He became a father 3
裕也と悠が共に神邊の門をくぐると、すぐにそれに気が付いた大勢が駆け寄ってきた。この二人が揃って歩いている構図は真夏に雪が降るよりも珍妙に見えたが、誰しもがそれどころではなかった。
俶子が痺れを切らす前に、悠を連れて行かねばならない。早口で事情を説明すると手を引き、背中を押し、あれよあれよと言う間に俶子の下へと連れていかれてしまう。その最中に悠は振り返って裕也を見た。先ほどの朗らかな笑顔と違い、眼光鋭く悠の後ろを見つめるのはまるで敵に睨みを利かせるようでもある。
悠の連れていかれた部屋は先程まで他家の祓い人たちを招いていたところだった。既に俶子を始め神邊家の幹部クラスの面々が座っている。そこには夏臣と千昭と冬千佳の姿もあった。
「事態は待っていても進展はしません。操の事がどうであれ、こうなってしまった以上は誰かが後を継がなければなりません。私達神邊家にはその責任があります」
「悠、あなたは才能も実績もあります。異論を唱える者はいないでしょう。明日からの務めはあなたが指揮を執りなさい」
「…わかりました」
その時、これまでのやり取りをすべて否定する言葉と共に部屋のドアが開いた。
「駄目です」
かつてみたこともないくらい険しい表情の裕也がずかずかと入ってくる。しかし、いつもと雰囲気が違うとはいえ、裕也のこの家での立場が変わっている訳ではない。すぐに何人かが立ち上がり彼を静止しようと動き出した。
「ちょっと、お父さん」
部屋にいる全員の目が裕也から悠へ移動する。その上、全員が耳を疑ったかのような顔をしている。俶子でさえも裕也を父と呼んだ悠に気を取られてしまい、叱責の声も喉の奥に引っ込んだ。
裕也はここぞとばかりに進言する。
「申し訳ないが、一度お義母さんと二人にしてもらいたい。神邊家のこれからについて大事な話があります」
「何を勝手な、」
「お願いします」
裕也の圧に押された師範の男は、目を逸らしてしまったことを誤魔化すために俶子を見た。俶子も俶子で裕也にただならぬ何かを感じ取ったようで、少し考える間は有ったもののその申し出を飲みこみ、裕也を睨みつけると彼を引き連れて個室へと移動した。そしてこれ見よがしに溜め息をついた。
「時間を取らせないでください」
と、いつものように強い口調で言った事を少し後悔した。座っている自分に近づいた裕也の圧力に俶子は心を気圧されたからだ。あのどうしようもないと思っていた軟弱な娘婿が、かつての自分が相手どってきた妖怪たちが放つ強大な妖気に似た不気味なオーラをまとっている。
「悠は母親がああなってしまったことで、今とても不安定です。そうでなくとも十七歳。子供の頃からの実績があるとは言え、荷が重すぎます」
「では一体誰が…」
「僕が務めます」
「馬鹿な事を言わないで頂戴。あなたが現場に出て行って一体何ができるというのですか」
「一月前だったら指をくわえて見てたでしょうけど、今は違う。僕も戦えます」
俶子は裕也に興味を持っている事に気が付いた。普段通り問答無用で言い伏せれば良いだけなのに、この底知れぬ自信が一体どこから出てくるのかを確かめたくて呆けたように真意を聞いた。
「どうやって…」
「ここ最近になってMr.Facelessと名乗るのっぺらぼうが好き勝手に暴れまわっていることはご存じでしょう?」
「と、当然です。今回の事件はそののっぺらぼうと鵺の策謀ではないかとも思っています」
そう言われ裕也はギリっと歯噛みをした。そんなことはあり得ないと自分が一番よく知っているから。
「変な事を考えないで、もっと早く打ち明けておくべきだった」
「え?」
と、俶子が言葉を出したのは裕也の言いたい事が分からなかったせいもあるが、決してそれだけではない。よく見知った娘婿の手足や襟元から鈍い銀色に光る粘液が出てきたと思えば彼を飲み込むかのように広がっていく。
一瞬、妖怪の変化した偽物かという考えが頭を過ぎると、俶子は人を呼ぶ前に裕也の安否を確認しようと反射的に動いていた。
「裕也さ、」
俶子は最後まで言葉を紡げなかった。
最後まで見届けた俶子の前に立っていたのは、ついこの間まで、祓い屋界隈と自分の頭を悩ませていた張本人だったからだ。
「僕がMr.Facelessです」
「な…あなた、が」
「はい」
「何がどうなっているというのです…?」
「とにかく僕の身に起こった事を説明します」
裕也は数ヵ月前に両親の墓参に出向いたときに巻き込まれた例の事故の事を、そうして得た能力でこの数十年の汚名を挽回しようとした、その心情まで包み隠さずに伝えた。思えば義母が押し黙り、自分の話に口を挟まずにいたことはこれが始めてのことだったかもしれない。
「荒唐無稽と思われてても仕方ないですが、本当のことなんです。だからお願いします。操を助けるために、僕に力を貸してください」
