第5話 妖都の叫び

 翌朝、摩訶不思議な出来事が起こった。

 明六つ刻、日の入り関係なく金子の音が一段と鳴り響く鬼屋敷。紫月があると知るや否や我先にと怒号が飛び交っていた。

 祓殿で息をひそめた私は手袋を傍らに手を温めていた。

 太陽に翳した手はただの日よけに過ぎず、水に浸したからって皮膚が引き締まるだけで冷やしても温めても動かない。初めて手が動かなくなった。

「花純」

 桜柄の障子に影が呼んだ。その声は朝支度を拒否した吟。

「おはようございます。本日の日程を鬼火丸さんから言付かりました。ご配慮ありがとうございます」

「朝から弱々しい面を見せる気か」

「申し訳ございません」

「陰気臭い。腹をくくれと言ったはず。いつまで引きずるつもりか? 働かざる者食うべからず。妖魔を増やして民を苦しめたいならお前も餓鬼となり失せてしまうぞ」

「取り掛かりたくとも手がいうことを訊いてくれなくて」

「世に眼をむけろ。その眼で真実を見定める日が本日だとしたら、おずおずしておられん」

「今日は何か始まるのですか?」

 まるで私を移動させるかのように思えた。吟は無言のまま消えた。入れ替わりに新たな影が映る。

「鬼頭から用心棒を預かった白虎だ。開けるぞ」

 白虎様、四神様だ! 正座し頭を下げた。

「おはようございます。ご挨拶が遅れてしまい申し訳ございません」

 朝から謝ってばかり。

「朱雀は屋敷で働いておるが貴様は身分が高いようだな」

「いいえ滅相もございません。本日は気持ちが定まらなくて」

「気弱い女だ。俺に付いてこい。見せたいものがある」


 私は再び町に出た。気が重い。それでも白虎様の歩幅に私は走った。

 呪いの子の顔を知った妖都は瓦版よりも情報が早いらしく、私の周りはやけに殺風景に変わっていた。

「面をあげろ」

 裏通りから横に入り細道を抜けると表通りに出た。ここは昨日、石を投げられた辺り。

「鬼頭から頼まれた。よって俺は従うまでだ」

 白虎様は木箱を持ってきては、それに私を乗せた。

「これでは悪目立ちです」

「皆の衆、鬼頭の言葉だ。この者は身寄りが無い呪いの子。素手で触れられれば妖魔と化す手を持つ者。皆が恐れおののく穢れだ」

 衆妖の環視は私に集まり一気に野次が飛ぶが、昨日のように石は飛んでこない。白虎様がいらっしゃるからだろう。ただ鋭利のような視線は健在。

「白虎様に私は粗相を致しましたでしょうか? これはあまりにも酷いです」

 震えてしまう声で必死に伝えた。

 視線が痛くなり始めた。定めがつかない視線は右往左往。その中で見つけてしまった。

 吟がいる。

 囲まれた多勢の外に平然と煙管と嗜む吟の姿が視界に入ってきた。隷従に日傘を持たせ、氷をつまむ吟の表情は無。悪鬼のような異臭を漂わせている。

 またしても私は試されていた。少しでも信じた結果がこの始末だなんて、とことん私は馬鹿ね。

 世間知らずの格子育ち。弊害もなく生きた平坦な道に怒りも痛みも悲しみも無い日々を過ごしていれば、簡単に騙されて悪縁を手繰り寄せてしまえるのだ。

「鬼頭の裁きを受けながらもなぜに呪いの子が外に出られる」

「そうだぞ、昨日は呪いの子を担いで保護されているようだった」

「白虎様も昔の事件をお忘れですか? 呪いの子に背を見せるなど」

「そもそも根本を始末するべきでありませんか」

「この者の始末を」

「賛成だ」

 忌々しい。知っている。私も妖魔は嫌い。見たくない会いたくもない。憎いと思えた感情が芽生えたのは妖魔だ。私はその妖魔と同類。何も言い返せないのが末路ね。乾いた笑いが口元を緩ました。

「皆の衆、耳の穴かっぽじりよく聞け。この者は穢れ払いとして使命を授かった栴檀師。穢れを払う力がある」

「だから何だってんだ」

「これまでも偽物の払い師が来た」

「騙されねえぞ」

「栴檀師だと、名だけってかい」

「とうとう鬼頭は民を見捨てたようだ」

「四神様にも呆れちまったよ」

 咳払いは遠くから聞こえた。それを合図に白虎様は手を叩きながら笑った。

「狐の小判が火事の後、皆の手に紫月が十分に貯蓄できぬことを疑問に思わぬか? それは栴檀師が作らなくなったからだ。そしたらどうなる? 明日が我が身、いつ妖魔に化けるか分からぬご時世に怯える日々が続くだろう」

 声が静まった。視線を降ろすと餌を待つ魚のようにぱくぱく口を動かした皆がいる。

「なるほどな。狐の小判にしか売られなかった理由がこれって訳か」

 群衆の指先が私に向けられた。

「ならさっさと作れ! 呪いの子」

「そうだい、お前は不死身かもしれないが、あやかしは生き地獄てんだい」


 ――コリ


 砕く音は、氷。気がつけば金木犀の香りを私は羽織っていた。吟の腕が私の肩を包んでいる。

「白虎が雄弁に語っておるのに、世の民は不遜のふるまいよの。まだ分からぬのか。呪いの子が紫月を作られぬ事態になった事訳を」

 吟の声は民を整列させた。鬼火丸さんと鬼火助くんは吟の足下で控えているが、いつ鬼火になってもおかしくない体制で構えている。

 吟は片手に鬼火を作くり顔は穏やかでない。

「妖力を持たぬ花純にとって我らの妖力は恐ろしいものだ。皆、それを悠々自適に持っておるではないか。栴檀師とて同じ、持つ物が異なるだけで我らと同じあやかしだ。ゆえに親がおり、愛する者ができ、子を作り、恩恵を受け恩を返し生きてゆく心を持っておる。お前達は親が身罷る日、商売に身が入るのか? 学問を解いてられるか? そこの商家よ、偉そうに身構えた客に品を売りたいか?」

「偉そうなら、それがしは断るやもしれん。客が四神様でもな」

「だろ。欲しいならばそれなりの礼儀を持て。売り手が栴檀師だとしても」

 吟は野次を静めた。私が今まで紫月を作っていた事実や、手袋を装着してあれば無害などを代弁した。

 群衆の中には癇癪を起こした書生もいたが、そこは吟の怒りが落ちてしまい「生意気な陳腐をほざきよって、ならば鬼の巣にて設問をたらふく出してやる」と咎められ逃げるように走って行った。

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