第13話 歓喜の花々
差し込む明かりに眼が眩んだ。ぼやける視界に見覚えある形がくっきりと浮き出た。
「花ちゃん!」
「白梅ちゃんですか?」
「喋っただす! おお、おお鬼頭! 玉が眼を開けただす」
叫び声に心臓が止まりそうになる。しまった私、寝坊した。
「すぐにお支度します」
口がしょっぱく感じた。声もしゃがれている。
「動くでない。昨夜、花ちゃんは溺れてしまったぞえ。意識を失い……麻呂は助からないと思うて……」
泣き顔の白梅ちゃん。萎れた躰を起こしてみる。
「泳いだ経験もないのに海に入ってしまったのですか。何考えていたのでしょうか。反省です。ははは」
笑い声をあげた。
「無理は禁物ぞえ」
「気を付けます。あの妖魔は?」
「妖魔の名を出すとは、花ちゃんは自愛が足りぬぞえ。昨夜は大成功を飾った。紫月が結界を張ったおかげぞ」
実感がない。ひしひしと感じるものなのだろうか。喜べなくて、作った笑みが引き攣っている。
「波際に立っておったはずの花ちゃんが消え、泡だけが海面に浮いておった。ぞっとした。白虎が飛び込もうとしたが、鬼頭が現れての。誠によかった」
頷きながら涙ぐむ白梅ちゃんの眼を見張った。
「大旦那様が助けて下さったのですね」
「海中に火玉が現れて、それを追いかけるように鬼頭が海に入った。とても深刻そうな顔立ちだった。あのように取り乱す姿を初めて見たぞえ。明け方まで花ちゃんの側から離れず、麻呂達はそれを見守るしかできなんだ」
海中で鬼火を見たのは偶然ではなかったんだ。だから吟の声を拾えた。一歩間違えれば吟さえも命の危機に連れ込んでいたかもしれない。
「私の行動は危ういものですね。皆の命を守れていると思っていましたが、判断力に欠けていました」
上半身を折りたたんで長い陳謝についた。
「卑下を申すな。昨夜は誰も妖魔に化けずに済んだ。それは栴檀師として務めを果たしたからこそ。麻呂達は感謝ばかしぞえ」
周囲に視線を散らす白梅ちゃん。私の寝床の周りは鮮やかな花で埋め尽くされていた。
「この花々は?」
甘い香りが寝床を埋め尽くしている。
「礼花。花ちゃんへの花ぞえ。おかげで今朝から白虎は大忙がしぞ。花を運ばなきゃならないからの」
「これ全部私に下さったのですか? 一体誰が」
「決まっておる。妖都に住まうあやかしぞえ」
「皆さんが」
鳥肌が駆け巡った。視界が明るい。足裏に熱を感じる。味覚も変わったのか甘く感じる。
「私、今興奮しているのかもしれません。嬉しくて、感覚が敏感になっているようです」
「ふふ、可愛いの。麻呂も半分おくれ」
「眼が覚めたようだな。少しばかり町に出ようか」
笑みを設える吟の姿は青天の霹靂が始まる予感がした。吟が優しく接するなんておかしいもの。
「花ちゃんはまだ動ける身ではあらんぞえ」
「ならば己の脚を使わなければよいだけだ」
吟が腰を屈めた。引き締まった腕を私の脚の下に添えた。
ももももしかして!
