第16話 信じたい
神便鬼毒酒は二日かけて躰から抜けたが、鬼火に影響があり鬼火丸さん鬼火助くんの姿が消えた。
「鬼頭の調子は?」
白梅ちゃんと白虎様が私を訪ねてくれた。この二日間、二方の姿も見られなかった。
「白虎も調子を崩してしまい毎夜の寝言は叫ぶかり。男どもは青龍様に致命傷を与えられたらしいの」
青龍様の宮中を出てから白虎様は一言も発さず、青ざめた顔が印象深い。よほど気に病んでいたのだろうか、未だ白虎様は視線を逸らしていた。
「白虎様、あの日私は何も致せなくて」
「相手は青龍様だ。身も心も疲労困憊にさせられる。怪我は無かったか? あの……地下牢にて」
よそよそしくも白虎様は私を気遣ってくれた。慣れない対応に気恥ずかしさが残ってしまい私もあたふたと手が煩くなっている。
「私は無傷です。心配下さりありがとうございます」
「青龍様は皮を被り本心を隠すぞえ。麻呂は警戒しておった。花ちゃんに眼を付けたところも企みがある。はああ、行く先が心配でならんぞよ」
「今回の出会いは相談を持ち掛けられ始まりましたので悪意は感じられませんでしたよ」
肩を落とした白梅ちゃんに青龍様との内情を伝えた。
「なんと次は花ちゃんが独りで青門を潜れと申したぞえか」
「妖魔に関してのお呼びですが、今回はお礼を下さるようで書庫に参るのです」
白梅ちゃんは顔を横に振った。
「ならば麻呂もゆくぞ」
「それはいけません。白梅ちゃんは理由があるから赴かないのでしょう? 無理は禁物です」
深入りはしなかった。しっかり者の白梅ちゃんの判断であれば深刻な事情があるのだ。
「親友が怯えなが行く姿を見送れと? 麻呂もゆくとならば白虎も道連れ、三方で参ろうぞ」
聞き間違えではないだろうか。私を親友と呼んで下さった。
「花、笑みを含む場面ではなかろう。真剣に聞いておるのか」
白虎様が私を見て言った。
「あっ、はい、しかと受け止めておりますが、独りで参らなければご命令に逆らってしまう」
「それでも付いてゆく。それにの、麻呂も果たす理がある。もう見て見ぬふりはお断りぞ」
白虎様が止めに入らないところを見る限り解決したい過去が青門の中にあるのか。
「では最大の難関。今一度大旦那様に伝えなくては」
「気が重い内容の。鬼頭のことよ、花ちゃんを眠らせてでも阻止するぞえ」
丑三つ刻。紫月を練り上げていると縁側の障子を滑らす音に手を止めた。
「立ち上がれるのですか?」
「ああ、よく眠った方だ」
「丸二日眠っておられました」
「花純が面倒を?」
「躰が熱かったので主に氷で口を濡らすぐらいです」
手を握っていたことが見透かされたかと思った。でもあれは吟が手を求めていたから握り返しただけで、私からではない。
「世話になったな」
「まだ体力が戻っておられないはず寝所まで送ります」
吟は聞く耳を持たずのようで、肌ける衣のまま柱に背を滑らせ、そのまま腰を下ろした。
「花純はなぜ僕と眼を合わさんのだ」
「香を練らなければなりませんので」
「心の眼も僕から離れておるように取れる」
視線が定まらない。とにかく手元に集中した。
「僕が眠っておる間によからぬことでも抱いたか?」
吟は見抜いているように私を諌める。気恥ずかしい施しを後悔しても遅い。露呈したならば素直に認めるべきか。
「つい手を」
「手?」
吟の反応が薄い。疑問で返された。こうゆう場合は大抵、私の勘違いから始まってしまう。咳払いを一つ。
「近々青門を潜ります。朱雀様と白虎様と共に」
「ほおぅ」
「これは青龍様のご命令ですのでお断りできませんでした」
「されど鬼屋敷を出る許可を僕は下さんが。命令を聞き入れる順番を間違えたな」
「四神様のご命令に背けと?」
「青龍だけにしてくれ僕に背くのは」
旋律の背後に振り返った。月を眺める吟の爪が畳に刺さっていた。
「勝手な行動を移すのであれば僕の怒りを受け止められるということで間違いないな? 花純は僕にどうされてもよいと見做すぞ」
吟が立ち上がると伊草の香りを纏った爪が私の肩を掴んだ。
「いつしか言ったな。不死身かどうか確認したいと。叶えるのは今かもしれん。寝起きは実に機嫌が悪いからな」
「記述通りですね。鬼は怒り任せだと」
「たかが書物」
「もしも私の書物が制作されるとしたら初めにこう記載します。呪いの子が呪いを使用するとしたら誰かを守る時だけと」
「呆れさせるな。僕に殺められる前に僕を穢すと豪語するのか。以前、守る者ができたとほざいておったが、そいつのためか。そうだろ、答えろ」
怒鳴り声は真上で反響していた。私は顔を上げて吟の真下に立った。息を吸って眼を閉じる。
「あなたです。大旦那様を守るためなら呪いを使います。それから大旦那様に殺められるのは本望です」
吟の見開いた瞳を昔に見た覚えがる。
このまま昔のように拒絶されてしまうの?
