾部のスキル【影を踏む女】の力ではあるのだが影勝はそんなことは知らない。綾部の中
「あの、トキの実とかいろいろあります」
「ほぅ、できればギルドに納入してもらえると
綾部が敢えて「非常に」を強調するので影勝は差し出すしかなくなってしまう。長いものには巻かれるのだ。
「お、近江君、まだあるの!?」
碧は驚きつつも喜びの表情で影勝を見つめる。かわいい小動物的女の子から尊敬の眼差しで見られて影勝も嬉しいのだが、底知れぬギルド長を前にうまく表情を作れないでいる。
「あーっと、こんなのとか」
影勝は丸テーブルにどんどん出していく。トキの実と迷宮ヨモギはもちろんくるんと丸い葉の草玉が丸テーブルに収まりきらず床にはみ出していく。
「た、たくさんある! これで、薬が作れるよ!」
目をキラキラ輝かせた碧は影勝の手をぎゅっと握った。すごいすごいと繰り返す碧に影勝もやや引き気味だ。オタク特有の、得意な話題になると距離感がバグる仕草そのままである。
「コホン」
見かねた綾部が咳払いでけん制すると我に返った碧がピギャっと謎の悲鳴を上げる。
「青春の一ページを見せられているようで甘酸っぱい気分で胸いっぱいで三〇年物のウィスキーでも開けたくなったが、ちょっと落ち着きなさい」
「は、はひぃ……」
「……はい」
俺は落ち着いてますがなにか?と返せない影勝は碧に合わせて返事をした。解せぬという顔をしながら。
「先ほど一階で拾ったと聞こえたが、それは本当かね?」
綾部からぎろりと睨まれ、影勝はびくりと震える。
影勝のスキルを知っている綾部が気になっているのは森を二時間も歩いたのにダンジョンの境界に達していなかったことだ。綾部は元探索者であり、一階の森を探索したこともある。ダンジョンの境界にある不可視の壁にも触れたこともある。だがそこまでに行くのに要した時間は一時間ほどだった。それに加え、一階の森でソマリカの木を見た記憶はない。
「一階の森の奥で拾いました。そこには同じ木の実が沢山落ちてました」
「ふーむ、そうか」
目の前の影勝があまりにも自信ありげで嘘をついているようにも見えず、綾部はどうしたものかと思案した。
「またそこに行くことはできるかい? 例えば、そうだな碧ちゃんを連れていくなどは、可能か?」
綾部は提案をする。影勝のスキル【影のない男】の力を知っているからこそではあるが。その提案に碧が驚きの声を上げる。
「わ、わたし、ですか!?」
「うむ、碧ちゃんも探索者であるし、しかも三級だ。彼の先輩だろう? なーに、
「え?」
碧がぐるっと影勝に顔を向けた。影勝の顔は業界の世知辛さに触れてしまったかのように渋さを極めている。明らかに影勝のスキルを把握している物言いだ。
この人は
影勝の背中には冷たい汗が流れる。
「本当は私が行きたいところだが、ギルド長という役職はなかなか忙しいものでね」
「椎名さんと一緒に行きたいと思います。絶対に無事に戻ってきます」
綾部の脅しに、影勝は即答するしかなかった。得体のしれないギルド長と一緒に行くくらいなら碧と一緒の方が良い。彼は綾部の思惑通りにしか動けなかった。
ギルドを出た時はすでに陽は地平線に沈んでおり、刺すような寒い空気に吐く息も白い。門前町は
「あの、こんなことになってごめん」
ギルドからの帰り道、碧を椎名堂に送る道すがら影勝が謝罪する。あの場にたまたまいた碧は巻き込まれただけなのだ。しかも一緒に森に連れて行かされるのだ。気落ちもするだろう。
「い、いえいえ、あの、わたしも、二年前くらいまでは、ダンジョンの森に 行ってたから!」
「え……まさかひとりでは。あでもさっきギルド長は三級って言ってたし」
「むむむむ無理無理ひとりじゃ無理! お、おかあさんとか、あとはギルドで護衛を依頼して、ま、守ってもらいながら、薬草とかを採取してたの!」
ぶんぶんと顔を左右に振って髪を乱しながら碧は叫ぶ。そこまで否定しなくっても、とは思うが彼女は生産職の薬師だ。戦うスキルがない以上守ってもらうのは当然。
「じゃあ、一階の森も?」
「う、うん、結構奥まで行ったし、ダ、ダンジョンの端まで行ったことも あるよ?」
「……不可視の壁があった?」
