第6話 戻る決意
あっちゃんに「戻りたいのか」と聞かれて初めて自分の心にストンと、何かが落ちた。
「そうか……、俺は、戻るかどうか悩んでいたのか。自分の事なのに気が付かなかった。何かがずっとここに引っかかってたんだ。それが何かわからなかった」
俺は胸の辺りの服をギュッと握った。顔は上げられなかった。
この胸の辺りのモヤモヤは、カンさん達が居なくなる事が寂しいのだと思っていた。
でも、神託の夢を見るより少し前から、実は同じような胸のモヤモヤが起こる事があった。喉に何かが詰まって言いたい事が言えない感じなんだが、では、言いたい事は何だと考えると思いつかない、変な気持ち。
自分の言いたい事、したい事がわからない、そんなモワっとした気持ち。
そうだ、カンさん達の帰還とは関係ない、自分の……何か。
あっちゃんや山さんは黙ってしまった俺を、俺の言葉を辛抱強く待っていた。
「…………カンさん達の帰還とは、関係ない、と思う。もっと前から、ずっと引っかかってた」
「何が引っかかってるの?」
「俺の心の奥で、俺のやりたい事? いや、やり甲斐……、俺の必要性…………」
「カオくんの必要性?」
山さんの優しい声が俺の背中をトンっと叩いた感じがして、詰まった喉から溢れ始めた。
「そう、だ。俺の必要性、俺は必要なのか。あの神様の夢の前から時々ふっと頭に浮かぶんだ。店は順調で俺が居なくても回る。街も活気に溢れているし、皆いつでも王都へ行ける。冒険者達もどんどんとレベルアップしている。ダンジョンも賑わってる。魔物の氾濫が起きてもギルドや冒険者で処理出来る。別に、俺が居なくても、世界はちゃんと廻ってるんだ」
喉から溢れるように一気に言葉が溢れていった。
そうだ、俺が居なくても世界はちゃんと回っていく。
自分でも不遜な事を言っているのはわかる。地球、日本にいた時だって俺の必要性なんて感じた事はな……、いや、あった。
あの職場、やまと商事の事務統括本部、俺が居た部署は働かない者が多く、山ほどの仕事を毎日こなす中で俺は自分が必要とされていると感じていた。俺が居ないと仕事が回らない……と。
そしてあの職場の人たちとこの世界へ転移した事で、俺はまた『知らない世界で動ける自分』『異世界で役に立つ自分』、偶然にも持っていたゲームのアイテムなどを配る事で『皆を助けている自分』を、感じていたんだ。
「俺……不遜だな。何か、自分が周りの役に立ってる気がしてたんだ」
「カオ君はちゃんと周りを助けていたよ? 不遜でも何でもない。皆カオ君に助けられたよ」
「そうだよ、カオっちがいなかったら私は旦那と会えなかったかもだし、淳だって無事に産めたかわからないよ! 私らはいつだってカオっちに助けてもらってるよ?」
「この世界に来た当初はそうだったかも知れないが、それは最初の年くらいだ。後は俺の方がみんなに助けられた。今はもう俺が居なくても誰も困らない」
「何言ってるの! カオっちが居なくなったらマルクが泣くでしょ! アリサだってダンだって! 3人はカオっちの子供でしょ! カオっちはお父さんでしょ!」
あっちゃんの声が鼻声になっていく。俺は顔を上げられなくてあっちゃんが泣いてるのか笑ってるのかわからない。声からは怒っているのが感じられたが、それが段々と鼻声混じりになる。
「マルク、……アリサ、ダン」
「そうだよ? カオっちの子でしょ! お父さんが居なくなったらダメじゃん!」
そうか、わかった。引っかかっていたのはコレか。
「ダンは、もう一人前の冒険者だ。自分の仲間を見つけて、自分の道を進んでいる。充分大人だ。……アリサもロムと結婚して娘が生まれた。もう立派なお母さんだ。マルクだって」
「そうだよ! まだマルクがいるじゃん! マルクはまだ12歳の子供だよ? お父さんが必要な子供なんだからね!」
「……うん。でも、マルクは大丈夫だ。俺よりずっとしっかりしている。冒険者ランクもあっという間にDになった。仲間もいる。こっちの世界では15歳が成人だ。マルクは今はまだ12歳だが3年なんてあっという間だ。15なる頃にはランクはもっと上に上がってるだろう。この街は狭すぎる。きっと他の街や王都へ冒険に出かける。……だって、冒険者だからな。そしたら俺は……」
そうだ、俺は怖かったんだ。ひとり取り残されるのが。得意な事もない、ただの親父が、ひとり残されるのが怖いんだ。
