3.正式な探索者、影勝(4)

 矢を買えたことで安心はできだがその先が不透明になってしまい、結果として徒労に終わった感が拭えない。


「なんか疲れたし腹減った」


 影勝の足は無意識に儀一の定食屋に向いていた。ガラス扉をガラッと開ければ、カウンターにいる儀一のと目が合う。同じくカウンターにいた工藤と碧の姿もあった。


「おう、にいちゃんいらっしゃい!」

「あ、近江君、いらっしゃーい」

「あ、あの、こんにちは……」


 すでに三回目の来店なのですっかり顔は覚えられていた。常連ぽくて、なんだから影勝も嬉しくなる。そして工藤とのエンカウト率の高さよ。モンスターに会う確率よりも高くなりそうだ。

 だが影勝が一番驚いたのは碧であった。あの時気つけ薬をくれたから頭痛が治ったのだが、あれがなければどうなっていたか。経験のない痛みで気を失っていたかも入れないし、下手すれば死んでいたかもしれない。まさかここでエンカウントするとは。


「あの時は、ありがとうございます! 俺、近江影勝といいます。おかげでこの通り元気です」


 影勝は無意識に頭を下げて礼を言っていた。命の恩人かもしれないのだ。母を助ける前に自分が死ぬなど、死んでも死にきれない。もっとも、死んではダメだが。


「いえいえいえいえいえ、わたし、大したことしてないので、その、元気で良かったです」


 やたら『いえ』が多い碧は手をワタワタさせて顔を工藤に向け「助けてー」とサインを送る。


「近江君、この子は椎名碧ちゃん二十二歳。旭川でナンバーワンの薬屋『椎名堂』の跡取り娘よ! 口説くならわたしを通してね!」

「椎名碧さん、ですか。本当にありがとうございます」


 影勝はまっすぐ碧見つめ、再度頭を下げた。碧も慌てて頭を下げ、向かい合ってぺこぺこ合戦をしている。


「おい工藤、なんでお前を通すんだ?」

「碧ちゃんに悪い虫がつかないようによ!」

「お前には虫がつかないからか?」

「儀一さーん、それひどーい! 日本酒一合の刑ですよー」

「……えっと近江だっけか、飯はどうするんだ?」


 わめく工藤を放置した儀一が影勝にメニューを渡す。


「メニューにあるやつなら大丈夫だ」

「……メニューにないのもあるんですか?」

「ドロップ肉を持ち込むやつがいた時は、その肉にあったメニューも作ったりもするな」


 儀一がお冷を用意してカウンターに置いた。

 なるほど、ドロップ肉。ちょうど手持ちにあるな、と影勝はリュックから牙イノシシの肉を取り出した。


「さっき一階で倒したモンスターから出た肉なんですけど」

「おお!? もう倒したのか? しかも弓で?」

「近江君、もう!?」


 儀一は驚いたのか持っていたお盆を落としてしまった。工藤も素っ頓狂な声を上げ、碧も口に手を当て驚きを隠せないでいる。


「え、あ、まあ、運が良かったので」

「はぁぁぁ、すげえ新人ルーキーが出たなあ」

「あ、これです」


 影勝は儀一に肉を渡す。


「牙イノシシか。よく倒せたな」

「目を狙って、あとは持久戦でなんとか……その、肉を見てわかるんですか?」

「一階で肉を落とすのはこいつだけだしな。で、こいつで作ってほしいものはあるか?」


 儀一が肉を掲げて影勝に問う。肉なら何でもいいとは思ったが影勝の頭にはメンチカツが浮かんだ。一度考えてしまうと頭がメンチカツでいっぱいになってしまって無意識に口が「メンチで」と動いていた。


