食洗機
草森ゆき
第1話
一人暮らしを始めて二年、おれは皿洗いが大嫌いなのだが、ならサメを買えばどうかとアドバイスを受けた。流しに水を溜めてサメを泳がせておくそうだ。皿を置けば勝手に洗ってくれて、とても使い勝手がいいらしい。
食洗機シャークと銘打たれたサメを買うことにした。取り扱い説明書通りに、流しの中へ離した。汚れた皿を放り込むとすぐに突っ込んでいき洗ってくれる。皿は艷やかな白さになって、おれは皿洗いの煩わしさから解放された。
これを教えてくれた山本にお礼を言おうとしたが、死んでいた。
スマホに送ったメールに返信してきたのは返信用シャークで、どのように亡くなったのかを丁寧に説明してくれた。
通勤シャークに食い殺されたらしい。まじかよ、と声に出た。通勤シャークはたしかに危険なのだが、おれ自体は襲われたことはなかったし、人間を襲うらしいと聞いてはいても実際に見たこともなかったから、なんとなく大丈夫なのだろうと思っていた。
翌日、最寄り駅にはゆらゆらと空中を泳ぐ通勤シャークがいたから、おれはなんとなくバス通勤にシフトした。
バスの車窓から眺めた市街地には色々なサメがいた。今日は曇りだから、曇天シャークがちらほら見える。乗り物シャークで通勤するサラリーマンがいる。向こう側の道に救急シャークがいて、散らばった人間の手足がここからでも見える。なんらかのシャークに食われたのだろう。道路上の血は赤黒いい。出歯亀シャークが事故現場に寄っていく。
職場のあるビルの周りを名前のわからないサメが二体泳いでいた。同期に、観光シャークじゃないか? と後で教えられた。窓からこちらを覗き込み、笑うように歯を剥き出していた。鋭い歯の隙間には誰かの肉が挟まっていて、サメが頭を振ると剥がれて地上に落ちていった。
帰宅して、流しを見た。食洗機シャークが、円を描くようにぐるぐると回っていた。冷凍パスタをチンして皿に出し、台所で立ったまま食べ始めた。そのあいだ、ずっと食洗機シャークを見下ろしていた。ぐるぐる、ぐるぐる、何かを探すように回っていた。パスタソースのついた皿を入れると一目散に寄ってきた。
山本、死んだんだよ。おれは食洗機シャークに話し掛ける。お前のこと教えてくれたやつだよ。食洗機シャークは皿を真っ白にする。おれも食い殺される時が来るかもしれないよな。食洗機シャークはまたぐるぐるし始める。フォークも洗う? 放り込んだフォークはすぐに美しい銀色になる。
皿とフォークを取り出して水切りかごに置いてから、おれはシャワーを浴びてさっさと眠った。
次の日は休みだった。昼頃まで寝て、インターホンで起きて、ろくに確認せずに扉を開けて後悔した。
押し売りシャークが扉の向こうに立っていた!
勢いよく飛びついてきた押し売りシャークはおれの肩に噛み付いて、鋭い痛みに叫び声が漏れた。反射で突き飛ばし、どろどろ落ちる血液に足を滑らせながら部屋の奥に逃げ込んだ。当然押し売りシャークはついてきた。
「た、助けて!!」
なんて叫ぼうが一人暮らしだ。押し売りシャークは真っ直ぐにおれへと近付いて来て、血で赤く染まった歯を見せながら大きく口を開いた。奥は真っ黒だった。シャークの体にはおれから飛び散った血が点々とついている。死の押し売りなんてごめんだ、とか今際の際によくわからないことを考えた。
あと少しで食いつかれるという時に、ざばりと水の音がした。
食洗機シャークだった。音に気付いて振り向いた押し売りシャークに、食洗機シャークは真っ直ぐに突っ込んでいく。
二匹のシャークは頭同士をぶつけ合った。衝撃でよろめいたのは押し売りシャークで、その隙に食洗機シャークはすばやく回り込み、押し売りシャークの横腹に思い切り噛み付いた!
鮮血が吹き出して、床に撒き散らされた。海水と血液の混じった臭いが部屋の中に満ちる。押し売りシャークが身悶えている間に、食洗機シャークはぐるぐる回り、押し売りシャークの体のあらゆるところを噛み砕いていく。おれが毎日眺めていた、皿を洗っている時の動きにそっくりだった。
やがて押し売りシャークは骨だけになった。真っ白な骨は大量の血溜まりの上に横たわり、ぴくりとも動かなくなった。
おれはおれで瀕死だが、まだ生きている。肩口の乾きかけた血を押さえつつ立ち上がり、押し売りシャークの骨付近で揺らめいている食洗機シャークに近付いていく。
「もしかして、助けてくれた……のか……?」
おれが飼い主だから、飼い主が危ないと思って、来てくれたのか……?
なんて思ったのは、完全な勘違いだった。
食洗機シャークはおれを見ると、口を開けて肩に噛み付いてきた。あまりの痛みに声が出ず、何が起こったかも腕ごと噛み千切られた時にはまだわこらなかった。
血が次々に溢れ出る。食洗機シャークはおれの周りをぐるぐる回る。
ああこれ、汚れを探す動きだ。血で汚れたところを、全部真っ白にしようとしてるんだ……。
おれはやっと理解したが、もう全部遅かった。
食洗機 草森ゆき @kusakuitai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます