間章 芝亀望⑦

 明くる日曜日、芝亀しばがめは土曜日と同じく律調りっちょう高校付近で聞き込みをすることにした。

 編集部から自転車に乗って律調高校通学圏内の家々をまわる。しかし、午前中いっぱいをかけた取材の結果も惨敗だった。とぼとぼと自転車を押しながら芝亀は昼食休憩にしようと一昨日にも立ち寄ったコンビニへ向かう。その道中で小さな街区公園が目に入った。昨日の聞き込みの際には誰もいなかったその公園の奥に今は二人の少年がベンチに座っている。

 その少年達の足下にはサッカーボールが転がっていたが、それで遊んでいる様子はない。会話を楽しんでいる雰囲気でもなく二人は黙って、ただ時が過ぎるのを耐えているように芝亀には見えた。その少年達に芝亀は近づいていく。

 近づくにつれその少年達の顔立ちや背格好がはっきりと見えてくる。背は高いが、面立ちにはまだ幼さが残っていた。

 高校生に見える。なら、訊くだけ訊いておいて損はない。

 芝亀は少年達に警戒心を抱かれないように近すぎず離れすぎてもいない位置から声を掛けた。

「あの、間違ってたらすみません。もしかして、律調高校の生徒さんですか?」

 芝亀のその呼びかけに二人はキッと目を上げた。

「……だったらなに?」

 喧嘩腰なその返事を芝亀は肯定の意味に取った。けれど、もう一方の少年が制止する。

「やめとけ、稲村いなむら。帰ろうぜ」

 そう言って腰を上げた二人を芝亀は泡を食って止めに掛かる。

「待って待って。えっと、その……」

 しかし、上手く言葉が出てこなかった。少年達はそんな芝亀を置いて公園の入り口へと歩いていく。

 ダメだ。引き留めなきゃ。えっと――。

「き、君達のクラスに不満を持ってた人がいるみたいなんだ! その人のことが知りたいんだけど!」

 そう早口で言い立てると稲村と呼ばれた方の少年が立ち止まった。少し遅れてもう一人も立ち止まる。今の鎌掛けに足を止めるということはこの二人は律調高校の生徒というだけでなく、どうやら事件のあったクラスの生徒らしい、と芝亀は推測する。

「クラスに不満って爽町さわまちさんのことでも訊きたいの?」

 その口調に当たりだ、と芝亀は思う。

「――それなら警察行った方が良いかもよ。今、そこにいるし」

 今、警察にいる。

 その言葉から“さわまち”という人物は事件を起こした生徒だろうと芝亀は予想する。事件を起こした生徒はその日のうちに逮捕されていたはずだった。つまり、それはあの日に芝亀が夜道で出会った生徒ではありえない。