「いーなー、わたしも食べたいなー」

工藤お前は食ったばかりだろうが」

「モンスター肉は別腹よ」

「太るぞ?」

「それは明日のわたしにぶん投げまーす!」


 腕を組んで鼻息も荒い工藤に、儀一はあきれ顔だ。放置されている影勝と碧はどうしてよいやらと視線を泳がせている。


「メンチだな。ひき肉にするのに時間がかかるから三〇分はもらいたいが、なんなら夜にするか?」

「食べたいので待ちます」


 影勝は即答した。頭はメンチカツでいっぱいで夜まで我慢などできない。


「よーし、わたしも待つぞー! 碧ちゃんも食べていくでしょ?」

「おい工藤、肉の提供者に無断で増やすなよ」

「有望探索者の近江君なら太っ腹でオッケー出してくれると信じてるから!」

「え、あ、椎名さんが食べるならいいですよ」


 工藤の暴走も碧を引き合いに出されては影勝も拒否できない。一人で食べるのは多い量だからまあいいかというものもあったが。


「碧ちゃんも時間は大丈夫でしょ? 葵さんにはわたしから連絡しておくから!」

「え、えぇぇえぇぇ!?」

「よしオッケーね!」


 独断で決めてしまった工藤は困惑の声を上げる碧の脇に置いてスマホを取り出して、どこかにメールを打っている。欲望に対する処置が速いのはベテランだからだろうか。工藤を信用するのはどうなのか、という疑惑が影勝の中に溶岩のようにふつふつと湧き上がるがメンチカツで上書きされてしまった。影勝も残念な頭だった。


「よし、じゃあ全部メンチカツにしていいか?」

「もちろんです!」


 影勝は最高の笑顔で答えると、儀一は奥へ消えた。三〇分が待ち遠しい。


「牙イノシシってことはもしかして近江君、森に入ったの? 渡した冊子にも書いてあるし、おねーさんは二階の草原にって言った気がするんだけど」


 視界から肉が消えたことによって正気に戻った工藤が影勝に顔を向ける。突然の表変に影勝は戸惑って無言になってしまうが黙っていると好きに取られてしまうので懸命に口を開く。


「すみません、二階の草原ってのは聞き漏らしてました」

「んーーー、聞き漏らしはよくないから今後は直してね。で、牙イノシシはよくないけどいいとして、他に倒したモンスターはいるの?」

「えっと……でかいネズミなら、何匹か」

「ジャイアントラットね。あれも比較的森の浅いところにでるけど、奥に行っちゃだめだからね。森の奥は新人探索者が行って良いところじゃないから。他にはないのよね?」

「ア、アリマセンヨ」

「……その反応は、ほかにもモンスターを倒してそうね。今のレベルはいくつ? 牙イノシシを倒したならレベルは上がってるでしょ?」

「えぇぇ、まぁ……」

「報告は大事よ?」

「はい……」


 工藤に詰問され、影勝は縮こまるしかない。森に行ったことは言えてもスキルのことは言えないのだ。結局、フォレストウルフの群れを倒したことまで吐かされ、メンチカツが出来上がるまで工藤講師のお説教タイムが続いた。


「えらい目にあった……」


 儀一の定食屋で極上のメンチカツに舌鼓を打った影勝だが、食べ終わったときに「午後の就業に遅刻しそうだから(確定)ギルドに直行する」と工藤が消え、ポツンと置かれてしまった碧を送ることにした。工藤のせいで話ができなかったのでこの機会にお礼と、あの『懐かしく感じた』気つけ薬について聞こうと思った。懐かしいと感じたのは自分ではなく記憶の主イングヴァルだろうと感じたのだ。 

 それに、またダンジョンに戻って森を探索してモンスターを倒していたら工藤に再度お説教を食らいそうなのもあった。何度もお説教は御免である。


「く、工藤さんは暴走することも多いけど、まじめな人なんです」

「それは講習を受けたからわかる。んだけど」


 碧は工藤をフォローすれば、影勝も理解している旨を伝える。根は良い女性なんだと思うが、ちょっとピーキーすぎるのだ。乗りこなすにはニュータイプでもなければ無理だろう。


「そ、そうなんですよ」

「なるほど……」


 椎名堂までの道のりを並んで歩くがほぼ初対面で会話のボールがいまいちかみ合わず沈黙になってしまう。また影勝が一八〇センチを超える高身長で碧が一五〇センチに届かない低身長も相まって目線も合わないのだ。影勝がふと見下ろすと碧の頭につむじを見つけた。いやそんな場合じゃない。影勝は思いきって聞くことにした。


「あの時の気つけ薬ってなんだか心地よい香だったんですけど、あれもダンジョン産なんですか?」

「あ、あれは祖母が調合したレシピで作ったものなんです。じ、じつはわたしも初めてダンジョンに入ったときに気分が悪くなってしまって、その時には生きてたおばあちゃんが持ってた気つけを嗅がせてくれたらすぐに吐き気がなくなったんです」

「そっか、おばあさんが作ってくれたものだったんだ」


 影勝は祖母の逝去はスルーした。触れるべきではないだろう。

 それよりも自分以外にもあのタイミングで体調が悪くなる人がいるのは工藤から聞いていたが、その人物が真横にいることに驚いた。

 もしかしたら椎名さんもな職業を得た可能性が?

