第10話 あの日へ【8:50】カオ

 気がつくと俺は床に倒れていた。

 やまと屋のリビングではない、もっと無機質なビニールタイルのような床だ。天井には蛍光灯が見える。蛍光灯!灯がついている……つまり電気のある世界だ。重い頭を少し横に向けると並んだ机の足が見えた。


 ああ、やまと商事の事務フロアに、戻ってきたのだ。



 10年前に気絶して倒れたあの職場の床だ。ここはダンジョンになる前の、あの22階のフロアだ。


 ゆっくりと起き上がる。

 見回すが、ダンジョンの片鱗はなく全く普通の職場のフロアだ。懐かしいあの事務フロア。けれどあの日と違い、周りに人はいなかった。


 10年前にフロアごと異世界へ転移した時は、このフロアの社員達がゴロゴロと転がっていた。

 今は見える範囲に誰も転がっていない。誰も戻って来なかったのか?


 確かに移転したうちの半数以上は亡くなったかも知れないが、開拓村や王都で暮らしている社員達は少なからず数十人はいたはずだ。

 皆、『残る』を選択したのだろうか。


 俺は立ち上がって周りを見る。壁にかかっている時計は『8:50』だ。

 そう言えば、前の転移した時間より60分早い時間に戻ると言っていたな。


 10年前に異世界へ行ったのは、9:50か。うん、10時前だった事は覚えている。


 今回戻ったのは8:50。本来なら出勤して来た社員達で賑わっている時間帯だ。9:00ジャストに朝礼がある。俺は資料庫でひと働きしたあと朝礼に滑り込む毎日だった。朝礼を聞きながら9:05までに送信するための入力を行い、それが終わるとまた資料庫へ走る。朝は西の事務室と東の資料庫を行ったり来たりだ。



 だが今、フロアに社員の姿はない。向こう(異世界)から戻らなかった者はどのタイミングでこの世界から消えたんだ?いや、考えるな。タイム何とかは考えたら負けだ!


 向こうの世界に置いて来たはずの机やら何やらも、全て普通に存在している。

 触ってみたが、机の感触はある。映像ではない。俺の机の引き出しを開けると、いつも仕事で使っていた文具が入っていた。異世界で使い切った物も普通に存在している、どうなってるん……だ?

 よし、どうでもいい。


 俺の頭で、タイムワープとかリープとか考えるだけ無駄だ。その手の映画を観ると時間を行ったり来たりしているうちに物語が全くわからなくなる、なので、観ないようにしていたっけ。



 今、目の前にある俺の机は9:50まではあるはずだ。……となると、いつもの仕事をやるべきか?特に9:05までの送信作業は遅延すると問い合わせがくる。


 


「もしもし!もしもし!お母さん?」



 フロアの向こうから誰かの声が聞こえて我に返った。

 そうだった、仕事をしている場合ではなかった。声の聞こえた方を見ると女性がスマホを手に立っていた。


 ええと、あれは誰だったかな。何しろ一緒に働いていたのは10年前だからな。確か開拓村にいた女性……の誰かだよな?



 俺は近づきながら記憶を辿る。……ああと、そう、立山さんだ。横にはもうひとり、西野さんだったかがいた。確かナオリンと行動を共にしていたが途中で仲違いをして別々に暮らすようになったとナオリンが言っていたな。



 立山さんが俺に気がついた。



「鹿野さん! 鹿野さんも戻られたんですか!」



 俺はペコっと頭を下げた。職場にいた時に身に付いた大人の対応だ。



「立山さんも戻られたんですね。西野さんも? おふたりだけですか?」


「あ、いえ、わからないです。開拓村では私だけですけど、他の町にいる人たちとは最近疎遠でしたから。目が覚めたら近くに西野さんが居て……」


「もしもし! 良かった、お母さん、父さんは会社だよね?呼び戻して! 何でって、何でもいいから早く! 理由とか話してる時間ないのよ! 待ってよ! ちょっと切らないで!」



 横でスマホを使っていた西野さんの声が段々とエキサイトしていき最後にはヒステリックに叫んでいた。



「……ヤダ! 電話切られた。早く逃げないと、どうしよう、隕石が来るのに、どうしようどうしたら」



 ブツブツと言いながら西野さんは電話をかけ直していた。

 ヤバイな、見てる場合じゃない、俺らも早く行動に移さないと。



「西野さん! 立山さんと、鹿野さんも? 驚いた、何で鹿野さんが戻って来てるの?」



 フロアの南側の角からさらにふたり、女性が出てきた。たしか……1係、じゃなくて、2係の特定職の社員さんだ。うちの6係にいた安田さんと仲が良かった3人……あれ?ふたりだけ?ええと似た名前だったな。


