第15話 青門
青門を前に吟、私、白虎様は横並びになった。一歩前に出たのは白虎様、片手を上げると重厚な扉が開く。青龍様が側近を従えて出迎えて下さった。
「ようこそ、わたくしの宮へ」
陽だまりの笑みを放つ青龍様に頭を下げた。
水流に掛けられた石橋や半円形に反った太鼓橋を渡らなければ次の間へ辿り着けないようで、開放的すぎる宮中は案内なしでは迷ってしまう。私達は屋根付きの亭橋に通された。
「朱雀は不在のようだね」
笑みを保ちながら白虎様の空いた傍らを覗いた青龍様。白梅ちゃんは来なかった。
「朱雀は宮中には参りません」
視線を落とす白虎様の様子が変わった。
「わたしの宮ならば顔を見せられるかと思っておりましたが、まだ心の整理が付いておらずだね」
「朱雀が断るところを初めて拝見したが、よほど、この宮中に苦い経験があるようだ」
吟の追言に青龍様の側近が動く。それを片手で静止させた青龍様は長い笑みを浮かべた。
「鬼頭、わたしに無礼を働くのはよいですが、わたしの側近は気が短い。どうかお手柔らかに願います」
はりつめた空気は冬を思い起こさせる凍てつく場に変わった。白虎様の表情はすでに凍り付いている。私は笑みを繕い萎縮した背筋を伸ばし、湯気が立つ花茶に口を付けた。
「芳ばしく美味しいお茶です」
茶器の中にはあられが入ってあった。小さくてかわいい手毬もあった。
視線を感じて前席を見た。青龍様の優艶な視線と重なれば自ずと笑みが出た。おまけに吟の不機嫌な威圧感も真横からひしひしと感じてしまう。
「さては本日の目的を鬼頭に話しておりませんね」
「目的があったのか? ただの茶会と言ったはずだが? 花純」
白虎様の方をちらり。白虎様は空っぽのようで心ここにあらずの状態。私は茶碗を置いてから吟を見た。
昨夜、私と白虎様で決めた流れがあった。白梅ちゃんには白虎様から、吟には私からと依頼を伝える手配だった。しかし吟は一言も口を訊いてくれず今に至る。
「大旦那様はご立腹され、私を居間から追い出したではありませんか。それで伝えれず」
「機嫌を損なわせたのは花純が発端だろ。だが聞かずしても大体の予想は付く。鬼の許可が必要な依頼のようだ」
「まあまあま、わたしがお伝えしましょう。宮中にて監禁しておる妖魔退治を依頼した」
「妙な依頼ではありませんか。物騒極まりない。鬼の所用物を勝手に試用されては、鬼の逆鱗に触れるおつもりで?」
「花純さんを物のように扱う鬼こそ物騒極まりないと思えぬか?」
熾烈の狭間に私と白虎様。止めたくても入る隙間を見つけられない。ひたすらお茶を飲む。
「わたしは妖都の四神。これから花純さんを宮中に置くことも容易いのですよ」
「鬼頭から奪うと仰っておりますか? 花純を手放すつもりは今後も一切ございません。昨日は触れられたようにも捉えましたが、あれは錯覚のようでして眼を瞑ることにしました。それゆえ本日から容赦なく貸し出しを禁じる。青龍様」
「それは否定か?」
「いいえ、忠告ですよ」
「さよか。わたしに忠告を申したのか」
「これも四神様の護衛を司った鬼の勤めでございましょうな」
「こちらも日頃の気苦労の恩を返してから本題を提示すべきでしたね。鬼頭よ、わたしがご無礼を働いたようです」
「青龍殿!」
会話に割り込んできた側近を片手で静止。
「これくらいしましょうか鬼頭。本日わたしはあなたを歓迎したいのです」
青龍様は手を鳴らした。側に控えていた麗しい天女が翡翠の徳利とお猪口を運んできた。羽衣の袂を手で押さえ、吟に中身を注ぐ真似を見せた。
「まずはおもてなしから始めましょう。こちらは神酒。一献いかがです?」
吟はお猪口を手に取った。私も前に置かれたお猪口を手に取る。注がれた神酒は金箔の膜が張った。吟は迷いなく口に流した。
小さなお猪口は次から次へと私の瞬きと同じ速度で吟の両脇を固めた天女に注がれた。あっという間に一本空になってしまった。
「お酒は苦手でしょうから花純さんには他の物を」