 影勝はそう考えてしまう。あの時工藤も「まれにいる」と言っていた。つまり自分のような特殊な職業持ちが他にもいることになる。隣にいるこの女性も、と視線をやれば、碧の目と合ってしまう。


「あ、あの近江君は、あの時、何か、?」

「……いや、何も」


 影勝は碧の探るような言葉を聞いて、とっさに嘘をついた。自分のと近い状況の彼女に職業とスキルを打ち明けてもいいものか判断できなかった。悪用はされないとは思うが警戒は必要だ。


「そ、そっか。へ、変なこと聞いてごめんね」


 碧が俯いてしまい、影勝の胸が痛んだ。

 もしかしたらこの人碧さんは自分同じく知らない人の記憶を持つ人なのか、と思うが影勝は自身を理解できていない段階で話せることも多くはないことに気が付く。もう少し自分を知ってからカミングアウトしても良いだろうと考えた。


「あ,あそこの古い建物がうちなんです」


 碧が小さく指差した。椎名堂は商店が軒を連ねる中にあるこじんまりとした木造家屋で、薬屋と言うよりは和菓子屋に見える。小さなガラス戸に右から椎名堂と書かれていなければ素通りしてしまいそうな、知る人ぞ知るという隠れた名店のような佇まいだった。


「趣のある建物で歴史を感じる。あと、なんだかかっこいい」

「ふ、古いだけですよ」


 影勝の感想に碧はそんなことないと言っているが嬉しそうに口もとは緩んでいる。店の前まで送り届けて「じゃあこれで」というタイミングで店のガラス戸が開いた。


「遅いと思ってたら彼氏を連れて来たのかい?」


 ガラス戸を開けたのは、碧と同じく色彩豊かな白衣を着た中年女性だ。背丈は碧同様低く一五〇センチもないだろう。髪はボブで、眼鏡はないがあったなら碧そっくりな可愛い系のおばさんだ。

「お、お母さん、違うから! お、近江君に失礼だから!」

「近江君、ねえ」

「く、工藤さんに連れられて儀一さんのお店に行ったらばったり会って、その、近江君はおばあちゃんの気つけ薬を使った人で、だから」

「あら、じゃあ彼がダンジョンで体調が悪くなった男の子なんだ」

「そそそうなの。それで」

「すみません、近江影勝といいます。昨日探索者になるべく探索者講習に参加した際、ダンジョンに入った途端に激しい頭痛に見舞われた時に気つけ薬をつかっていただきまして、すぐに治りました。ありがとうございます」


 影勝は深く頭を下げた。

 碧が慌てているからか説明がとっ散らかっているので影勝が間に入る形だ。


「あらまあご丁寧にどうも。碧の母のあおいです」


 葵はニコリと微笑むが、その目は笑っていないことに影勝は気がついてしまう。ヤバい方にロックオンされたかと背筋に走る悪寒に身震いする。自分は決して悪い虫ではないと弁明したいが沼にハマりそうなので笑って誤魔化すことにした。


「うちのおばあさんの薬が効いて良かったわ」

「助かりました」


 よくない空気を感じた影勝は早く退散しようと会話を切り上げにかかる。金ができたので防具も物色したいし、ホテルに戻るには早すぎる。


「お、近江君は、凄いんだよ。昨日の今日で森に入って、モンスターを倒しちゃったんだから」

「森に。それは凄いわね」


 何故か嬉しそうに褒めてくる碧に葵の目が細まる。

 いやこれ完全に勘違いしてる。てか椎名さんは何を考えてる? いやふたりとも椎名さんなんだけど。

 影勝も混乱し始めた。バイトで忙しかった影勝はこの手の出来事には耐性がなかった。真意をつかめないまま「たまたま矢が良いところに当たりまして」と答えると「まあ弓使いなんて珍しい」と墓穴を掘ってしまう。

 どうすりゃいいんだ、と半泣きだ。


「碧は強い騎士王子様に護衛されて良かったわね。近江君、お時間よければ薬草茶でもいかが?」

「あの、この後防具を探しに行こうかと思ってまして」

「あら残念」


 葵は頬に手を当て首を傾げているが目は影勝にロックオンしたままだ。だが影勝は断る口実はできたので、もう一度お礼をして店を後にした。別れ際、碧に「つ、次に時間があるときには」といわれ心がぐらついたがなんとか耐えた。


「金が入ったから防具を見に行こうと思ってたけど、そんな気分じゃななくなっちゃったな。まぁスキルもあるし気を付ければ怪我はしないだろ」


 都合のいい甘い見通しを理由に、影勝はそのままホテルに戻った。

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