第七章 藤吉真尋⑤
終礼のチャイムの響きが
いけない。ボーっとしてた。
休憩時間に入っても喪に服しているかのように教室はまだ静けさの中にある。藤吉にとって不覚だったのはこの展開。昼川と爽町を排除すれば教室は本来あるべき円滑な授業を進める学び舎へ戻っていくと藤吉は考えていた。まさか授業そのものが滞り、外部から今まで以上の雑音が入ってくることになるとは思ってもみなかった。でも、と藤吉は思う。それもきっとしばらくの辛抱だ、と。
あの入試不正のニュースのようにマスコミや大衆の関心などすぐに移り変わっていくものだと藤吉は考えていた。その時、ふと藤吉の視線があるものに
今日は私が書こう。他の誰も手をつけないはず。
藤吉はそう考え、日誌を取りに席から立ち上がった。学級日誌を記す自身の姿を藤吉は脳裏に思い描く。それはクラスメイトの死を乗り越え
そうして途中で帰宅することもなく中身のなくなった形式的な一日のスケジュールをこなした藤吉は下校していくクラスメイトを尻目に日誌の
通学鞄を肩に掛け、日誌を手に藤吉が教室を出る頃には二年四組には
昼川を
教室を出てから三階分の階段を下りて渡り廊下を通って角を曲がる。それから真っ直ぐに延びた廊下を突き当たりまで進み、職員室の扉を開けて藤吉は
「先生。堤先生」
その声掛けで堤はようやく藤吉に意識を向けたようだった。藤吉の差し出した日誌を流れ作業のように受け取って堤は今日のページに目を通していく。そして、堤は顔を上げることもなく、なんでもないことのように、その言葉を藤吉に浴びせた。
「委員長はいつも通りだな――」
耳元であの
いつも通り?
そんな疑問が藤吉の頭に浮かんだ。そんなはずない、と藤吉は堤の言葉を否定し、
そんな、そんなはずない。今の私は、昼川くんの死に心を痛めている
心中に並べ立てた言葉とは裏腹に藤吉は足下が揺らぐような
堤先生は知ってる? 私が何をしてきたか。私がどういう人間か。全部お見通しだったの? 堤先生には私が――
爽町に奪われた日誌。昼川の告白。美ノ瀬や
私は、あたしは、わたしは、今どんな顔をしてる?
「――わたし、普通に見えますか?」
その言葉を誰が言ったのか、藤吉には分からなかった。
優等生の“藤吉真尋”と内側に潜む本来の藤吉。どちらがその言葉を口にしたのか分からないことが藤吉は怖かった。外側と内側の
走ったわけでもないのに息が荒かった。まるで
こんな姿は誰にも見せられない。
廊下の隅で藤吉は
認められないことが怖かった。日々の努力が、積み上げたものが評価されないことが嫌だった。始まりはそれだけだった。けれど、今はそれだけではなくなっていた。認められなければ何も残らない。いつの間にかそんな疑念が藤吉の頭から離れなくなった。
だって、と藤吉は思う。
――だって誰も私に気づいてさえくれなかった。
両親が、クラスメイトが、先生が、友達が、みんなが好きなのは“藤吉真尋”であって私じゃない。
藤吉はどこかで気づいていたその事実に
怖い。本当は何者でもない自分が、何も持っていない
――私はずっとこの世界に置き去りにされてしまうことが怖かった。
真っ赤な夕陽に染まった廊下の向こうから力強い足音が近づいてくる。藤吉が顔を上げるとスーツを身に
その女性の表情は使命感に燃えているように藤吉には見えた。それは校門の周りを囲んでいた記者達とは明らかに違うものだった。その様子から藤吉はその女性を警察関係者だと予想する。
確固たる自分を持った人だ。私とは違う、と藤吉は思う。
けれど、ふと藤吉はこの人なら見つけてくれるのではないか、とも思った。隠し続けてきた本当の自分自身を。“藤吉真尋”を知らないこの人になら何もかも打ち明けられるのではないか、と。美ノ瀬のことも、爽町のことも、昼川のことも、全てを。
そこに根拠はなかった。でも、それでも、今を逃せばもう二度と
「あ、あの」
廊下には藤吉一人が取り残された。
藤吉は誰かに
ああ、なんて――と藤吉は嘆く。
「――なんて、私は運が悪い」
チャイムの
風の音にぞ驚かれぬる。
ひどく皮肉な和歌の一節が藤吉の頭に
一人歩く世界は暗くて
街を渡る九月の風は
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