3.正式な探索者、影勝(3)

 影勝が牙イノシシを倒していた同時刻。職業を得たと同時に頭痛に襲われた影勝に気つけ薬を渡した椎名しいなみどりが、旭川ダンジョンのギルドに納品と素材依頼に来ていた。

 一五〇センチに届かない身長、大きな眼鏡と可愛らしい顔つきでへたすると中学生に間違われかねない彼女は、緑の絵の具がぶちまけられたかのような白衣を着て、五番カウンターを訪れていた。その場にいた数名の探索者もチラチラと碧を気にしている。


「【薬草の女神】だ。連日は珍しいな」

「薬の補充だと良いんだけどなぁ」

「納品が救ねえって工藤ちゃんがぼやいてたからそれなねーな」


 遠巻きに眺めている探索者らのつぶやきは碧の耳には入っていないようだ。

 そのカウンターには、偶然にも昼食で影勝に臨時講習をぶちかまし午後の就業に遅刻したバツとしてギルド長に買い取り業務を命ぜられた工藤がいた。


「碧ちゃん、いらっしゃーい」

「く、工藤さん、こんにちは。あの、薬の納品に来ました」

「はいはーい確認しまーす!」


 どもり気味に挨拶した碧が大きなショルダーバッグをカウンターに載せると、工藤はすぐに中身を確認し始めた。


「傷薬に手荒れ用保湿クリームに各種毒消しとスタミナ剤と……あれ、二日酔いの薬がないけど?」

「ふ、二日酔いの薬は原料がなくなっちゃって、在庫がないんです」

「ガーン! アレがないと安心してお酒が飲めないじゃなーい!」

「ご、ごめんなさい!」


 わかりやすく頭を抱えて悶えている工藤に対し、碧がぺこぺこと頭を下げている。ギルド職員と探索者らは「アレがなければなー」という冷めた目で工藤を見ているがそれは彼女に届いていない。こんなところが独身もベテランだと言われる原因であるのだが。


「碧ちゃん、工藤はほっといていい。碧ちゃんはやれることをやっている。材料がないのは探索者の問題であり引いては我々ギルドの問題だ」


 工藤の背後に、中年女性が姿を現した。旭川ダンジョンギルド長の綾部あやべ ともえ 四二歳だ。

 気の強そうな切れ長の目に泣きほくろがある、女の魅力を硬軟使い分けをしてきそうな顔を少し曇らせている。くるぶし丈のロングスカートにブラウンのもこもこセーターと首にはふわふわのマフラーをぐるぐる巻きにし、髪はハーフアップでマフラーにあたらないようにしていた。寒がりなので室内でも重武装だ。ギルドの制服はギルド長権限で免除としている。


「あ、ギルド長さん、お、お邪魔してます」

「碧ちゃん、ごきげんよう。いつも納品ありがとう。ずいぶん助かっている」

「や、薬師のお仕事、ですから」

「碧ちゃんは真面目だ。誰かさんに爪の垢を口の中に詰め込んであげたいものだ」


 綾部は工藤の頭をポムっと叩く。


「心外ですー、わたしは真面目ですよー」

「そうだな。食べること呑むことには真剣だ」

「当然ですよー、人の三大欲求ですよ?」

「まったく、どこで教育を間違えたのか……」


 綾部は上を向いて深いため息をつく。


「でも、二日酔いの薬がないのは危険だ。あれは他のギルドからも要望が強い」

「そ、そうなんですか……でも原料のソマリカの木の実がないと……」

「それなのだが、探索者がモンスターを倒す方が利があるからか薬草類の採取をする探索者が減ってしまっている」


 綾部の言葉に碧がしおしおとなる。だが綾部も眉を八の字にし困った顔だ。


「ぎるどーちょー、それは買取価格をアップしないと厳しいと、不肖工藤は愚考しマース」

「そうだな」


 しゅたっと手を挙げる工藤の頭に、綾部はポンと手を置いた。


「工藤の言う通りではあるが、ただ、ソマリカの実を探索者が減っている現状があり、買取価格を上げても集まるかが怪しい。誰かさんが講習を開催して教育してくれると大助かりなんだが?」

「今日のおつまみは何にしようかなー」


 ギルド長上司がちらっと流し目を送るも工藤は耐性を持っているのですでに今日の晩酌の献立に思考が飛んでいるようだった。「儀一の食事が美味しいのも考えものだ」と綾部は再度ため息をついた。 