「ほほほ、なるほどぞ。抱えるとは見事な案よな」
私は吟に持ち上げられた。
「待って、私は歩けますから。重いですし降ります」
「今宵は僕に甘えればよい」
「できません」
「気恥ずかしいと思っておるのは花純だけだ。見せたい物があるんだ。だから僕に付き添ってほしい」
吟に願われてしまうと断れなくなる。ばたつく脚を止めて抱えられたまま頷く。白梅ちゃんが笑いを堪えていた。
「此処は下界ですよね? いつもの」
妖都が別の世のようで眼を擦ったが、光景は変わらない。
私の視界には頬に笑みを集結させたあやかしが私を囲んでいた。
「昨夜はありがとうございます、栴檀師様」
「木綿をお持ちになって、感謝の印です栴檀師様」
「栴檀師様、こちらのも受け取ってくだせぃ」
「ぬらりひょん一族は秩序という礼儀を知らないの? きちんと並びなさいよ、私が先だったのよ」
「お前らの首が長すぎるんだ」
「小豆を丁寧に洗っておきました栴檀師様。是非甘味にお使い下さい」
こぞって集まるあやかし方々に私の視界は混雑している。
「小豆や品物ありがとうございます。聞き間違いでしょうか栴檀師に様って?」
栴檀師と距離も縮まっているようだし、怯えて避ける子供までも私に麗しい眼を向けてくる。
「どうなっているのですか、今日は」
隣で腕組みをする吟に尋ねた。
「皆、花純に感謝しておるのだ。栴檀師が妖魔を祓ったと今朝の瓦版に掲載されたからな」
「わたしが瓦版に!」
「髪型、着物、化粧の仕方、珍味物、事件。華屋敷での出来事は瓦版の表紙になるこが殆ど。憧憬する者が多い。して花純が解決した事件が今朝、盛大に表紙を飾ったわけだ」
「私が載ってしまわれた。夢のようです」
顎が上下に動いてしまい上手く話せない。
かか様は瓦版をこっそり持って来てくれた。本物の妖都に触れているようで私にとっての瓦版は貴重な娯楽物だった。触れていたものに私が載るなんて本当に今日は青天の霹靂が起こってしまった。
「今日は褒美だ。花純が気になる店に連れて行ってやる」
「私が決めても宜しいのですか? どこにしようかな。突然ですと迷いますね」
「迷わずとも決まっておるだろう。おやきでは?」
「いかにもです。おやきですね。そういえば私はおやきのお店しか知りませんでした」
妖都で生まれ育っても私の知る店はただ一つ。吟が教えてくれたおやき。
吟は私の手を引いた。歩幅を合わせてくれて時折振り返ってくれる。気恥ずかしい。でも差し出された手に迷いなく握ってしまえる。鼓動が跳ね上がっているのを吟に気づかれないようにしないと。
「迷子になるな」
「はい」
「おっ。主役が登場だ。栴檀師様いらっしゃい。何個でも袋に入れちゃうよ。今回は無償だ!」
篦で鉄板を叩く陽気な店主は注文を聞く前に許可無く袋に詰めていた。
「無償なんて申し訳ないです」
「命拾いの礼だ。へい、毎度あり」
おやきの袋が胸元に飛び込んできた。
「こんなにも頂戴して宜しいのでしょうか」
「今まで花純は褒美を手にすることなく、対価の存在をも知らずして格子の中でただ働きしておったのだ。花純の役目を知った今こそ皆は花純に恩返しをしたいと思えるようになった。要するにな、花純は認められたのだ。妖都のあやかしとして、栴檀師として敬われておる」
「私が私でいても迷惑にならないということでしょうか?」
「疑問で返すな。自信を持って。立派なあやかしだ。しかし花純にはまだまだ課題がある。やっと一歩を踏み出した。まだ地理も定かでないはずだ、僕が妖都を案内してやる」
「お願いします」
離れない手は前に進んだ。
表長屋の一角に空き地がある。黒い煤の空き地。まだ植物も育たない場所は私の家。そこに吟は百花を手向けた。
「春が来るとよいな」
「もう春は来ています」
かか様、私の心に枯れない花が咲きました。
手を重ね、瞼を閉じた。
あやかしにとって死は悲しみではない。黄泉の国での誕生が待っている。今頃かか様は赤子かな?
「活きのよい魚を売る棒手振には気をつけろ。前を見ても、後ろは見ておらんからな」
「あの魚は初鰹ですね。海坊主が売る姿を浮世絵で拝見したことがあります」
「そうだ。腹に他の物を入れるか? 飴はどうだ? 白玉屋もあるぞ」
涼しげな音を肩に掛けた山姥は風鈴屋、地べたに脚を組んで細長い竹を編む河童は桶屋、虫売りは蟲師、手遊び売りは一つ目。寺子屋帰りの子供は風車片手に風あそび、どれも妖都の躍動感が伝わる。
「花純、少し休憩しよう。連れて行きたい店がある」
到着した店は朱雀の方角にある簾柳の川辺。赤い絨毯の長椅子に座った。
「風が気持ちいい場所ですね」
肩が軽くなってゆく。風に癒されるなんてこの世に出た甲斐があるとつくづく思う。
「この店は夏の暑気払いにもってこいの場所でな、夜も賑わう場なんだ。女将、柳陰を二つ」
「はいよ」
吟が頼んだのは硝子の徳利に入ったお酒だった。
「まだお酒を飲んだことがありません」
「下戸で飲む酒は強くないから安心しろ」
お猪口が手に渡った。
「いただきます」
