第14話 珍しきお客様
「花純も今日は気が乗らないのか」
吟は鏡越しに私を見た。髪を梳かす櫛が止まる。
「大旦那様も気が乗らないのですか?」
「ああ、今日は鬼宿日だ。屋敷の外に出られんのは仕方がないが、こうゆう妙な日に限って面倒な事件が起きるものだ」
「鬼一族は外出できない日ですね」
「厄介な日を造られたものだ。鬼門の鬼も裏鬼門の鬼も屋敷に閉じ籠もる。妖都に眼を光らせる取り締まりが緩むわけだ」
「それを狙って事件が起きるというのですね」
「大抵は町奉行で治められるが、厄介な事柄はこちらに持ち上がる。まあ、翌日に解決だがな」
鬼宿日は反鬼が造った自由の日。巷では羽目を外す日とも云われている。
「鬼宿日に鬼が外出したら如何なるのですか?」
「どうもならんが、規律を愛でる四神が黙っておらんだろうな」
吟は四神様を避けたがる。花筵の吟は青龍様に強気を貫いて、皆が頭を下げるなか吟は立ち上がっていたし、以前にも鬼火助くんが神と付く言葉に異様に反応していた。母屋では禁句用語なのは心の底から避けているからだ。
「私の想像にすぎませんが青龍様は苦手ですか?」
「節介な想像だな。苦手なものか。ただ彼奴の眼が気に入らんのだ」
「睨まれでもしましたか?」
「睨みを利かす面ではない。彼奴が花純を見る眼は寒気する」
「私を? 危険を感じませんでしたよ。あれは優しい眼でしたが」
「思い出すな! されど青龍には用心に越したことはない。僕の許可なしに行動するな」
怒ったり心配してくれたり、今日の吟は昨日の吟と全く違う。妖都巡りの際は横顔も背中も笑っていたのに、今は眉根に力を入れて睨みを利かせている。これでは鏡が割れてしまう。
「鬼頭、宜しいでしょうか?」
鬼火丸さんの畏まった声が障子の紙に反響する。
「やけにおずおずした態度だな。めずらしい」
「鬼頭にお客様がお見えです」
「やはり鬼宿日は厄介だな。で、客妖は誰だ。町奉行か」
「いいえ、お客は四神様です。青龍様が玉藻前をお呼びでございます」
「なに、この日をあえて狙ったようだな」
鬼火丸さんと鬼火助くんの間に挟まれた私は吟の後ろに控えた。
「玉は四神様に気に入られただすか?」
ひっそり声の鬼火助くんは不安そうに私を見上げた。
「心当たりがあるとしたら、約束事が今始まるのかもしれません」
「あやかしが四神様に約束とは明日は大雨だすな」
――コリ
噛み砕かれる音は器に盛られた氷山。
「さて鬼頭よ、本日は花純さんに用があって参った」
上段に鎮座する青龍様は御簾の向こう側。お顔は隠されている。
「わざわざ足を運ばせてしまい恐縮でございます」
吟は丁寧に言葉を撫でるが態度は正反対。氷を摘まむ手が止まっていない。噛み砕く音もより響かせている。
「花純さん、散歩しませんか?」
思いがけない誘いの後は氷音が続く。
「僭越ながらそれは如何なものかと。本日は鬼宿日、我らの護衛なしに花純を外に出すわけにはいきません」
「本日、鬼は不要。それゆえ参った」
「不要? 青龍様は勘違いをなさっておられますな。花純には鬼が必要という意味でございました」
「されば花純さんの護衛をこちらで手配する。白虎を付かせてもらいましょうか。鬼頭、これなら如何かな?」
緊迫した空気は居心地が悪い。青龍様が席を立ち上がった。神々の声が遠くなると、吟は残りの氷を鷲掴みし、握る力で溶かしていた。
「大旦那様、私は出かけた方が宜しいですか? 許可がなければ動けません。断る身分でもありません」
縁側に出た吟の背に訊いた。
「皮肉にも鬼宿日を。鬼を舐め腐っておる」
刺々しい怒りは眼に見えない炎を背負っている。
「必ず戻って来い。約束できるな」
ちらっと見せた横顔は悄然としていた。稀な表情は私を不安定にさせる。笑っているか怒っているか、それ以外の吟は見たくない。