 ちなみに、綾部と儀一は同じパーティーにいた戦友だ。綾部が長刀使いで儀一が魔法使いだ。儀一は肉体魔法を使っていると勘違いされた過去もあるがあの筋肉は趣味だ。


「あの、は、話は変わっちゃうんですけど、昨日気分が悪くなった彼は、その、大丈夫、ですか?」


 納品を終えて空になったショルダーバッグを抱え込んでいる碧が心配そうな顔で工藤に問う。


「あー近江君ね。ばっちり元気ね。今朝も弓を背負って端末を受け取りに来てたし。あれ、もしかして碧ちゃんのタイプ?」

「あああのいえ、わ、わたしの時は、あの後、何日か体調が良くなくって」

「そっか、碧ちゃんも職業を得た時に具合が悪くなっちゃったもんね。まぁ近江君は大丈夫っぽいよ。日本でも随一の名薬師【椎名堂】特製の気つけ薬で回復したんだし」

「そそそそんなおおげさなぁ。すごいのは、おばあちゃんとお母さんだから」

「でもねー、椎名堂の薬は各ダンジョンで納品待ちしてでも欲しいって陳情が来てるし。薬師が多い旭川ダンジョンでもそんなの椎名堂しかないのよ?」

「そそそそんなことはないです、絶対に」


 碧はぶんぶんと顔を横に振る。


「工藤、碧ちゃんを煽るのはそこまでにしておけ。二日酔いの薬を売ってもらえなくなるぞ」

「ぎゃふん!」


 綾部のチョップが工藤の頭にさく裂した。潰れた蛙のような断末魔はどちらの要因か。おそらく後者だ。


「各種薬草類の納入不足はギルドから特別依頼を出すことにしよう。森の探索だからリスクが大きくなってしまうが、三級探索者程度なら問題ないだろう」


 あまり期待しないでほしいが、と綾部は苦笑した。

 予想外に矢を消費してしまった影勝がギルドに戻ったのはちょうど昼時だった。ギルドも昼休憩なのか人影もまばらだ。受付には一人いるが、探索者はいないのでそこでお昼を食べている。なんとものんびりした空気が漂っていた。


「ナイスタイミングかもしれない」


 影勝はほっと息を吐いた。今、影勝は小の魔石を六個、極小の魔石を四個も持っている。合計すると二十万円分だ。今朝がた端末を貰ったばかりの超新人なのにだ。しかもソロで。だいぶおかしいのは自覚していた。

 生活費のためには換金せねばならないが誰かに見つかると怪しまれるだろうと心臓がバクバクしている。影勝は若輩な一八歳。まだまだ小物なのだ。

 挙動不審にならない様にゆっくり階段を上り二階の魔石自動納入機械に向かう。

 ギルドの二階は休憩所のようなロビーと資料室と看板があるドアと魔石自動納入機械らしき物体が五台並んでいた。パーテーションで仕切られ個室のようになっている。


「よし、誰もいない」


 二階は無人だった。人の気配もしない。昼の時間帯は探索者もギルド職員も一番人が少ない時間なのだろう。たまたまだが運が良かった。

 魔石自動納入機械は銀行のATMにそっくりだった。違うところは、入れるものが現金ではなく魔石なところだ。

 画面に『探索者カードを入れてください』とあるので案内通りにカードを入れる。ガーっと蓋が開き魔石を入れるための投入口が現れたのでごろごろと魔石を入れ投入完了ボタンを押す。開いた時と同じようにガーっと蓋が閉まった。カラコロと魔石が転がっていく軽い音がして画面に集計結果が出た。


「極小が四、小が六で計二十万円。あってるからOKっと」


 二日も働いていないのに高校時代のバイト代になってしまったことに驚きつつ、いいのかこれでとも思ってしまう。

 探索者カードが返却されたので影勝はそそくさと魔石自動納入機械の前から離れた。宿に戻るには早いのと昼時に儀一の定食屋に行くと工藤に捕まりそうだと考えた影勝はまず矢の補給からすることにした。空きっ腹をおさえ弓を買った佐原武具店に向かう。


「こんにちはー」


 挨拶して入店すれば、店主だろうおばさんがいた。今日はフリースの上に熊出没注意のエプロンをつけている。熊とは店主のことだろうか。聞くと怒られそうだ。

 店内には探索者が四人いたが、見覚えのある顔だった。今朝端末を受け取り煮た場にいた新人探索者の男女四人だ。なにやら顔を突き合わせて相談しているようだ。


「おや、弓を買った兄さんじゃないか。もう調子が悪くなったのかい? それとも違う武器に替えるかい?」


 おばさんは腰に手を当てた。普通はそう思うよなと影勝。


「短弓の矢がなくなっちゃいそうで、追加で買いに来ました」

「なんだって!? もう使っちゃったのかい?」

「えぇ、矢は刺さるんですけどモンスターが暴れて矢が折れちゃうんですよ」

「ダンジョン産とはいえ木だからねえ」

「ダンジョンの木!?」


 影勝はあんぐりと口を開けた。


「むかーしからいろんな材質の矢を試してるんだけと、ダンジョンのモンスターにはダンジョンの木の矢が一番効くのさ」

「そうなんですか」


 ネットなどで情報を調べてはいたが、弓そのものがマイナーだったこともあり、初めて知った事実だった。


「鹿児島みたいに鉄が出るダンジョンもあって、そこの鉄で打った武器がモンスターには一番効くんだけどね」

「ってことはその鉄で矢を作ればもっと強い?」

「そうなんだけどね、あいにくとダンジョン産の鉄の用途は多すぎていつでも供給不足で、矢につぎ込むほどはないのさね」


 店主は肩をすくめやれやれのポーズを取る。残念ではあるがないなら仕方なしと影勝は木の矢を買うことにするのだが。


「在庫があと十本しかない?」

「そもそも出ない弓に対しての矢なんだ、在庫はさほど置いてないんだよ」


 不良在庫は持たないのだと店主は言う。釈然とはしないものの残りの矢を買うことにした影勝だが、依然矢不足は改善されないままだ。

 やっぱ枝から削り出すか。同じダンジョン産の木だし。なんとかなるだろ。

 若さゆえの思い切りの良さがそっちに意識を切り替えさせた。おまけしてもらって矢は十本で一万円だった。どうせなので長い弓の矢も追加で買う。こちらは三〇本あったので根こそぎ買い占めた。こちらは三万円だ。不良在庫がはけた店主はニコニコである。


「そうだ、お客さんの名前は?」

「近江影勝です。影に勝で影勝」

「近江影勝様ね、まいどあり、またご贔屓に」


 ご機嫌な店主に見送られ影勝は店を後にした。

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