「あっちゃんにはリドル君や家族が、山さんにも家族が、パラさんやリンさんにも家族がいる、キックとレモンさんも家族になる。ダンは仲間と王都に、アリサにも家族が、そしてマルクももう直ぐに仲間との冒険が始まる。俺は……俺には何もない。この店は俺が居なくても回る。王都のナヒョウエもとっくに俺の手を離れた」
そうだ、このタイミングでの神託、それは俺に『帰還』を促しているのかもしれない。
『お前はこの世界でやるべき事を全てやった。ここでお前の出来る事はもう無い』と。
「俺にとって、この世界での10年は必要だったんだと思う。地球でダラダラと49歳まで生きてた頃より、この10年は何倍も濃い人生を送れた。でも、この世界での俺の役目は終わったと思う」
「でも! だからってカオっちがあっちに戻らなくても……」
「うん。戻っても、ただの役立たずなオッサンだ。でも、ここでの10年がもっと違う俺にしてくれた気がする。仕方ない仕方ないと目の前の事だけを片付けていた49歳のオッサンが、もっと前向きな49歳の人間になれる。……気がする」
あっちゃんが、「うぅ、うぅ」と泣き声を殺して涙を流していた。山さんも涙と鼻水を垂らしていた。
「地球に戻っても、カオっちはもう魔法使いじゃなくなるんだからね! ただのオッサンなんだからぁ! ぐすっ」
「うん、そうだな。WIZじゃなくてただの人間だな。(あれ?30歳を超えても童貞だったら魔法使いか?)」
タウさんらは隕石落下直前の地球に戻るって言ってたな。戻るつもりが無かったから神様に何も聞かなかった。俺は職場に戻るんだろうか?その前に、戻る戻らないの返事もしていない。
まぁ、その時がきたらどうにかなるさ。ならなければそれまでだ。
WIZでなくなった俺は、タウさんやカンさんの役に立てるとは思えない。ああ、それに、タウさん達の戻る理由は『家族』だ。当然そこに俺は入らない。まずは、自分の事は自分で。そして頑張って生き抜く。どんな地球が待っていても。
あっちゃんが鼻を噛んで目を擦っていた。
「カオっち……、カオっちも家族を、捜すの? 仲悪かったのに? 意地悪爺さんとか頭のおかしい婆ぁ、まるで土婆みたいなオバサンとか」
土婆(つちばぁ)、久しぶりに聞いたな。職場の陰険なお局さまであった土屋さんか。
言われてみると土屋さんは俺を散々イジメぬいた政子叔母とどこか似ていた。
あっちゃんと話しているうちに、俺の気持ちがドンドンと固まっていった。俺でさえも気が付かなかった心の奥の気持ち。
40年間記憶の底に仕舞い込んだ「自分が誰にも愛されていないと認めたくない嫌な記憶」だ。
俺には会いたい家族が居ない、だが、あの家族ともう一度会い、認めるのも良いかもしれない。俺が、何故、家族からハブられていたのか。
それに本家の連中は兎も角、世話になってた政治叔父さんや雪美叔母さん、それとハルちゃん(春政叔父)はどうしているのか気になる。
本当に今更なんだが、もし地球に戻って和歌山へ行く事が出来たら、訪ねてみたい。
リビングの端であっちゃんや山さんと話していたのだが、いつに間にかやまと屋の皆がリビングへと集まっていた。
シュロやジェシカの後ろから、皆を掻き分けるようにマルクがこちらにやって来た。
マルクは今日はギルドの依頼で、ランクDの訓練に補佐として参加していたはずだ。
誰かが知らせたのだろうか?リビングの入り口近くにはギルド長であるゴルダの姿もあった。そうか、この間「戻らない」と言ってしまったからな。ゴルダにも説明しないと。
その前に、マルクだ。
マルクは俺に近づきながら、口をギュッと強く結び、眉間に皺を寄せていた。目は俺の目を捉えて大きく見開かれていた。
「すまん……、マルク。すまない。……その、俺は」
どう伝えてよいのかわからず口籠もる俺に、マルクが突進して抱きついた。
マルクは俺にキツく抱きつき、俺の首元に顔を埋める。
少し前まで、俺よりずっと身長が低かったマルクも、今では若干俺より低いくらいだ。この世界の人と比べると唱和の日本人である俺の背が低いのか。
ダンはとっくに俺の背を抜かしている。ダンの方が頭ひとつ分以上背が高い。アリサも、この店で働くジェシカ達も俺と同じくらいだ。
「嫌だ嫌だ 父さん帰っちゃダメだ」
俺が言い淀んでいた『戻る』という事を、もう誰かから聞いたのか。
