He became a father 2
◇
数時間後。
神邊の家では当然ながら上を下への大騒ぎとなっていた。門弟から分家に至るまでが何十人と屋敷を訪れ、神邊操が鵺と絆魂をしたという事実の真偽を確かめ、今後の動向についての指示をもらっては落胆と不安の念を微塵も隠すことなく去っていく。
裕也もダメージの残る体に鞭を打って突然の来客達の対応をしていた。
その上やってくるのは神邊の筋のものばかりではない。同業の他家や個人規模で妖怪退治を担っている名うての祓い人も列となって押し寄せてきている。操という人間の持つ影響力はこれほどだったのかと、裕也は改めて実感をした。
義母は特に有力な者たちだけを大広間に通すと厳重な人払いを指示した。
祓い人の協定の中で今後の神邊の立ち位置とするべき対処を検討協議しているのだろう。
やがて明け方近くになり、来訪する人間も落ち着くとようやく義母が皆を同情へ呼ぶようにと指示を出した。やがて顔を出した義母だったが、只でさえ厳格な顔つきが重々しく眉を歪めている。この人の立場を思えば当たり前の面持ちなのだが、裕也はその内側に実の娘がいなくなったことに対する不安や焦りがまるでないことに気味の悪さを感じていた。
義母ほどになれば、感情に鍵をかけ私情を挟まないようにするくらいは朝飯前かもしれないが、裕也は冷酷さしか汲み取ることができない。
こちらに歩み寄りながら控えさせていた門弟や家族たちを見回すと、悠の姿がないことに唯一感情の動きを見せた。
「悠は?」
「帰ってきてから、すぐどこかに」
「…全員で探しなさい。こうなった以上、操の代わりにあの子に神邊を率いさせます」
裕也が予想していた中で最も聞きたくない言葉を義母は躊躇なく吐き出した。
「ちょっと待ってください、お義母さん」
普段であれば口を挟むことなどはもっての他だ。そもそも操を除いて義母に意見できる人間などこの家には存在しない。そんな義母の命令に口を挟んだこと、しかもそれが他ならぬ裕也だったのは周りには違う意味の緊張が生まれた。
義母も義母でまさか裕也が何か言ってくるとは思っていなかったようで、言葉を出すのに少しの間があった。
「・・・何事ですか?」
「悠が当主を引き継ぐと?」
「当然です。年功も能力も最も適しているのはあの子です」
「能力の事は分かりませんが、あの子はまだ十七歳の子供ですよ」
あの操でさえ当主代行として職務についたのは二十代の終わりからだった。能力の事はてんで門外漢だが十代の女の子が務めるには重すぎる責任だ。
「時期尚早だというのは認めます。が、事態が事態です。誰かがやらねば神邊が滅ぶ。神邊が滅べばこの街が危うくなります」
「しかし…」
裕也は食い下がりたかった。しかし義母の正論に対して、自分は感情論しか持ち合わせていない事で言葉が詰まってしまった。
感情論でもいい。今の悠にこれ以上の責任を押し付けようものならきっと潰されてしまう。
頭の中で思考は渦巻くのに、裕也はそれを声に出すことができない。この期に及んで一体何をためらうのかと自問したが、答えが返ってくることはなかった。
「あなたが口出しできる問題ではありません」
まごついている間に、話は切り上げられてしまう。義母はきっと全員を睨み付けるとその眼光に違わぬ鋭さの声で命令を出す。
「さあ、早く悠を探しなさい」
普段ならきびきびと動き出す者ですら、足の根を引っこ抜くような重苦しい足取りとなっており、その目線の先には歯を食い縛って立ちすくむ裕也の姿があった。それでも一人が動き出すとソレに釣られるようにぞろぞろと全員が悠を探すために散っていった。
◇
「悠」
裕也は家から十分程歩いたところにある遊歩道へ来ていた。簡単なハイキングができるような造りになっているのだが、途中で脇にそれる獣道がある。その先はぽっかりとした空間ができていて、林の向こうには真鈴の町が展望できるように広がっていた。
地元の者でも一体何人が知っているかわからないほどに隠れ家的に機能している。そんな広場に悠は佇んでいた。まさか人が、しかも忌み嫌っている父親の裕也がくるとは想像だにしていなかったは悠はビクりと身体を振るわせて十代の女子に違わぬ驚き方をした。
しかし、それも束の間。すぐに侮蔑の表情を取り戻す。
「…何しに来たの? てか何でここが分かったの?」
冷たい態度の中にあって、それでも解消したい疑問をぶつけてきた。