「違う。その人じゃない。でも、その人のことも聞かせてもらえたらうれしい、んだけど」

 芝亀のその言葉に少年達は怪訝けげんそうな表情を浮かべた。

「爽町さんじゃない? えっと?」

 そこで芝亀は名刺を取り出した。

「私、こういう者、です」

 そう言って二人にそれぞれ名刺を渡すと、稲村と呼ばれた方の少年が受け取った名刺を声に出して読み上げた。そこに滲む不信感に芝亀は気づかないふりをする。

「『月刊壱蜂いっぽう』編集部。しばかめ、のぞみ」

 誌名はローマ字が併記されているが肝心の記者名にはルビがなかった、と芝亀は焦る。

「あ、しばがめ、です」

「芝亀、さん」

「はい」

 今度はもう一人の少年が口を開いた。

「それで、お姉さんは記者か何かですよね」

「はい」

「その記者さんが僕らに何の用ですか? 事件のことなら話したくありません」

 慇懃いんぎん無礼ぶれいな少年の物言いには乗らず、芝亀は率直な態度を心がける。

「……そっか、それならそれでいいんだ。私が知りたいのは事件のことっていうより、君達のクラスのことだから」

 芝亀の返答に二人はますます合点がいかないような表情を浮かべた。

「でもそれって結局、記事にするってことでしょ? あることないこと面白おかしく書き立てて、ネットとかにさらして楽しいですか? こっちはいい迷惑ですよ」

「……そうだよね。でも、ごめん、まだ記事にするかどうかも決めてないんだ。ただ気になって、知りたいってだけ」

 そう言う芝亀に稲村と呼ばれていた少年が我慢しきれないというように問いかけてきた。

「何が気になって、何が知りたいって?」

 さっきまでの反抗的な口調ではなく、それは珍しい生き物でも見るような口振りだった。けれど、もう一人の少年はまだ芝亀に話をする気はないらしい。

「おい、稲村!」

「だって気になるじゃん。このタイミングで昼川でも爽町さんでもないって変だろ、この人。草尾くさおは気になんねぇの?」

 そう言われて草尾と呼ばれた少年は口を閉じた。そして、稲村が芝亀を試すように見つめてくる。その目を芝亀は正面から見返した。

「私が気になってるのはね、――」

 芝亀はあの日、夜道であった出来事をその少年達に話した。二人は芝亀の話を遮ることなく聞いていた。その上で感想を伝えてくる。

「そんなこと言うやつ、うちのクラスにいるか?」と稲村。

「……どうだろ。……もし、言うとしたら、うーん、込波こみなみとかかな」

 草尾の出した名前の響きに芝亀は聞き覚えがあった。しかし、自分で思い出す前に訊いてみる。

「それ、どんな子?」

 その方が手っ取り早く、かつ情報を得られる可能性が高いと芝亀は判断していた。

「いつも猫背のやつです」と草尾はない声でその生徒の特徴を挙げた。

 猫背か、と芝亀はあの日の光景を頭に思い描く。姿勢はそれほど悪くなかったように思えた。

「その子じゃないかも」

 芝亀がそう言うと、

「なら分からないです。クラスの他のやつにも訊かないと」

「だよな。女子とかにも訊いた方がいいんじゃね」と二人は答える。

 それは芝亀にとって願ってもない申し出だった。

「……お願い出来たりするの?」

「まあ、頼むだけなら」

「早い方がいいんですよね。明日とか?」

「明日って月曜日でしょ、君達学校は?」

「こんな状況で授業なんか受けてられないですよ」

 そこには言葉にしなくても友達が亡くなっているのにという無念が十分に込められていた。その思いを芝亀は頷きをもってしっかりと受け取る。

 そうして芝亀は二人と月曜日に会う約束を取り付けた。場所は『月刊壱蜂』編集部。編集長の加齢臭が染みついたソファを明日までになんとかしておかないと、と芝亀は頭のメモ帳に記しておく。

 二人と別れてからも芝亀は取材を続けたが、稲村と草尾の二人以上に有力な証言者や情報に出会うことはなかった。二人との約束に備えるためにこの日、芝亀は取材を早めに切り上げて編集部へと戻ることにした。

「ただいま戻りましたー」

「おう、おつかれ。取材は上手くいったか?」

 昨日のやりとりを踏まえた上でそんな風に絡んでくる編集長に面倒臭さを感じながらも芝亀は返事をする。

「編集長の言う通り全然上手くいってないっす。……ただ、明日、律調高校の生徒さんが来てくれることになりました」

「あ?」

「そういうことなんで、そこのソファ、お客さんが座れるようにしといてくださいよ。汚してるの編集長なんすから」

「おいおい、待て、そんな急に――」

 珍しく慌てているらしい編集長に芝亀はこれでシーフード味のことは忘れましょう、と溜飲りゅういんを下げた。

 そして、翌日、月曜日の午前十時。『月刊壱蜂』編集部を訪ねてきた証言者は四人だった。

 芝亀が昨日、直接約束を取り付けた稲村と草尾。そして、残るは少年二人と同じクラスだという女子生徒でそれぞれが杉江すぎえ神崎かんざきと名乗った。特等席を来客に明け渡した編集長はやむを得ずといった様子で編集長席に収まっている。

 芝亀は集まった四人を応接用ソファに座らせてから話を切り出した。

「今日は来てくれてありがとう。……でも、そうだな、自分で言うのもおかしいんだけど、どうして来てくれたの?」

 その問いかけに答えたのは杉江だった。

「稲村達から記者さんの話を聞いて私も気になったから。……それにヒナがあんなことするわけない。そういうことあの日は言えなかったし、もし、理由があったんなら私も知りたい。それが分かるかもって思ったから、来ました」