口をつけようとした途端、青龍様に奪われてしまった。
「貴重な神酒です。私にもこれくらいは飲めます」
無礼にあたる。吟だって注がれた分は飲み切っている。
「いいえ度数が高すぎます。躰を壊しますよ」
神酒はいつのまにか花茶に変わった。
「大旦那様、ゆっくり味わいながら飲んで下さい」
操られたような飲みっぷりはいつもと違う。
「これ以上は鬼頭もお躰に障ります」
白虎様が口を開いてくれた。
「わたしを止めるのは謀反と捉えますよ。これは神のおもてなしです」
青龍様の顔色が変わった。力が入る形相は白虎様を睨んでいた。額に汗を滲ませる白虎様の手元が大きく震えている。
「私、また改めてこちらに参ります」
私は席を立った。
「大旦那様帰りますよ。お酒は屋敷に帰ってからでも飲めますから」
「黙れ!」
「大旦那様」
私の手を振り払った。飲む手が止まらない。
ただの大虎ではない。吟はお酒に飲まれない体質を持つ鬼。しかし今は平然を失っている。
「白虎様、大旦那様の様子がおかしい」
白虎様を覗くと意味深な表情に変わった。引き攣った両頬に青ざめた皮膚。異常事態を示している。
その異変に私は吟の側に立った。周りを警戒する。青龍様の宮中では孤立しているのは私と吟だけだと今気が付いてしまった。
「これはただのお酒ではありませんね。大旦那様に何を飲まされましたか?」
「安心しておくれ、これは神便鬼毒酒。少し鬼頭には眠ってもらわねばなりません」
鬼には毒の酒がある。鬼が警戒しなければならない酒は四神様が蔵置してあると。
「そのお酒は酒呑童子を毒殺したと謳われる鬼殺の酒ではありませんか。では大旦那様は今、毒に苦しんでおられるのですか?」
揺さぶる吟は応答なし。意識が遠い。眼もうつうつとさせ息も荒い。これでは私の声は届かないのも当然だ。
「致死量は与えていません。是ほど致すのは依頼を決行して頂きたい一心から。鬼頭の許可が得られないならば、この酒を飲ませるつもりでした。わたしの考えを朱雀も察知したのであろう。ゆえに参らなかったのでしょう」
「今回の依頼は青龍様にとって重大なことと承諾しましたが、大旦那様や白虎様朱雀様の反対を押し切り決行するのは心苦しく思います。二方の意見を訊いては如何でしょうか」
「これは朱雀や白虎のためでもあります。まずは宮中の妖魔を見てやってくれませんか? その後、真実をお話しましょう」
青龍様が灯す龕灯はこれから進む洞穴を露わにさせた。手彫りの壁は進むにつれて狭まり、二列から一列に変わると額に落ちた水滴が蒸発した。
「この中に妖魔がおります」
扉が開けられるとこちら側の空気と躰が風圧によって引きずり込まれた。
「これは格子ですか?」
見覚えある景色に私の脳が揺れた。視界が歪んでしまう。
「四神、玄武の甲羅で造られた特別な格子。妖力を吸収する頑丈な檻になっております」
私の格子は木製だった。玄武様の格子は内側に棘が突き出し、触れるだけで傷つける。これが本当の檻なのかもしれない。
「妖魔は暴れますか?」
「暴れはしません。いつも隅の方で身を隠すように潜めております。久しくわたしも見ておりません」
格子の中に明かりは見当たらず、青龍様が持つ龕灯が眩しく思えた。
とても寂しい場所。
妖魔は鬼火と紫月を嫌う。お香は懐に閉まってあるが、閉鎖的な空間で焚いてしまえば断末魔を聞いてしまえる。
「私だけ此処に残りたいです」
「それは問題ありませんが、万一に備えて扉の近くで待ちます」
「申し訳ございません青龍様を待たせてしまい」
「よいのです。花純さんの無事がわたしの勤めですので」
青龍様が扉を閉めてから、手渡された蝋燭の灯火を吹き消した。これで妖魔と同じ条件が揃った。
「私は玉藻前 花純と申します」
暗闇の自己紹介は虚しい。妖魔には届く声量で挨拶した。
「キエロ」
声だ! やはり聞き取れた。地鳴りのような太い声。私は格子に近づいた。
「私の声は届いていますね」
「キエロキエロキエロ」