「う、うん、触れたよ」
碧の返事に影勝も考えてしまう。街中を二時間歩くのであれば二キロどころではない。森で進みが半分と考えても二キロに届かないのはおかしい。かといって同じ時間で帰ったのだから迷ったというのもおかしい。客観的な目が欲しいがそんなものはない。だが逆に言えば、碧が一緒ならばそれもはっきりする。
「森の中を歩いている最中を録画とかできれば証拠になるんだけど、俺のタブレットだとそこまで充電がもたないんだよな」
「ろ、録画、するの?」
「ソマリカの実を拾うところまでとか録画できれば工藤さんもギルド長も納得するかなって」
影勝がそう言うと碧は「うーんと」と考え込んでしまった。録画はイヤのかな、と影勝が考えていると碧が「た、たしか、おかあさんが買った奴があったはず!」と言い出した。
「て、手にスポッとはまるやつで、えっと」
「ハンディカム?」
「そ、そう、それ!」
碧はメガネの奥のくりっとした目で影勝を見上げる。それが餌を強請るウサギにも見え、影勝は思わず口にお菓子でも差し込もうかと思ってしまったが煩悩を追い出すために般若心境を唱えた。
「それを借りられればいいけど、まずは椎名さんを森に連れていくことの許しを得ないと」
急に決まったことでもあるし、ダンジョンの森は危険だということもあるし、なにより自分が悪い虫と勘違いされていることが一番心配な点だった。
「そ、それはそうだけど、たぶん、大丈夫だと思う。綾部さんからおかあさんに連絡が言ってると思うし」
「椎名さんのお母さんとギルド長って、もしかして知り合い?」
「えっと、おばあちゃんの代から知り合い、かな」
碧は少しだけ俯いた。伏せる前に見た寂しげな顔が気になったが、正面に見える三人の人影がその意識を逸らした。
「おっと、椎名碧さんではありませんか」
三人の男性で、いま声をかけてきたのが細身のスーツ姿の若い男で歳は三〇歳にはいってないくらいだ。ふたりはジャージのような動きやすい恰好で、探索者のように見える。三人の後方には椎名堂の看板が見えた。
「あ、
碧が顔をこわばらせ、半歩後ずさる。
「暗くなるまでどちらへ? あぁギルド長とお話でしたね」
「ど、どうしてそれを?」
「まぁこちらにも情報の入手ルートは色々あるものでして」
天原と呼ばれたスーツの男はうそぶく。彼の言動からこいつは曲者だなと直感し、影勝は碧の前に半歩でた。と同時に天春の護衛だろう二人も半歩前に出る。
「碧さんのスカウトの話の返事はいつごろ聞かせていただけそうですか?」
「わ、わたしは行かないって言ってます!」
碧は悲鳴のように叫ぶ。
「貴女が祖母真白さんの職業を引き継いでおられるのです。その技術と知識は幅広く、一般の方々にも広めるべきだと、以前から申しておりますが、まだご理解いただけていない様子」
「わ、わたしはおばあちゃんじゃないの! わたしは椎名碧なの!」
「それは存じ上げておりますが」
「わ、わかってません!」
「わかっていないのは貴女の方でしょう。真白氏の持っていたものの重要さを」
「し、知りもしない他人が、勝手に言わないで!」
今にも泣きだしそうな碧の声を聴いていた影勝は、事情は分からないまでも目の前の男が強引に碧に何かを迫っていることはわかった。それを碧が拒否しているのも。
影勝は一九〇センチに迫る長身の胸を張った。それだけで迫力が増す。
「無理矢理ってのは良くないと思うよ」
「ふむ、君は、あぁ例の男だね。ダンジョンの
「残念ながら部外者でもなくなっちゃったんで。ちょっと前だけど」
影勝は背中に碧を隠した。天原の眉が歪む。護衛のふたりは天原の顔をチラ見する。荒事も辞さないということかと影勝は奥歯をかむ。
「ふむ、力づくというのは僕の信念に反するからね。ここは退くとしよう」
天原はネクタイに触れ乱れを整える。
「碧さん、僕は諦めない。
そう言い残して天原らは踵を返し、夜の門前町へと消えていった。影勝はただ唖然と彼らを見送るしかなかった。
影勝の頭はそれに支配されてしまっていた。
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