第6話 神との対立

 鬼屋敷に戻った私は逢魔時に紫月を焚き終えてから龕灯に火が入った。

 私の行き先は白虎様の所。台所の炭置き場で炭守をしていると、鬼火助くんから聞き出した。

「白虎は独り好きの変わり者。行っても無駄だすよ」

 私の行動に敏感な鬼火助くんが辞めておけと裾を離さない。

「誤解の件を謝罪したくて」

「んーん、おいらは白虎が好かん。兄じゃを呼ぶだす。少し待っておれ」

「鬼火丸さんは大旦那様の手伝いをされています。挨拶だけに手をお借りできません」

 今宵も三味線と太鼓、笑い声が絶えない鬼屋敷は宴が始まっている。

「ならばおいらの暇をあげるだす」

「それは頼もしいです」

 躰が小さい鬼火助くんが手を振ると躰まで左右に揺れる。それがとても愛らしくて、小さな護衛さんだけれど心強い。


 裏庭にある泉水を越えると台所があった。窓格子から覗けば鬼の女中さんが料理の配膳に勤しんでいる。

 それにしても徳利の数が多い。鬼は酒を浴びるほど飲むと知るが、徳利より桶をお猪口にする方が身の丈に合うのでは? 酌婦さんも大変そう。

「炭の倉は一番倉。此処には白虎様はいませんよ。たまに甘味を作っておりますが。今日は一度もお見えになっておりません」

 格子越しの女中さんが鬼火助くんに言った。


 一番倉の前に着くと、白虎様は明日の鰯を燻す整えを始めていた。

「お礼も申し上げずに、この度は申し訳ございませんでした」

 追い返されそうな背中に頭を下げた。

「来やがったか。あれは鬼頭の頼みだ。礼には及ばん。だが丁度よい、貴様に忠告がある」

 炭の手を払うと私を睨みつけた。

「はい。なんなりとお申し付けください」

「本質は朱雀だ。これ以上、仲を募るな。俺は朱雀を守るために鬼屋敷におる。貴様の手で、また同じ過ちを繰り返したくはない」

「誓って行為的に穢そうと思いません」

「俺は見たままでしか信じねえ主義だ。朱雀と仲慎ましく望むなら節度を守れ」

「節度とはどのぐらいを図ればいいのでしょうか?」

 きっと疎ましく思うかもしれないが、独りよがりで進むとまた傷つけてしまう。分らなければ聞くべし。私なりに教訓がある。

「朱雀に触れるな触れられるな。栴檀師だが所詮は呪いの子。貴様のために妙案がある。俺が導いてやるから妖都から離れろ。山を三里も超えれば鬼も追いつかん。これこそが誠の自由だ」

 要するに私が邪魔なのだ。

「私を受け入れられない者が殆どなのは承知しております。ですが、妖魔は待ってくれません。私にも守りたい存在がおります。その方に今さら恩を痣で返すような真似はしたくありません」