早口をずっと聞くと怖くなるが、格子に眼を凝らした。
「消える前に知りたいのです。妖魔のことを貴方様のことを」
「ワタシハソトノヨウマトチガウ」
「妖魔に種類があるのですか? それは」
妖魔の声量が高まった途端、扉が開いた。
「花純さん無事ですか!」
地面を照らす明かりが両手で耳を塞いだ青龍様を映し出した。
「私は無事です」
「されど獣の以上の叫びが聞こえました。耳が壊れそうです」
「キエロ、キエロ、キエロ」
妖魔は声を閉ざさない。青龍様の訝しげな表情と平気な私の差に気づいた。
「青龍様には言葉が聞こえないのですか?」
「言葉? 先刻から花純さんの声とキーンとした耳鳴りがします」
妖魔の声は私にしか聞き取れていないんだ。私以外は断末魔に聞こえているのかもしれない。
「消えますから落ち着いて下さい」
「クルナ。ココヘクルナ」
妖魔の声は闇の中に埋もれてしまった。
もう少し話せれば手がかりが掴めたかもしれないが、私を酷く拒絶していた。それに、まだ遠すぎる。相手を知るにも姿が見えなければ言葉の投げ合いはできない。私が中に入れるならば近づくことは可能になるのだけれど。
「格子の鍵はございませんか?」
「鍵は玄武が所持しております。花純さん、開けることはできません」
「距離を縮めなければ進展しません。どうかお願いします」
「妖魔です。相手は」
「妖魔もです。初めが肝心だと朱雀様から教わりました。私はこの妖魔を知りたい。皆が私に触れたように、私も同じように妖魔に接したいのです」
「わたしには理解し難い。危険を承知で距離を縮めても命の保証はありません。妖魔は何一つ変わらないのだから」
「変われます。傀儡だった私が変われたのです」
「花純さんは妖魔と異なるから変われます。それから傀儡など以ての外。鬼の言葉など真に受けてはなりません」
「以前の私は本当に傀儡でした。大旦那様は乱暴な言い回しですが、そうでもしなければ私には響かなかったのでしょう。私の性分を知っての心配りだったと思っております」
私の頑固な部分を吟なりの方法で私という者を客観的に見せてくれたと思っている。
青龍様の明かりが近づき、無表情を私に向けた。
「まるで喜怒哀楽を旅のように生きておられる」
「大旦那様に自由を与えられました。感謝される喜びや誇らしい心を知り、朱雀様には縁の結び方を教わり、白虎様には誰かを守る重さを教わりました。私は新しい道を与えられたのです」
「花純さんにとって朱雀、白虎はどのような存在か?」
「私にとって大切な知音だと思っています」
首を横に振った青龍様。
「わたしが思うにはそれは、この世の色を教えたにすぎません。知音とは苦難を共に乗り越え互いを信じあえること」
「私の一方通行でもかまいません」
微風を感じとると、青龍様の腕が私の肩に乗っていた。
「青龍様? 如何され……」
躰を引き寄せられた。
「わたしは鬼よりも先に……花純さんに会わなければならなかった。探し出さなければならなかった。運命が変わっております。今後に注意なされ」
息吐く間もなく青龍様の小声は耳元を埋め尽くした。
「私の運命は誰かに握られているのですか?」
聞き捨てならない言葉に問うてみるも、青龍様は再び首を振った。
「いつ何時もわたしは花純さんの味方です。本日の件を飲み込んでもらったお礼を返したい。願いを申され」
「では」
迷いなかった。私は直ぐに返答した。
「禁断の書庫に入りたいです」
青龍様を見上げた。
「書庫?」
「此処に存在する神さえも禁じられている書庫に私をお目通り叶いませんか?」
「分かりました。では近いうちにわたしの処へお戻り下さい」
「承知しました」
青龍様が離れると、私との間に絶え間ない風が吹く。
「花を迎えに参りました」
白虎様の声が私を迎えた。
項垂れる吟を抱える白虎様に続き、青門を出たのは夕刻を過ぎていた。
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