第七章 藤吉真尋③
夏期休暇の明けた二学期初日。
藤吉と昼川の間にあった出来事を知っている
ピーピング・トムはいなかったらしい。昼川くんの方も失恋を触れ回る
――“藤吉真尋”のブランドは守られた。これで
藤吉は心置きなく危険人物達の退場劇に取り掛かることを決めた。
手始めに藤吉は
教室では表立って話すこともない昼川と美ノ瀬。しかし、二人の間には何か特別な親密さがあると藤吉は
美ノ瀬から告げられた言葉が昼川の耳にどう響くか、その際に告げられるべき最も効果的な言葉は一体何かと藤吉は考える。そこで藤吉は昼川に並ぶもう一人の危険人物、
その発想の源には昼川の告白があった。昼川によって思い知らされた異性という危険性。それを使って二人を
折を見計らって藤吉は視野の端で隣の席に座る美ノ瀬を意識する。その美ノ瀬の視線が昼川と爽町の
「お似合いだよね、あの二人」
その言葉が美ノ瀬の耳に確実に届くように、そして、美ノ瀬が二人の関係性を
何かが
昼川とその周囲に今までと異なる意味を持って爽町の存在を認識させる。それが藤吉の狙いだった。美ノ瀬から伝えられる言葉が何であれ、それを昼川は
美ノ瀬くんの口から昼川くんの耳に入ればそれでいい。
昼川が爽町に対して抱く感情を敵対心以外のものへと変える。そのための算段だった。距離が近づけば間違いの起こる可能性は飛躍的に高まる。まずは昼川の側から爽町へと近づく工夫を藤吉は施したのだった。
距離の遠近とアクシデントの発生確率。その相関を藤吉は思い描く。昼川に爽町への精神的及び身体的距離の接近を
昇降口で藤吉が追いついた時には教室へと向かったのか既に美ノ瀬の姿はなかった。二人の会話から得られると見込んでいた有益な情報を取りこぼしたことに藤吉は悔しさを覚える。しかし、すぐに藤吉は昼川へと気持ちを切り替えた。
昼川と二人。瞬間、告白の記憶が
「昼川くん」
振り返った昼川は不安と期待の入り交じったような目をしていた。まだ昼川の中には自分への思いが
まだ時間はある、と藤吉は自分自身に言い聞かせる。
昼川の現状を確認し終えた藤吉は呼び止めた理由を
「上靴。
昼川の表情が
「だいじょうぶ。コケたりしねぇよ。俺も藤吉と同じくらい運良いんだぜ」
昼川はそう言うと上靴を履き直すこともせず、そのままの状態で教室へと向かっていった。 思った通りだ、と藤吉は思う。
想いを寄せる相手の関心を買うために昼川ならその程度の危険は引き受けるだろうと藤吉は読んでいた。それが自らの身の安全を売り飛ばす行為だと考えもせずに昼川ならそうする、と。上靴の履き方など昼川にとってはその程度のもの。病的なまでに整えた自身の身だしなみを見下ろして藤吉の中に皮肉な笑いが込み上げた。それを喉元で押し留めると藤吉はゆっくりと教室へと向かう。
上靴の履き方。そんな小細工が成果を上げる可能性は低い。けれど、人事を尽くすことが
次の狙いは爽町雛子だった。
放課後の教室で藤吉は爽町と二人きりの状況を作り出した。文化祭準備のために全体の進行を握っている藤吉にとって教室の人払いを済ませる程度は訳もないことだった。男子達には衣装の採寸と伝え、衣装班の女子にはその時間を遅らせて連絡してある。
その限られた時間の中で藤吉は爽町を
爽町さんは私に共感しているらしい、そんな印象を藤吉は抱いていた。藤吉にとっては奪われたに等しい日誌も、爽町からすれば藤吉の過労を心配してのものだったらしい。思い返せば爽町の言葉の端々には藤吉への同情が現れていた。一人で学級委員の仕事に献身的に打ち込む藤吉の姿が爽町には孤独に映っているらしかった。
爽町の共感も同情も心配も藤吉には必要のないものだった。しかし、その憧れさえ入り交じりかねない爽町の優等生への感情を有効活用しない手はない。爽町の同情心を刺激するように二人しかいない教室で藤吉は敢えて日直の代わりに黒板を消す。二人きりの教室で藤吉に雑務をさせたまま、爽町がただ黙っていられるはずがない。藤吉はそう考えていた。
「昼川くんってなんであんなにガサツなんだろうね?」
学校以外で交流のない爽町が藤吉に対して選ぶ話題は二人の共通項である二年四組の事柄だということも予想できていた。その上でどう話題を昼川へと誘導するか、その点に藤吉は考えを巡らせていたが、その工程は爽町のおかげで無用になった。
一つ、手間が省けた。
藤吉は手を止めて振り返り、爽町が望むであろう言葉と話題への
「でも、すごいよ爽町さんは。あたしだったら昼川くんに何か一言注意してやろうなんて、絶対できない。やっぱり、ちょっと怖いし」
怖いという言葉で藤吉は自分が昼川へ苦手意識を持っていることを暗に示し、爽町の優越感を
「思ってたほどじゃないよ。確かに背は高いけどね」
爽町の返事は藤吉の思う壺だった。
優等生が苦手とするクラスの問題児、昼川蓮司を自分は苦にしないと爽町は言ったようなものだった。これで責任感の強い爽町さんは行動せざるを得なくなる、と藤吉は
第一条件はクリア。本題はここから。
藤吉は注意を引くように
「……でも、ほら」
そうして引きつけた爽町の意識に
「……いじめとかさ、怖くない?」
その言葉は爽町にゆっくりと浸透していったようだった。
「いじめ?」
口元だけを動かしたような爽町の疑問に藤吉は明確な答えを授ける。
「うん。ほら、……
美ノ瀬と昼川がいじめの関係にないことは藤吉の目には
黙り込んだ爽町は昼川と美ノ瀬の関係にいじめという名前をつけて記憶を分類し直しているようだった。それは爽町には優等生“藤吉真尋”の言葉を疑う発想などないという藤吉の考えた通りの反応だった。それでも不備はないかと藤吉は注意深く爽町を観察する。爽町はそれが
「藤吉さんが私なら昼川くんにどうやって注意する?」
爽町の問いに藤吉は思わせぶりに視線を外す。そうして自分にはどうすることも出来ないとでも言うように爽町に背中を向け、
「あたしは、……やっぱり爽町さんみたいに自分一人じゃ行けないかな。だから、先生とか大人を呼ぶと思う。昼川くんだって大人は苦手だろうし」
自分一人。先生。大人。藤吉はその言葉を爽町に意識させるために意図して使った。
“藤吉真尋”の提示した解決策。それは
そして、藤吉は念には念を入れて昼川を
「――怖いものだってあるんじゃないかな」
それは暗示となって爽町の
昼川へのものとは対照的な爽町への
準備は整った。もう、いつ幕が上がってもおかしくはない。
退場劇の幕開けを藤吉は一日千秋の思いで待ち焦がれていた。
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