「怖かった。神便鬼毒酒をたらふく飲まされ、虫息の大旦那様が私の腕の中で死んでしまうのではないかと。別れと死は別物です。死んでしまえば黄泉へゆく。この世どこを探しても見つからない場所に行かれたくなかった。私に解決できることがあるならば、それにしがみ付きます。四神様でも妖魔でも」
私はずっと震えていた。青龍様が笑みを浮かべるほど怖くて、でも乗り切らないと吟と白虎様と共に鬼屋敷へ帰られない気がした。
「己れの力妖も知らずして御託を並べるな。なぜ花純は僕を守ろうとする。愚かだ、ゆえに弱者なのだ」
卑下されてもかまわない。ただ私は吟を失いたくないだけ。本心が叫んでいるのに、もう無視なんてできない。
「私では駄目ですか。あと、どれだけ待てば……私は……吟に会えますか?」
滑り落ちた吟の手は私の肩を巻き込んだ。ふわり金木犀の香りが鼻を擽る。吟の懐は私が占領した。
「触れては壊してしまう虚しさを知っておるか? 僕は昔に知った。最初で最後に言ってやるが……」
吟は空白を作った。静寂の中に私は声を落とした。
「はい」
「怖い。僕は二度と花純を失いたくないんだ」
吟の腕に力が加わった。私は身を預けるように顔を埋めた。
「金木犀のお香は少しだけ作ります。無くなったらまた私に言って下さい」
昔のように沢山は作らない。吟がまたいなくなってしまう。
「なあ花純、僕が花純の呪いを解いてやると約束したら僕の側から離れぬか」
曇った声なのに鮮明に聞こえる。待ち望んでいたかのように耳がすんなり受け入れる。
「理を作らなくとも私は此処にいたいです」
「今のも最初で最後の発言だ。直ぐに消去しろ」
眉尻が下がった吟の瞳の中に昔の私がいた。
「考えときます」
「青門を潜るのは妖魔に近づく手立てがあってのことか?」
「妖魔の声に耳を向けたいのです」
「本領を見届けてやるが夕刻には我が家に戻れ」
吟は私を眼前に置き直した。
「花純を世間に知らしめた以上これから邪魔が入るだろう。よからぬ噂や偽りを駆使し、貶める輩が現れるやもしれん。今後如何なることがあろうと、僕を信じろ」
真摯な眼差しの後、吟は固く口を噤んだ。私は吟を信じたい。
吟、私に隠している過去がある事実は知っている。
抱えきれない荷物を抱えるその哀愁漂う背中に手を伸ばした。
「私は吟を信じます」
「ああ」
吟の声が震えていた。吟の腕を取ろうとした。
「来るな。今はこのままで」
その声も震えている。強がりで意地っ張りで、でも優しくて寂しそうで、盾のような偉大な背中を私は後ろから抱きしめた。
「少しだけ、こうしていたい」
「ああ」
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