 四神様に逆らう羽目になったとしても栴檀師には役割があると知った。

「それは朱雀から離れぬと? 俺に挑んでおるのか」

「この世が私の居場所ならば戦います。来世に光も垂らすために」

 力強い溜め息が周りの木を騒がせた。

「白虎、下手な真似は許さんだす。鬼の眼を搔い潜るには、それ相当の覚悟が必要。四神であっても」

 いつもとは違う凛々しい鬼火助くんが私の前で両手を広げて立った。

「大好きなお強いお兄様が不在だと、鬼火助はちっとも役立ちもせん。震えておるではないか。しょんべん漏らしたか」

 鬼火助くんの脚が小刻み震えていた。私も両手を広げて鬼火助くんの前に立った。

「私の言動が原因であれば謝罪します。鬼火助くんには危害を加えないで下さい」

「危害? 呪いの子が危害を与える側だろうが。朱雀に近づく理由は企みがあるからだろ」

「私は何も企んでいません。ただ、お側にいたいと思ってしまった。友だと仰って下さりましたから」

「側にだと。友だと。何様だ! 優しくされ自惚れよって、呪いの子は妖魔らしく闇に隠れておれ」

 怒濤にまみれた白虎様は私を見るなり舌打ちを鳴らし、白虎様の顔が剥がれだした。


「白虎様……」


 髪を逆立てた白虎様の周囲には、土埃が立ちこめ始めた。

 一瞬にして異様な雰囲気に変わると、眼前には浮世絵で見た神獣が現れた。

「これが四神様の本来の姿。こればかしは警戒だす」

 白黒の髪を後ろで縛っていたが、神獣となれば躰を纏う毛に変わり、鋭い爪が四足にめきめき生え、口には尖った牙が生え揃う。

 前足で蹴る仕草さえ迫力ものだ。小判のようにギラつく眼は私を捕らえている。荒い息が威嚇する。

「私にとって友を作るということは月をお側に連れてくるようなものです。それが今、本当に叶ってしまった。今とても幸せなのです。白梅ちゃんを……失いたくございません」

 私は昔に真っ白な季節を味わった。果てしない白は闇よりも恐ろしかった。失うとは白紙。あった事実を無にさせてしまう威力を知った。

「加勢を呼ぶ。おい白虎、このおなごは鬼頭の物。手を出してはならんだす」

 鬼火助くんは火玉に戻り空へ飛んで行った。

「白虎様に許しを頂くまで私は何度でも此処に参ります。威嚇をされても」

 悍ましい絵を見ているだけ、大丈夫、私なら傷を負っても死ねない。

「物騒な騒ぎぞえ!」

 月光が照らした場所に凄みの剣幕が立っていた。

「白梅ちゃん」

「うつけな惨状ぞえな。麻呂の花ちゃんを傷つけるつもりか白虎」

 空に向かって嘶く響き、地面に伏せた白虎様の眼が弱り始めた。

「白虎の爪に触れておらぬか? 神風に吹き飛ばされなかったぞえか?」

 忙しく眼玉を揺らす白梅ちゃんが側に来てくれた。

「無傷です。少し言い争いになってしまいました」

「白虎は元の姿に戻るのには刻が要る。代わりに麻呂が謝るぞえ。白虎は花ちゃんに嫉妬を抱いた。そうぞえ、白虎」

「これは嫉妬の怒りなのですか?」

 こんなにも我を失うとは憎しみより恐ろしい。白虎様は前足で器用に眼元を隠していた。威嚇はどこへ行ったのか、甘えるように白梅ちゃんの脚元に落ちついている。

「悪く取るではないぞえ。これは白虎の狭き心が原因。男はいつまでたっても幼稚よの。さあ、朝まで説教ぞ」

 白虎様を連れてゆく白梅ちゃんの姿を見送っていると、二方の間に絆が見えた気がした。

 それは白梅ちゃんと白虎様の縁の糸なのかもしれない。その間に私が割り込んでしまった。


「見えぬ糸ほど切ってはならない。とうとう白虎の逆鱗に触れたようだな。怪我はないか?」

 騒ぎが収まれば次が来る。

 眷属の姿に戻った鬼火丸さんと鬼火助くんは、息を切らした吟の左右に従えていた。

「ありません。私は嫉妬に触れてしまったようです」

「男の嫉妬か。ならばさぞ鎮火も早いだろう」

「配慮どころか全く気が付けませんでした。とても悪いことをしてしまった」

「男は女よりも容易い生き物だ。酒を飲めば忘れられる」

「もしやそれをやけ酒と申しますか?」

「はは、答え合わせをしておるようだな。さすが書物育ちだ」

「今それを仰いますか。私にとって書物は存分に役だっていますよ」

「白虎を杞憂するな。あやつは四神の中でも気性が荒い」

「気性が荒いだけであのような発現をされるのでしょうか?」

 気にとめていた。過去を聞かされたような言葉だった。

「気に障ることを言われたのか?」

「同じ過ちの繰り返しと。白虎様は私の眼を睨んでいました。まるで私が敵のような存在でした」

「ああ、穢れの件か。実はな、朱雀の翼は穢れで失ったのだ」

「穢れ……そんな」

 聞いた話と違う。

「初耳のようだな」

「白梅ちゃんは産まれながら存在しないと」

「四神は全身に穢れは回らん。されど触れられた翼は溶けてしまった。朱雀は昔を忘れたかのように振る舞うが、白虎は妖魔を憎んでおる。それゆえ花純に当たりが強いのだろう」

「原因は妖魔だったのですね。白梅ちゃんが宮中にて迫害を受けた理由は穢れですか?」

「かもしれぬな」

 妖魔の記述は殆ど残されていない。私が知る範囲でさえ一つか二つ。身内に穢れ者が出れば同胞の恥。とと様が吐き捨てたようにその者を闇に葬る。

 四神様さえも同じ扱いを受けるということか。惨すぎる。

「一刻も早く飛び火被害を早急に止めなければ」

「慌てるな。妖魔は花純ではない。花純が産んだ妖魔でもない。それぐらい朱雀にも分かる。お前を受け入れたのは朱雀の真心だ」

「震えが収まりません。妖魔が憎い。大切なものを壊されたような気分です」

「それは渾身の怒り。義憤を知ったのだな。花純の力も未だ説明が付かないように妖魔もまた未知の存在だ。これから花純は憤りを抱き妖魔と対峙する場面もあろう。栴檀師としての役目を担うが、その時は条理であって感情で動いてはならんぞ」

「怒りを抑えての対峙は可能なのでしょうか? 今でさえ妖都を駆け巡って、紫月を胸に突き刺してやりたい」

「自重しなければいつしか己に焼きが回る」

「いい機会です。この躰が不死身であれば生き続け、死があるならばこの上ない悦楽。ようやく私を消せるのですから」

「死を覚悟するとな?」

「見たくないのです。かか様のように大切な存在が消えてゆくあの様を。再び蘇らせたくありません」

 吟の手が私の前髪を横に滑らした。

「格子の頃のような眼をしておるな。されどお前はもう独りではない。僕が側におる。勝手に消えようとするな」

 吟の瞳には私がいた。いつもの勘違いや揶揄するでもなく乞う意志を感じてしまう。

 急に真面目な顔をするのは違反だ。私の調子が狂ってしまう。

「約束を破れば地獄まで追いかけるぞ」

「まだ消えません。妖魔が失せる時が私の潮時だと思っていますから」

 吟の眼線は乾いた秋葉のように地面に落ちた。

「さよか」

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