「私の居場所は鬼屋敷です。白虎様と共に必ず帰ってきます」
「花純の帰りを待っている」
眼尻を下げた吟。私はこの顔を待っていた。胸が綻ぶのは私は安堵しているからだ。今の吟が好き。
「行って参ります」
「ああ、行ってらっしゃい」
妖都はいつも以上に賑わっていた。
鬼宿日は鬼の眼が遠いからか、盛大に楽しむのは若者が多く奇声が眼に付いた。
「花純さん」
「本日はご機嫌麗しく、祝着至極に存じ奉ります」
ほんのりお香をしたためられた着物が私の腕に絡まった。
「肩の力を抜いて下さい。はぐれてしまえば花純さんを見失ってしまいます。少しの間、手を拝借しますよ」
後退りした。青龍様に触れてしまったのだ。
「青龍様、恐れ多く存じます」
手袋を嵌めているとはいえ四神様の側に穢れの手を置くのは危険すぎる。手に力を抜いて、さっと下へ滑り落とした。
しかし落ちた手は青龍様が掬い取られた。
「気になさらぬな。このまま歩きながら話ましょう」
前を一心に見つめる青龍様は程よい力で私の手を引いてくれた。
「花筵の活躍は四神にも伝わっております。そこで栴檀師の花純さんに依頼したい案件があります」
「私に依頼ですと妖魔に関わるのでしょうか」
「実は宮中に妖魔がおりまして、それを退治してもらいたい」
「妖魔を捕らえられているのですか? あの妖魔をですか?」
驚くあまり言葉が乱れた。
「語弊がありましたね。正しくは妖魔を監禁しております」
か、ん、き、ん。 息が詰まってしまい咽てしまった。
「驚くのも無理はありません。この件に関しては宮中内でも知る者は少ない。重要な意味があり逃がさず捕らえた。されど用が済めば退治しなければならない」
私は此処にいるのに私が監禁されているような感覚を味わった。あれほど憎んでいた妖魔に同情してしまう私がいる。
「妖魔に会ってもらいたい」
沈んでゆく語尾。青龍様の落胆する姿勢が手に伝わってきた。
「青龍様、俺は反対です。宮中の妖魔に会わすのは危険です」
私の背後に従えながら同行していた白虎様は前に出た。
「白虎。何事も新しき風を吹かせねば変わらぬ一方だよ。あの妖魔も檻を見つめて、ただただ死を請うのみ。惨き事と思わぬか」
「しかし俺は……俺は、花を連れて行きたくない」
「花とな?」
はな? 私も白虎様を覗いた。もしかして、私を呼ばれたのでは?
「ちっ、朱雀が日頃変わった名で呼ぶので、つい……」
どんな名でもいい。白虎様が呼んで下さると認められたようで嬉しいもの。
満面な笑みを送ると感じ取ったように白虎様は私から眼を逸らした。
「ありがとうございます。やっと呼んで下さりましたね、私の名を」
地面に伏せた白虎様に私はあえて礼を伝えてみたが、逆効果だったのか表を上げた眼は無だった。
「白虎が神以外の名を音にするのは珍妙よの。ただ心許せる相手が増えたのは喜ばしきこと。そのようにあの妖魔にも喜ばしき風を浴びさしてやらぬか? わたしの言葉の意味が分かるはずだよ」
青龍様の説得は鬼屋敷に着くまで続いた。白虎様の表情は強張ったまま。声を掛けるが、手で払われ先を進んで行ってしまう。
結果として明日、私と吟、白虎様に白梅ちゃんとで宮中に向かうことに決まった。
「ただいま戻りました、大旦那様」
「おかえり花純、白虎。それより何だあれは? 花純と青龍の手が重なって見えたが、白虎は近視眼でどのような形で見えた?」
玄関に上がった直後だった。意味ありげに眼を細めて見下ろす吟は仁王立ち。
「鬼頭、それを錯覚という。気にするな」
刀で斬ったような直球型は吟の力みを緩ました。
「錯覚だったのか……」
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