裕也が悠のお気に入りのこの場所を知っていたのには訳がある。
裕也と操が半ば強制的に神邊の屋敷に連れ戻された頃。今よりも風当たりが辛くなかった裕也は悠を連れて散歩に出かけるくらいの自由は許されていた。二人で出かけているうちに偶然この場所を見つけて秘密基地にしようと笑いあったのは今でも裕也の記憶に残っている。
悠が神邊の仕事を覚えるに従って、裕也と過ごす時間は次第に無くなり今に至ってしまうが、ある日悠が遊歩道を折れこの広場に入って行くところを裕也は偶然見ていたのだ。
今でも悠にとって何かしら思いのある場所になってくれていた事がとても嬉しかった。
だからこそ裕也は今日まで、ここの事を知らないふりをして過ごしてきた。もしも悠が裕也の気持ちに気付きでもしたらきっと反発をして二度と寄り付かなくなってしまうだろうと思っていたからだ。
ただ、今はそんな事は些細なことだった。
裕也は適当に答えをはぐらかし、微笑みながら返事をする。
「出て行くのが見えたからね。迎えに来た」
「ほっておいて…」
悠はそっけなく言い放つと森の奥へと進もうとする。その先が行き止まりになっているのは、当然の如く知っていたが裕也は黙って歩き始めた。
「ついてくんなよ!」
「駄目だ。今の悠を一人にできない」
「うざ…」
またしても悠は踵を返して、今度は元の遊歩道に戻ろうとした。いつものように鋭く睨みつけて胸を軽く押した。そうすればいつものように弱々しく謝りながら道を譲ると思っていた。けれども、まるで地中深くに根を張った巨木のように微動だにしない父に少したじろいでしまった。
そんな驚きを強気で覆い隠し、もう一度裕也を押す。だがやはり動かすことができなかった。
「なんなの? いきなり父親面すんなよ。一人にさせて」
「悠」
裕也はそっと悠の肩に手を伸ばすと、そのまま優しく抱き寄せた。少しの間、目を丸くしていた悠だったが事態を飲み込むと渾身の力で父親から離れようとする。
「何してんの。放せよ!」
ぽっかりと空いた広場に悠の悪態がこだまする。
悠は心底自分が情けないと思った。よりにも寄ってこんな父親に慰められているのだから。けれども悠は、自分の抵抗が次第に弱まってきている事に自分の事ながら気が付かないでいる。
それは決して、疲れたからでも嫌がるのを諦めたからでもない。
自分の身体をしっかりと支える二の腕の力強さに安心感を覚えているからだ。それはさながら、まだまだ遊び足らない赤ん坊が寝かしつける父親の拘束から逃れようとしている内に眠りに落ちてしまうようでもあった。
激しい罵詈雑言はいつの間にか何とか噛み殺した三度きりの嗚咽に成り代わった。
悠は最後の意地で自分の涙顔だけは父親に見せないように顔を伏せたままにか細い声を漏らした。
「…もう訳わかんないよ」
「大丈夫だから」
大丈夫だから。
その言葉を聞いた途端、悠の中に張っていた糸のようなものがハラハラと解け落ちてしまった。絶対に見せたくないぐちゃぐちゃな顔を見上げると、もう何年もまともに見ていなかった父の顔がある。
「お父さん……」
しっかりとした眼差しで自分を見る父親を見ると、悠はぼそりと裕也の事を呼んだ。
裕也は生まれて初めて、自分の子供に父と呼ばれた様な気分になった。すると勝手に娘を抱く手に力が入ってしまった。
「大丈夫だよ」
何と言っていいのかまるで分からない裕也は同じ言葉をもう一度繰り返す。悠にとってはそれで十分すぎる程だった。
やがて裕也が手を離すと、悠は黙ったまま森の奥に見える景色を見つめた。どれくらいの時間そこにいたのだろうか。一瞬にも思えたし、とても長い時間にも思えた。
それまでは耳に何の音も届いていなかったのに、不意に木の葉が風にざわめく気配が鼓膜を掠めると起きたままに目を覚ます。いよいよ本家に悠を連れて戻る覚悟を決めた裕也が声を掛けようとすると、
「帰ろっか」
と、悠から申し出てきたのだった。
落ち着きを取り戻したその表情には決意の色がとても濃く出ている。悠はこの後、自分がどういう立場に身を置かなければならないのかを察しているのだ。しかしそれは自暴自棄に受けれたのでも、自分の運命を呪ったりしているモノでないことは重々知っている。
覚悟を決めた凛とした娘の顔を見ると、誇らしい気持ちと言い得ぬ物悲しさが一度に裕也の胸中に広がった。
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