「ダメ、ダメだよ。帰っちゃダメだ。ずっと僕の父さんで居てよ」
マルクが俺の肩に顔を埋めて泣きながら、もっとキツく抱きつく。絶対離れないと言わんばかりだ。
「………ごめん……ごめん」
俺はごめんとしか言えなかった。
ただマルクの頭を撫で続けた。
「やだ……やだ……やだ…」
やまと屋の数軒先に住んでいたアリサも真っ青な顔で駆け込んできた。誰かが伝えたのだろう。
俺の顔を見て何かを悟ったのか、瞳にブワリと涙が湧き上がっていた。
だが泣き顔を見せたくなかったのか俺の後ろへ回り背中へと抱きついてきた。
抱きつくアリサから震えが伝わり、声を殺して泣いているのがわかった。
「アリサ……」
俺がごめんと続けるのを遮るようにアリサは震えた声を被せてきた。
「うん。うん……かってる、わかってる、うん」
「そっか……」
「ひっぐ、ひっく……わかってる……けど、やだよぅ」
声を上げずに俺の背中で泣いていたアリサが、とうとう堰を切ったように大きな声を上げてワンワンと子供のように泣き出した。
「お母さんがそんなに泣いたらダメだぞ?娘ちゃんもいるんだから強いお母さんにならなきゃ」
「いいのっ! 今はお父さんの子供だもん!」
「オヤジ!」
背後から聞こえたのはダンの声だとすぐにわかった。
前にマルク、背中にアリサに抱きつかれて身動きがとれない俺の後ろに駆け込んで来たのはダンだ。
ダンは仲間と王都のダンジョンに潜っていたはずだが。
一歩一歩力を込めたような足音が近づいてくる。
「オヤジ、あっちに帰るって本当か」
「お前、ダンジョンにいたはずだろ、何で知っているんだ」
「ゴルダさんが知らせにきた」
知らせたゴルダもリビングに立ってこちらを見ていた。今まで見た事がないくらい怖い顔をしていた。戻らないって嘘を言った事になるか……、怒られて当たり前だな。
後ろから近づいて来たダンの足音が俺の少し後ろで止まった。
ダンに背中を向けたまま、話す。
「急で悪いが戻る事にした。お前の嫁さんや子供に会えないのは心残りだがな」
「だったらいろよ、この街に。居てくれよ」
ダンの絞り出したような声に俺の心も絞られたように痛んだ。
やっぱりこの街に残る、と思わず言いそうになった。そう言えば、ラクになるだろうか。
だが俺は、戻ると決めたのだ。
マルクの頭を掴んだ左手とアリサが後ろから回した手を掴んだ右手に力がこもった。
「ごめん……オヤジ。嘘だ。そんな事が言いたかったんじゃない。オヤジはきっと、いつかあっちの世界へ戻ると思ってた。あの日突然来たように、ある日突然帰るのかも知れないと、ずっと、思ってた。だから俺は早く強くなってオヤジの代わりにアリサやマルクや皆を守れる男になろうと思った。でも、こんなに早く帰っちまうなら、もっと一緒にいれば良かった……よ」
ダンの声が、殺した泣き声が後ろから耳に届いた。
前にマルク、背中にアリサをはりつけて、俺は何とか振り向いた。
すぐ後ろにいたダンへと一歩近づき、マルクごと抱きしめた。
俺よりずっと背が高く、俺よりずっと強い剣士で、俺よりずっとイケメンで、俺の自慢の息子。
「ダン、お前はずっと俺の自慢の息子だ。みんなを頼むな」
その日は昔の頃のように4人で川の字で寝た。
49歳、20歳、18歳、12歳のいい歳をした大人3人とひとりの少年が布団に並んでくっついて寝た。頭上には俺の犬が3匹。
俺はいつか地球に戻った事を後悔するんだろうな。この暖かい日常を捨てた事を。
アリサもダンも、今回の『稀人帰還』の神託を聞いてから、何となく不安を感じていたらしい。
俺が、元いた世界へ戻ってしまうのではと不安に思いつつ、そうなった時の覚悟はしていたそうだ。
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神託から7日目の夜、カオはマルク達と早くに就寝した。と言っても4人とも眠れぬ夜を過ごした。長くて短い夜だ。
その頃のリビングでは、ゴルダや、タウロ達とやまと屋の面々の阿鼻叫喚の話し合いも徹夜で続いていた。
カオは自分が思うほど『周りから必要とされていない』なんて事は全くなかった。けれどカオの決意を変えられない事も、皆は気がついていた。
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