「おおやま……おおつか」


「大塚と大久保ね。鹿野さんが戻ったなんて驚き。あっちで成功してたのに何で戻って来たの?」


「ああ、それはともかく急がないと」



「だーかーらぁ、とにかく父さんを会社から呼び戻して! ちょっと切らないで」


 西野さんが電話の相手の母親と口論になってるようだ。



「立山さん、大塚さんも大久保さんも。電話で家族を呼び出すなら、本当の事を言ってはダメだ。隕石落下とか大災害が来るなんて言っても信じてもらえない。時間がもったいない」


「じゃあ、どうやって家族と……」



 立山さんが不安気な顔になる。



「嘘でいいんだよ。旦那にかける電話は子供が事故にあったから直ぐ戻れと、子供には父さんが事故で危篤だから直ぐ戻れ、もしくは何処かで合流だ。何しろ例の時間まで…」


 俺はここで時計を確認した。

 9時12分。

 マズイな、どんどん時間が経過していく。



「兎に角急いで何処かで合流して隕石に備えた方がいいぞ」



 それを聞いた3人は急いで電話をかけ始めた。西野さんはヒステリックに叫びながらフロアから飛び出して行ったところだった。


 俺は、タウさんから繰り返しされた話を思い出す。


 ええと、まずは家族と合流、でも俺はそれが無いから、次は、隕石の情報か。

 フロアの部長席の近くにあるテレビに向かった。


 テレビを付けるが、どこも普通の朝の情報番組で隕石のニュースなどはやっていなかった。しかしテレビはつけっぱなしにしておく。

 確か、誰かが言ってた。隕石の落下が始まった時にテレビでそれが流れたと。


 いや、神さまは、地球の未来が変わったと言った。地球消滅は無くなったと。ただ砕けた小さい隕石の落下はあると……そう言ったのは誰だ?神さまか?他の誰かか?


 彗星の地球衝突は避けられた。だが隕石落下はある。いつ、何処かはわからない。


 だが俺は思ったのだ、神さまが何故転移した時間より60分前に戻してくれたのか。家族に逢いたがっていた者たち、その者らが家族と逢う為に60分と言う時間を神さまがくれたのだとしたら。

 つまり、60分後の『9:50』には、やはり何かの大災害が起こるのかも知れない。


 いや、『9:50』に、ソレは確実に起こるのだろう。


 俺は自席に戻りパソコンを開いた。

『隕石』『彗星』『落下』『衝突』などで検索をした。なるほど、海外は凄い件数がヒットするな。


 それもかなり似た情報が多く、共通性があって信憑性も高いな。何故、日本のTVでは流さないんだ?


 さらに『隕石落下予測地』『落下場所予測』などで検索をする。いくつもの場所が連なって出てくる。正しくなくてもいい。大体でいいのだ。


 日本にも落ちるのか。九州地方?

 日本に近い他国の落下は……、中国の…………何処だ?それと太平洋のど真ん中?津波が来るかもしれないな。


 日本から見て中国は西……?太平洋は東だ。オーストラリアもカナダも落下予測に上がってるな。こうなると東西南北どの方角から衝撃波がくるか予想は難しい。


 日本の関東が落下予測地に上がってないだけでヨシとするか。このビルは耐震性は高いと聞いた事がある。ある程度の地震なら下手にに避難せずこのビルに篭るように、東日本の震災の時に指示された。だから資料庫に個人の防災グッズを貯め込んでいたのだ。

 資料庫の俺の防災グッズがどうなっているのか気になったが、その確認はあとだ。



 隕石落下の際の衝撃波を警戒して、兎に角窓の無い場所に避難すべきか。

 やまと商事の本社ビルは40階建てで、どのフロアも東西南北に、広く大きな窓がある。もちろんこの22階もだ。衝撃で窓ガラスが飛んでこない場所と言うと、フロアの外……、廊下、トイレ、エレベーターホールか。


 おっ、それと資料庫、あそこも窓はない。だが、あそこは棚に積まれた段ボールも多く、危険だ。……となると後は、非常階段か。


 非常階段はこのビルの東西南北の四隅にあり、建物の壁の内側だが窓は一切無い。上下どちらへも移動可能だし、何かあった場合にはビルの中央にいるより避難がしやすいかも知れない。


 非常階段に避難をする事に決めた。


 気がつくと立山さん達も電話を掛けながら家族の元へと急いだようで、フロアにはもう誰もいなかった。


 俺は非常階段へ移動する前にと、机上の電話へ手を伸ばした。近くの壁に貼ってる緊急時の連絡先の紙を見た。火災や急病などの緊急時に連絡を入れる内線番号が載っている。『管理部緊急センター』、そこへ内線を繋げた。