「…その事をこれまで誰かに話したことは?」
「誰にも。尤も誰も信じてはくれないでしょう」
「まあ、そうでしょうね」
そう言われて裕也はドキッとした。やはり場を弁えない質の悪い冗談とでも思われたのだと悔しさが滲み出てくる。しかし実際はそうではなかった。
「あなたの話は分かりました。少なくとも私は信じましょう」
「ほ、本当ですか?」
「ええ。その姿を見せられては何も言えません。当家に仇をなす可能性が低く、操を連れ戻すのに一役買うというのであれば戦力として考えることはできます…しかし、それでも当主は悠に任せます」
「ど、どうしてです!?」
つい大きな声を出し、掴みかかろうとする自分を諌める。
淑子は冷静さを取り戻し、毅然とした態度で言う。この辺りは流石の対応力だと裕也は義母の逞しさを改めて思い知った。
「報告を聞くにあなたの妖怪と戦う能力は評価できます。しかし言ってしまえばそれまでです。退治屋のセオリーや他の祓い人の統率や連携などはできないでしょう」
「それは…」
「当主となるからには個人の実力は当然として、そう言った人の扱い方や他家との交流をも勤めなければなりません。まして退治屋界隈でのアナタの評価は地よりも低いことはご存じでしょう。そうなると幼い頃から現場を見てきた悠が適任と言わざるを得ません。父としての情を除いて、それでも自分が当主に相応しいと思いますか?」
「…」
裕也はアシクレイファ粘菌を体内に納めつつ、実に不甲斐ない表情を露にする。それほど淑子の、義母のいうことは尤もな話だった。
「ならばせめて、僕を末席にでも」
「それも…難しいでしょうね。そのような出自の分からぬ者を堂々と加えては他家に示しがつきません。信用問題になりかねます。私たちがここまで大手を振って仕事ができるのは過去の実績による信頼の成果です。神邊という名前に力があるのは、その積み重ねと厳かに家名を守ってきたからこそのもの」
「…では僕には何もできることはない。そういうことですね」
わなわなと震えて裕也は言った。
これまでも情けないと思うばかりの人生だったが、そのどれよりも自分が情けなくなった。やり場のない憤りや悲哀さが渦巻いて爆発してしまいそうだ。だがその熱を冷ましたのはやはり義母の一言だった。
「ええ。神邊家としてできることは何もありません。だからこれまで通りにのっぺらぼうとして振る舞いなさい」
「え?」
「今、私が言ったような事は利点であると同時に足枷にもなります。何をどう動いたところで誰の目が光っているとも限りませんからね。その点あなたの存在は貴重です。正体は不明、仮に何かの理由で勘ぐられたとしても、あなたが能力を手に入れた経緯は誰の想像にも及ぶものではない。しかも肝心要の操にも知られてはいないのでしょう」
「はい」
「誰にも正体を知られていないというのは行動を起こす上で利点が大きい。それをわざわざ捨てる事はない。当主の座は悠に譲り、今まで通りの神邊裕也として過ごしなさい。情報は私を通して相互で共有します。私の他にその秘密を決して漏らさぬように。我が子に対しても…いえ、我が子だからこそ秘したまま父親として守りなさい」
「…!」
「操が気掛かりなのは貴方だけではないんです。話は終わりです」
淑子はそっと裕也の手を取った。そして始めて聞くような震える小さな声で囁く。
「どうか、あの子を連れ戻して」
短くそう言うと、少々乱暴に部屋の戸を開けて出ていった。そして遠巻きに様子を伺っていた子供らや祓い人達にわざと聞こえるように怒鳴った。
「この緊急事態に下らない話で時間を取らせないでください! 今さらアナタにできることなどありません。いつも通りあの小屋にこもって邪魔にならぬことだけを考えていればいいのです!」
淑子の一喝のせいで家の中の空気がいつもの緊張感を持った。
裕也の普段とは違う様子に何かしらを感じていた誰しもが再び蔑むような目付きに変わる。その視線をふんだんに背中に浴びながら、裕也は蔵の横の小屋へと戻っていく。
いつも通りの事。
あの部屋に戻れば、裕也の行動を気にする者はこの家にはいなくなる。それは義母からのメッセージ。一人きりになり、誰にも気付かれずに動けという声なき命令。
思っていたモノとは違う形だが、裕也は間違いなく神邊家の一員として数えられた。
部屋に戻った裕也はすぐに着替えた。
アシクレイファ粘菌を抽出し、未だ信じがたい事実に揺らいで整理がない心と表情とを隠していく。そしてすっかり自分の顔が見えなくなったのを鏡で確認すると、こっそりと小屋を抜け出すと、操の手掛かりを探すため夜の町に消えていった。
Mr.Faceless 音喜多子平 @otokita-shihei
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