 言えなかったというのは教師や警察にということだろうと芝亀は暗黙のうちに了解し、その上で一つ質問を挟む。

「ひなって言うのは?」

 その問いには神崎が口を開いた。

爽町さわまち雛子ひなこ昼川ひるかわを刺して捕まっちゃった私達の友達」

 これ、と言って草尾が鞄から何かを取り出して芝亀に渡してくる。それはクラスの集合写真、その拡大コピーだった。そこに映る一人の女子生徒を草尾は指で示す。それぞれの氏名もそこには記されていた。当然、被害者として報道された昼川の名前も並んでいる。

 これが昼川蓮司、それからこっちが、事件の加害者?

 芝亀の目にはそこに映る爽町雛子という生徒は誰かを刺すような人物には見えなかった。

 その写真に目を落としながら芝亀は四人に向かって質問をする。

「君達にとってこの爽町さんは今回みたいな事件を起こす人?」

 その質問に女子生徒二人は共に首を横に振った。けれど、男子二人は悩む様子を見せる。

「……しないとは思う。でも、最近の爽町さんはなんか変だったから」

 そう漏らした稲村に神崎が気分を害したように応じる。

「変ってなに?」

「変は変だよ。お前らは思わなかったわけ?」

 その言葉に芝亀は問いを重ねる。

「それはいじめに関わってるとか、そういうこと?」

「いやいや、いじめとかないっす、うちのクラスに」

 そう返した稲村に今度は杉江が嘘を吐くなという風に言い返す。

「ないって言い切れる? 美ノ瀬みのせくんのこと、いじめてたんじゃないの? 昼川が!」

「美ノ瀬? 馬鹿かよ、あいつら仲良いって絶対! それにいじめてたって言うなら爽町さんの怒り方とかも見ようによってはいじめじゃん!」 

 その稲村と杉江のやりとりに芝亀はどこかちるものを感じていた。

 同じクラスにいてもこれだけ認識にズレがある。あの夜道にいた生徒にとっては昼川と爽町、そのどちらか、あるいは両方が授業の妨げになっていたのかもしれない、そう芝亀は考えた。

 白熱していく口論を抑えがてら芝亀は別の質問を投げかける。

「ところで昨日言ってた、“こみなみ”って子はどの子かな?」

 草尾が芝亀の持つ写真を覗き込むようにして“込波”の文字を指さした。

「こいつです。込波こみなみ順太じゅんた

 違う。別人だ、と芝亀は思った。

 それは明らかにあの日の人影とは違っていた。けれど、芝亀が見たのは夜道を行くその生徒の背中だけ。正面を向いたクラス写真からはあの人影を特定することは難しそうだった。

 その後も四人から証言を取り、芝亀は事件の実際の流れや警察の対応などを把握した。けれども二年四組で何が起きていたのか、その実態を掴むことは出来なかった。全員の共通認識としてあったのは授業が他のクラスよりも遅れているといったものくらいだった。

 いじめに関してもその有る無しに男女差はない。差異があるとすれば手段だけ。昼川と爽町そのどちらも話を聞いただけでは完全にいじめに関わっていないとは芝亀には言えなかった。二年四組に何が起きたのか芝亀にはまだ分からない。

「これでようやく静かに授業が受けられる」

 その言葉の真意を知るために芝亀に残された方法は一つ。声の主に直接、問い質すことだけだった。

 学校に出席している生徒へ草尾に連絡してもらったところ、今日の二年四組の授業はその全てが自習になっているようだった。だとすれば、途中で学校を抜け出して家に帰ることも十分に考えられる。四人を編集部から送り出して芝亀は自転車であの場所へと急いだ。

 ――そして、待つこと数時間。果たしてその人影は芝亀の前に現れた。

「良かった。もう帰っちゃってるのかと思ったよ」

 芝亀の声にその人影は足を止めた。風の中にたたずむ名前も知らないその人影に芝亀は改めて声を掛ける。

「――ねえ、君の話を聞かせてくれる?」

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