絹色を口に含んだ。舌を転がすと味覚が瞬時に伝わる。
「甘い」
「そうだろう。柳陰なら花純も飲めると思ってな」
少しどころか手が止まらなくなった。お酒好きの吟は徳利を持ったまま、あまり飲まない。
「甘いお酒は苦手ですか?」
「酒は酒でも俺には甘水を飲んでいるようだからな」
吟は今楽しめているのだろうか? 弾みを声に乗せて表情を柔らかくする吟だとしても、私と同じ気持ちか気になる。
「昨夜は助けて下さりありがとうございました」
「朱雀から訊いたのか」
「少しだけ」
「無理をしたな。あと一歩遅れていたら喰われていた」
「私の意思で動いた感覚ではなくて、呼ばれている気がして、気づいたら海中にいました」
「妖魔に呼ばれたのか?」
「妖魔にそのような能力があるとは思えませんが確かに妖魔の声を聴きました」
「何を話した」
「一方的でしたが、モドレと。私は妖魔の化身なのでしょうか」
厳しい顔つきになった吟。
「大旦那様?」
「呼ばれたのであれば引き込まれた証しだ。己を強く持てば惑わされなかったはずだ」
「弱気だったのかもしれません。昨夜は焦って気も動転していました」
「その原因は青龍か?」
私は首を振った。
「風が吹かなくて焦ってしまったのです。そうだ青龍様と声を交わしました。すっかり忘れていました」
「朱雀のように穏和かな者ではない。これからは僕の側から離れるな。遊びに誘われてもな。昨、夜、のように」
「はっい」
背筋がぴんと伸びた。
「実はあの日、青龍様に迎えに来ると申されまして、はい、と答えました」
「僕の耳は地獄耳だ。聞こえておった。あの後、花純に用があるなら鬼屋敷へと申しておいた。わざわざ宮中に出向くことはない。赴かなければならない際は白虎が同行する」
「白虎様?」
「白虎が珍しく警戒した。裏を返せば青龍には裏表があるのだ」
再び歩き始めた私は、吟が立ち止まった店の看板を見上げた。
「草紙屋。もしや此処は」
「そうだ花純が贔屓にしておった書物屋だ」
かか様が私のために通って下さっていた店。私と下界を繋げてくれた宝庫のような店。
「瓦版はこの店でで発行されておる」
「でしたら過去の記事もあるのでしょうか?」
「保管しておるかもしれんな」
酔いが功を奏したのか、私が失った記憶の過去を手繰れるではないかと閃いたのだ。
「入りませんか? 行ってみたいです」
「ああ、書物好きの花純だからな」
「ありがとうございます」
私が失った過去を知った事実は吟にはまだ知らせたくない。憶測にすぎないが、吟が過去を避けているのは私の失った記憶と関係しているのではないかと思うのだ。
店内は入り口から書物が並び右側の壁沿いには年代別の瓦版が並んでいた。
怪しまれないように懐かしみながら過去へ下だり、私の記憶が飛んだ十歳の時代で足を止めた。吟が庭に出たのを確認してから、空白の時代に手を伸ばす。
「んん」
この時代はぬらりひょん一族が暴れていたらしく事件の記事が大半を占めている。他は吟のお父様の功績が記事に載っているだけで私の記憶と関係ない事柄ばかり。もう少し過去を探る必要があるのかもしれない。
試しに一番端っこの瓦版を手にした。相当な古紙。両手で支えなければ紙の形が定まらない。
内容は古文。読める字を探して繋げてみる。
「四神様について載ってある」
宮中には四神様も一部の者しか入れない書庫があるらしい。そこには珍しい書物があると書かれていた。
「私が知りたい真実はこの書庫にある気がする」
青龍様。心が名を呼んだ。私は何をしなければならないか定まった気がする。
「花純」
「はっい」
つい、のめり込んでしまい軟弱な古紙を落とした。
「こうゆう物は厳重に扱わなければな」
「申し訳ございません」
拾った紙を戻す棚を探した。
見つける前に吟の手が背後から伸びて来た。
「まだ生まれてもない時代の瓦版に興味があるのか」
「もちろんです。知らない世を知ってこその博識の引き出しが多くなりますからね」
「お前らしい」
私は落とした本を手に持ち、吟はなぜか私の手首を掴んでいる。
「この棚から出したのは私ですから元に戻せますよ」
「ああ」
「では手を放して下さい」
「教えてほしい。花純は僕に話しておきたいことがあるのではないか?」
「ございません。疑わしく思われるのですか?」
「花純は焦りや隠し事がある時、躰が冷える。頬が白くなるのも印しだ。よってこの手首から温度を感じない」
私でも気づかないことだった。
「少し酔いが醒めたのでしょうか。寒けを感じますね」
「そう、酒か」
吟の手が離れると肩に布が掛かった。
「これは大旦那様の衣です」
「寒いのなら早く申せ。帰るぞ」
吟の羽織は金木犀の香り。
糸で結ばれた縁がどれだけ重大で責任があることか白虎様の忠告が今を得て身に染みる。私の側は危険と隣り合わせ。私のせいで吟を不幸せにしてはいけない。
この衣のように、私が吟を纏える力にならなければ。
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