切れた糸

@wantyanDX

切れた糸

まだ若い。

どこかそんな感覚はあるのだが、もう100歳は生きたのでは無いかと考えてしまうほど苦痛や後悔を貯めこんできた。


学生時代から逃げ今になっても辛くなったら逃げてしまう。

最早癖になってしまっており治すこともできない事が何個もある。

努力して夢を叶えようなどと思っても持病の精神病や持ち前の性格で自分ひとりでとん挫し絶望しながら諦める。


思えば中学生時代に部活動や学業から逃げ、高校時代の友人関係のいざこざからマイナスへと向かっていく人生が始まったのではないか?といつも考えている。


あの時こうしていれば、あの時ああしていれば全て意味は無いし現状になんのプラスももたらさない。

何が原因だったのだろう「あれか?」「これか?」どれも全く見当がつかないが、全て自分のせいである事は自明の理であった。


小学生時代は明るく勉強こそできなかったものの色々な人と関われた。

馬鹿にされるものの仲が悪い人間もおらず楽しく過ごせたと今でも思っている。


中学生時代から部活動や勉強についていけなくなりゲームや動画サイトにハマり学生は遊んでこそ!などと思っていたのものの今では考えが変わり出来ないなりに出来る事はありそこに食らいつき能力が低くても地道に上を目指せる機会はいくらでもあったように思える。

人間関係については変わらず平凡なものだったが、この頃から人は選んでいたように思う。


やがて高校生になるもののロクな高校にはいけるわけもなくそこでも勉強や部活動などせず楽に楽にと楽な方向へ逃げていた。

友人関係でいざこざがあったが、今になって思えばあそこで「許す」という選択肢を何故持たなかったのか?そこまでする意味はあったのかに思える。

小学生からの付き合いの友人といざこざが起き結果として高校で2つのグループと決別しどんどん交友関係は狭まっていった。

幸いクラスメートとは仲が良く楽しい高校生活だったが、今にして思えばここがターニングポイントだったのかのように思えるが、たぶんこれを書いている今もターニングポイントで変わろうと思えば変われるのだろうが、

無駄に高いプライドがそれを許さない。きっと決別した友人達には私を憎んでいる者も多いだろうと推察が出来る。


短期大学に指定校で入り無難な2年を過ごしながら決別したグループとも仲直りしたものの、もしこれを短期大学の頃私が見ているのならどうかお願いがある。

人に期待せず自分が変わり人との関わり方を考え今の自分の立ち位置はどこが適切なのか?どうかそれを忘れないで欲しい。人に見下されへらへらと笑っているもののどこかストレスを貯めながら潰れ最終的に周りには誰もいなくなってしまう。

どうかこれを過去の私が見ているのなら今すぐ変わってほしいと思う。

友人だからと言ってあなたの思い通りに動いてくれる人はこの世にはいない。きっと傷つくだけだから信用はしても期待はしないで欲しい。


社会人となり働くものの親の別居のため退職せざる得なくなりコロナで仕事も失われここまでは正当な理由があったものの会社で後輩から舐められ上司からは便利屋扱いをされ日に日にストレスは溜まり何度も自殺未遂をするようになるも死んだ父親が頭に浮かび死ぬことすらできなかった。

自殺未遂など言えるはずもなく精神が壊れ精神科にいくものの出された薬で誤魔化しながら日々を明るくふるまうだけで周りからは「治ったんだね」と言われそこもへらへらと誤魔化しながら過ごしていた・

残った2つの友人のグループも人との距離感や友人としても許せない数々の言動から後悔しか残らない方法で距離を取り今では後悔し戻れないと分かり後ろめたさを感じながら毒にしかならない趣味を謳歌していた。


今これを書く際に思うことが多々ある。

私には恐らくだが善性、悪性、何か この3つの性格が完全に分離して現れていると思われる。人と接するときには基本善性の顔を張り付かせ状況を考えず同意し、人がいなくなり独りになると悪性の本性が顔を出し何で俺が?と意味の無い言い訳がましい事を無意味に考えるようになる。

最後の何か(よく分からないためぼやかす)これが厄介でありこの性格さえなければ未だに交友関係を保てたと思う。

この何かは人を人として見れず当たり前の事ができない友人や見下してくる友人に対して善性が警告を出した際に変化が見られない際にSNSツールでの連絡などを無感情で全て絶ち私をどんどん孤独にさせていく。

だがこれも後付けで考えていることに過ぎず人の性格など客観的に見れば5行程度かけてしまう。私の場合恐らくこうだろう。

嫌な事から逃げ、

嫌いと思えば何も考えず最短で距離を取れる方法を最速で取り、

7つの大罪と言われるものは全て人よりも無駄に高く。

その反面人に期待し自分はその期待にすら応えられないクズ。

たぶんこれで間違いは無いと思われる。


後悔という感情さえなければもっと前向きに幻聴などに苦しめられる事もなく過ごせたのだろうと常々思う。

まだ理性が残っているため幻聴や幻覚に苛まれても振り切れる事はできている。

ただもう恐らく限界は来ているだろう。

私の抱えている負の側面、感情などを人に1つでも渡せばその人は死んでしまうほど苦しいと思うが、恐らく人はそこまで弱くないし私が弱いだけで他の人はもっと強く色々な大きな物を抱えて生きているのだと思う。


日々が消化試合の今私に出来る事なんなのか?彼女と楽しく過ごす事や新たな友人を作り楽しく過ごすこと...恐らくここら辺ではない事は確かだ。

ただ恐らく元友人らに出会って何をすればいいか?と聞いたら一人寂しく過ごす事が一番だと言われるはずだ。

だから私はもう一人で寂しく小さく死んでいく事にしようと思う。

これを見ていただいている方の中には私より年が上の方もいるかもしれない。若いからまだ大丈夫だと言われるかもしれないが、もう傷つくのは結構であり人に期待する事は辞められない性格から恐らく人と関わらず黙々と粛々と仕事をこなし「普通」と呼ばれる幸せは望まず独り身で小さく過ごす事が一番良いと思われる。


だが逆に私より年齢が下の方、もしくは今まで何も不幸が起きていない起こしたことがない方がこれを見られていたらどうかこれを機に気を付けてほしい。

逃げれば下に見られ小さく小さくなっていく。人との距離感を図る際は今だけでなく未来を見据え自分がどう変わればいざこざが起きず楽しく過ごせるか考えてほしい。

距離を取る事は悪い事ではない、ただ急にすべてを断つという事はよくない事というのは私の今までの経験上正解だと思われる。

徐々に距離を取り相手との距離感などを掴む。もしくは近づくのもいいだろう。

それを図れず無意味に怒鳴ったりするなども論外だ。

長くなってしまったが、下の一文を気をつけてほしい。

縁は何かしらが無くては生まれずあなたを成長させる機会ですが、人と付き合うという事を逃げてしまう前に人の見極め方はある程度覚えましょう。


本当に本当に後悔の多い年月を過ごしてきました。そんな私の話でした。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

きっとつまらなかったでしょう。申し訳ございません。

どうかあなたがこれを見て反面教師として良き友人たちと良き人生を送れる事を祈っています。

幸あれ。

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