『はい。管理部緊急センターです。何かありましたか?』


「あの……」


 困った、掛けたはいいが何と言おう。正直に隕石が落下するから緊急放送を流してほしいと言っても信じてもらえないだろう。

 時計は9:36……モタモタしている時間はない。ダメ元で直球でいった。


「あの、隕石落下のニュースがネットで凄い事になってます。館内放送で危険を知らせた方がよいと思いまして……」


『どちらの部署の方ですか? そちらはどちらさん? 部署名をお聞かせいただけますか?』


「あ、あの、ええと事務統括本部、ですけど」


『事務統括本部のどちらさん?上司の方に電話を代わっていただけますか?』


「ええと、上司って」


『イタズラは困るんですよね、犯罪行為ですよ? 直接あなたの上司とお話しをしますので代わってください』


 俺は電話をガチャ切りした。まぁこうなるだろうと思っていた。イタズラか、頭のおかしいやつと思われるよな。

 時間が迫っていたので一か八か掛けたがやはりダメだった。


 ここが学校とかなら放送室ジャックをしてでも緊急を知らせる放送をするのだが、館内への放送は、今かけた管理部が放送を一手に握っているんだ。


『窓から離れろ』と、館内放送を出来ればよかったのだが無理だった。


 俺に出来る事はもうない。しかたがない、とりあえず非常階段へと出た。


 タウさんは、何て言ってた?『家族と合流』『安全な場所へ避難』……それから?

 メールだ。時間があればメールを送り合うと。確か災害が始まると通信が滞るから、まずお互いメールを送り合おうと言ってたな。


 俺はスマホのメールを開いた。帰還直前にタウさん、カンさん、ミレさん、ゆうご君、アネさんのアドレスを入れてもらった。

 俺は『無事に帰還した』と一行を入力、送信先に5人を選択した所で、圏外になっているのに気がついた。


 ああ、そうだった。俺の携帯は『zu』でこのビルでは繋がりにくい。いや繋がりにくいと言うよりほぼ圏外なのだ。

 22階という高さのフロアの窓の近くでさえも、電波はほとんど掴めない。


 スマホの電波がどうやって飛んでいるのか(飛んでいるのか?)、それをどうやって掴むのかも解らない。

 SOKOMOとハードバンクは普通にどこでも繋がるそうだ。自席でも窓側でも廊下でもトイレでもエレベーターホールでも、どこでも繋がるそうで、そこら中でスマホをイジる社員さん達を毎日見かけた。


 同じzuを使っている者がよくボヤいていたもんだ。『仕事中にスマホばっかしやがって』と。いや、君もイジろうと思ったんだよな?


 参ったな、どうやってタウさんらと連絡を取ったらいいんだ?

 いや、このビルから出れば使える場所はあったはず。それと、確か南側の非常階段でzuが繋がると聞いた事を思い出した。

 だが、今俺は西の非常階段にいる。タウさんらにメールするのは落ち着いてからでいいか。


 が、一応、送信を押した。送信エラーになった。うん。


 時刻は9:42だ。『9:50』まであと8分。


「あれ?鹿野さん? 珍しいですね。この時間に階段にいるなんて」


 声を掛けられて顔を上げると、そこには顔見知りのビル管理の清掃担当の人がいた。


 ああ、懐かしい。20階から25階の清掃を担当していた秋元さんだった。秋元さんが22階を清掃している時によく廊下ですれ違い、顔見知りになっていた。俺が資料庫から大量の資料をB1のシュレッダー室に運ぶ時に、貨物用エレベーターの扉を開いてくれたりとよく手伝ってくれた親切な人だ。


 秋元さんは非常階段の横の貨物用エレベーターの下へ降りるボタンを押した。

 下へ、B1のゴミ捨て場へ行くのか?


「あの…、秋元さん。変な事を言ってるのは承知なんだが、今は下へは行かない方がいい。騙されたと思って、10分だけでいい、ここに居てくれないか?」


「え……?………………おう、わかった。鹿野さん、何かあるんだな?」


 秋元さんは一瞬不審な顔をしたが、俺の切羽詰まった表情から何かがあると信じてくれた。良かった。いや、ここに居たから絶対助かるわけではないが、エレベーターはマズイ。


 このビルで唯一の知り合いとも言える秋元さんくらいは救いたい、と思った所で思い出した。

 B2の社員専用入口の警備員、そこにも毎朝挨拶する顔見知りがいる。


 どうする。今から知らせに行って間に合うか?考えたと同時に俺は非常階段を駆け降りていた。


 階段の壁を確認する。壁に『13F』の文字。時刻は『9:48』、ダメだ。間に合わない。階段を三段抜かしから、踊り場までの飛び降りに変えて、どんどん降りていく。


 10F……7F……6F!時計が『9:50』になった!


 6階の階段の踊り場で一旦ストップした。


 非常階段に窓はない。テレビもパソコンもない。何かが起こっても見えない。

 …………、今のところは何も起こってないのか?隕石が何処に落ちたらどのくらいで衝撃波がくるものなのか。俺は階段の手すりを握りしめた。



 時計は9:51になった。


 何も起きない。海外に隕石が落下しても日本までは衝撃波は来ないのか?どうする?B2まで降りるべきか、上に戻るべきか。

 自分の決断の遅さ、優柔不断さに嫌気がさした。俺が誰かを救うなんておこがましい。


 タウさん、どうしたらいいんだ。

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